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2006 TEST PMA WILLIAMS TOYOTA FW28 K.NAKAJIMA
歴代11組目のF1親子ドライバー 中嶋一貴 TESTデビュー WILLIAMS FW28 父は日本人初のフルタイム F1ドライバー中嶋 悟 息子一貴は2007年にウイリアムズより デビューしアジア人では初となる 歴代11組目のF1親子ドライバー それに先駆けトヨタの後押しもあり 2006年11月8日に翌2007年にウイリアムズの テストドライバーになることが発表され 同年11月16日に富士スピードウェイのイベントで ウィリアムズ・FW28を初ドライブを行った モデルはミニチャンプス 中嶋一貴のF1 TESTデビューをモデル化 ウイリアムズのオリジナル台紙 2007年の最終戦にA・ブルツの引退に伴い F1デビューを果たしたが 何故かこの時のFW29のモデルは 量産モデルとしては発売されていない #2006年
240326 K.NAKAJIMA TEST CAR 2006FW12C
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1976 TEST SPARK ALPINE RENAULT A500 J.P.JABOUILLE
ルノー F1初のターボエンジン プロトタイプカー ALPINE A500 排気量1.5リッター V型6気筒のエンジン F1では初となるターボチャージャーが 搭載されたルノーのテストカー アルピーヌA500はテスト専用で フランス語で実験にあたる〖ラボラトワール〗 また存在が謎に包まれていた為 英語の幽霊にあたる〖ファントム〗などと呼ばれた 1976年5月にルノーがF1用エンジンを 開発中であることが発表されて公になり またミシュランが開発したF1用のタイヤを 装着した初のF1マシンでもあった ターボラグなどのエンジンの不具合において 当時はテレメトリーシステムが無かったが テストドライバーを務めた ジャン・ピエール・ジャブイーユの 分析力が大きな助けとなり 1976年途中からルノーF1の参戦となった モデルはスパーク A500が発表されてからは フランスのELFなどのスポンサーロゴが マシンに付いたが当該モデルは スポンサーの無い漆黒のバージョン ジャブイーユの赤いヘルメットが 黒のマシンと黒い台座に浮かび上がります
231122 J.P.JABOUILLE TEST CAR 1/43FW12C
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1999 TEST PMA ARROWS A19 (1999) T.TAKAGI
高木虎之介 テストで好タイム 逆転でシート獲得 ARROWS A19 1998年所属したティレルがBARに買収 シートを失った高木虎之介はシーズン 終了後にアロウズのテストの機会を得ます このテストで前年度所属のミカ・サロ チームメイトとなるペドロ・デ・ラロサを 上回るタイムを出し師の中嶋悟氏の持つ PIAAなどのスポンサーを持ち込条件で シーズン前に土壇場でシートを獲得 アロウズの日本人ドライバーは 鈴木亜久里・井上隆智穂に続き3人目 シーズンではCarNo15であったが テストは仮でCarNo14で走行している このモデルは限定数1.500で 高木虎之介のモデルのみが発売 当時はある程度日本での販売が見込める 状況下で企画された?ものと思われます
230705 T.TAKAGI TEST CAR 1.500FW12C
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1974 TEST KB(広島企画) MAKI F101 S.HAYAMI
ミステリアス・マキ MAKI F1 日本純粋プライベーター 1974年 イギリス・ロンドンの高級ホテル カールトンタワーで参戦発表されたMAKI 白地に日の丸のナショナルカラー 日本でエンジンメーカーの後ろ盾が無く 海外のF1レースにエントリーした 唯一の純粋プライベーターチーム エムズブレインなる会社がオーナー その会社の社長の名前がMAKI氏 全てが謎に包まれ 後に明らかになったのは レーシングマシンを設計製作していた 三村建治がボディデザインを担当 シャーシデザインは小野昌朗 ドライバーはハウデン・ガンレイと 謎のドライバ― 速見翔(本名:新井鐘哲) オーナー会社がマルチ商法の会社であり 極秘プロジェクトとして進められ 速見はじめチーム関係は偽名を名乗った 安全性に関するレギュレーションを 遵守した結果 マシンは大型化され スポーツカーノーズ 流線型ウインドスクリーン 砲弾型のインダクションポッド などが採用されたが 他のマシンより約80Kg近く重かった 速見翔(新井鐘哲)にはライセンスが下りす テストのみの走行でF1デビューならず オーナーからの資金が滞った事もあり R10イギリスGPでようやくガンレイが MAKI F101Bでエントリーするも 次戦R11ドイツを含め予選落ちに終り 決勝進出はならなかった モデルは国際貿易で販売していますが メーカー広島企画??でこれも謎です
230617 S.HAYAMI TEST CAR MAKIFW12C
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1979 TEST PMA LOTUS 79 N.MANSELL
ライオンハート ナイジェル・マンセル F1 ファーストテスト LOTUS 79 当時自宅を売りに出してまで資金を稼ぎ 1979年参戦したイギリスF3では1勝 年間ランキングは8位に終わったものの その攻撃的な走りに目が留まり ロータスのF1マシンのテストの機会を得た 11月にフランスのポール・リカールで行われた このテスト2日前にはF3でA・チェザリスの 起因による事故により脊髄を負傷したが 通常の6~7倍の鎮痛剤を打ち テストに挑んだと言われている このテストは翌年のM・アンドレッティの パートナーとなるセカンドドライバ―を 選ぶものでもありE・アンジェリス E・チーバー J・ラーマスなども参加 マンセルはいきなりスピンはしたものの 力強い走りを見せシートは獲得ならずも ロータスとテストドライバーの契約を得て 翌1980年にロータスのサードカーとして R10オーストリアGPのデビューにつなげた ブリティッシュグリーンに MARTINIカラーのロータス79 恐らくF1では唯一と思われる マンセルのCar No.1のモデル
230511 N.MANSELL TEST CAR 2.664FW12C
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1991 TEST PMA JORDAN FORD 191 B.GACHOT
新規参戦ジョーダングランプリ 開幕前 TEST仕様 JORDAN FORD 191 1991年新規参戦ジョーダングランプリ デビューマシンは当初ジョーダン911と ネーミングされていたがポルシェから クレームが入り ジョーダン191に変更 マシンはゲイリー・アンダーソンと マーク・スミスらによる設計 フロントはトーショナルウイングと 呼ばれる独特の形状を採用し サイドはリアエンドに向けて 下部をえぐり込むような形状で 他チームが模倣するデザインであった シーズン前のテストではフォードHB エンジンを早々に獲得ししたものの カラーリングは謎に包まれ カーボン地の黒にチームロゴだけが添付され 攻撃機F-117になぞらえステルスと呼ばれた このテストでは70~80年代活躍の J・ワトソンとレギュラーシート獲得の ベルトラン・ガショーがドライブ 初参戦ながら好タイムを連発 その後メインスポンサー7UPを獲得 7UPとアイルランドのナショナルカラー アイリッシュグリーンとブルーに塗装 1991年シーズンを彩った1台となった #F1-1991年
230418 B.GACHOT TEST CAR 240FW12C
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1998 TEST PMA FERRARI F300 M.SCHUMACHER
黒いフェラーリ TEST CAR FERRARI F300 M.SCHUMACHER 1998年シーズン開幕前のフェラーリ所有の フィオラノサーキットでのテスト走行 真っ黒な車体にノーズの先端に フェラーリのエンブレムのみが施されている マシンは小型ウイングの類や翼端板などは 付いておらず1998年に導入される グループドタイヤ(溝付)も未装着 現在では限定となると1000台以下が ほとんどですがこのモデルは Limited Edition 12.222pcs. それでもシューマッハ・フェラーリ人気もあり そこまで値崩れしていないモデルです ドライバ―ヘルメットは Marlboro加工してあります ミニチャンプスのフェラーリF1モデルは 1998年のモデルで最後となり 翌1999年よりマテル(HW)中心での発売 (IXOやLOOK SMARTでも一部発売) ミハエル・シューマッハ コレクションも 一度終了 2010年のメルセデスで復活
230202 M.SCHUMACHER TEST CAR 12.222FW12C
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1997 TEST ONYX TYRRELL FORD 025 T.TAKAGI
Mr.CRAFT 別注モデル 高木虎之介 TEST CAR TYRRELL FORD 025 1997年ティレルはかつてチームにも 所属した日本人ドライバ―中嶋悟率いる 中嶋企画と提携しテストドライバーに 高木虎之介を起用するとともに PIAA EPSONなどのスポンサーを獲得 高木虎之介は国内のフォーミュラニッポン にも参戦したが1勝のみランキングは6位 こちらはかつて東京 恵比寿にあった ミスター クラフトの別注モデル 型番がMC003となっている 1997年の1/23日のSILVERSTONE TESTの 仕様でEPSONのスポンサー未だ付いていない 恐らく日本の模型店が初めて 別注オーダーしたF1のモデルカー しかしONYXは1997年でF1モデルから撤退 ミスタークラフトも残念ながら2008年に閉店 #F1-1997年
221119 T.TAKAGI TEST CAR 19FW12C
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1997 TEST PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 D.COULTHARD
マクラーレン イメージ 刷新前 オレンジ色のTEST CAR MP4-12 1997年マクラーレンは長年のスポンサー マールボロとの契約が終わり 新たにイギリスの多国籍タバコ会社である インペリアル・タバコのレームツマ社と契約 それまでの赤/白のカラーリングから変更 シーズンオフのテストでは本戦カラーは伏せられ マクラーレンの創設者B・マクラーレンの母国 ニュージーランドのナショナルカラーである パパイヤオレンジに塗装される演出がなされた また車体名もMP4/00→MP4-00に変更され オレンジの車体に銀色でMP4-12と書かれている ただし雑誌等でもこの表記変更は曖昧で モデルの台紙もMP4/12の表記になつている デビット・クルーザードはマクラーレン2年目 開幕直後にチームに久々の勝利をもたらす #F1-1997年 #TESTCAR
221112 D.COULTHARD TEST CAR 10FW12C
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1996 TEST ONYX BRIGESTONE TEST CAR (JS41) D.HILL
ワールドチャンピオン獲得翌日 D・ヒル ブリヂストンタイヤテスト 1996年鈴鹿でチャンピオンを決めた デーモン・ヒルはその翌日に同コースで 翌1997年~の参戦開始する ブリヂストンタイヤテスト ヒルはブリヂストンユーザーとなる TWRのアロウズへの移籍が決まっていた 元々の車体は1995年シーズンに リジェ無限HONDAが使用したJS41 これを赤・白ベースのカラーに変更 このマシンでのテストは鈴木亜久里や ヨス・フェルスタッペンも実施している https://muuseo.com/FW12C/items/780?theme_id=34911
221007 D.HILL TEST CAR 1/43FW12C
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1984 TEST SPARK SPIRIT 101 E.FITTIPALDI
エマーソン・フィッテパルディ 幻のF1 TEST CAR SPIRIT 101 1984年スピリットレーシングは HONDAエンジンを失いハートV4ターボと ピレリタイヤの供給を受けて参戦 当初イタリア人ドライバ―の フルビオ・マリア・バッラ―ビオと契約も スパーライセンスが発給されず断念 開幕直前のブラジルのTESTで スピリットのマシンを走らせたのは 何と2度のワールドチャンピオンの エマーソン・フィッテパルディ F1復帰を目論んでTESTに臨んだが SPIRITのマシンのレベルは高くないと判断 アメリカでのレース復帰を選択した マシンにはバッラ―ビオの持ち込みの イタリアにおける最も有名なコミック雑誌 Topolino(トッポリーノ)がスポンサーで ディズニーキャラクターのコミック作品の ミッキーマウスとグーフィーが マシンに描かれている これはTEST車のみでドライバ―離脱に伴い STP / PanasonicとともにTopolinoは スポンサーから撤退してしまった 本来は購入する予定が無かったのですが ショップの店長さんと よくDisneyの版権おりたねー なんて話している内に ショップにあった 最後の1台という事もあった思わず購入・・ #F1-1984年 #SPIRIT #Disney #F1-TESTCAR
E.FITTIPALDI TEST CAR 1/43 MarlboroFW12C
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1993 TEST PMA McLAREN LAMBORGHINI MP4/8B A.SENNA
2022年5月1日 アイルトン・セナ28回忌 こちらはセナが亡くなる約7ヶ月前の 1993年9月28日にポルトガルのエストリルで 走行したランボルギーニエンジンを搭載した テストカー McLAREN LAMBORGHINI MP4/8B 1994年に向けたエンジンのテストとして ランボルギーニ製のV12を登載 真っ白なマシンでフロントウイング翼端板に グッドイヤーのロゴのみが付いている セナはこのエンジンに高評価を下し シーズン最後の2レース(鈴鹿・アデレード)を このエンジンで使用しても良いと考えたが その後ハッキネンのテスト時に爆発気味の エンジンストールが起こったこともあり ランボルギーニ塔載は実現はしなかった マクラーレンは1994年のエンジンにおいて ランボルギーニはエンジンの無償提供のみで エンジン無償提供+資金援助の申し出のあった フランスのプジョーエンジンを選択する ランボルギーニエンジンはF1から撤退 セナは1994年はウイリアムズに移籍します 仮にランボルギーニエンジン搭載が決まっても セナがマクラーレンに残留した 可能性は少ないものの 何かしらの歴史は変わった可能性は あったかもしれません #F1-1993年 #McLARENLAMBORGHINI
A.SENNA TEST CAR 1/43 McLARENFW12C
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1982 TEST PMA WILLIAMS FW08B
フロント2本・リアタイヤ4本装着 ウイリアムズ6輪車テストカー ウイリアムズは1981年にFW07Dを 6輪車に仕立ててテストを実施 1982年に2作目となるFW08Bを開発 フロントは15インチに対して リアには13インチのホイールが4個装着 リア4輪はタイヤを小径化することで 空気抵抗を減らし さらには4輪駆動で トラクションを稼げるという利点があった リア4輪は1976年にマーチやフェラーリも テストを実施していたがウイリアムズの 6輪車はスポンサーロゴも添付されて より実践投入に近い形で開発された しかし1982年末にレギュレーションで タイヤは4本までと規定された為 実戦で投入されることは無かった FW08Bは1994年のグッドウッドフェスティバルに 登場しジョナサン・パーマーのドライブで 当時のヒルクライムのコースレコードを記録した #F1-1982年 https://www.youtube.com/watch?v=NtERkxx_VbU
TEST CAR 1/43 WILLIAMS MINICHAMPSFW12C
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1999 TEST PMA HONDA RA099 PROTOTYPE J.VERSTAPPEN
2021年 ㊗ WORLD CHAMPION ㊗ M.VERSTAPPEN & HONDA HONDA30年ぶりのWORLD CHAMPION 劇的でした!!!!!! おめでとうマックス ありがとうHONDA こちらはマックス・フェルスタッペンの父 ヨス・フェルスタペンがドライブした 所謂第3期HONDAのF1活動開始時のTESTCAR このプロジェクトの中心人物の ポスルズウェイトの死去により 実戦投入はされませんでしたが フェルスタペン(親子)とHONDAの つながりのはじめての1台 #2021ありがとうHONDA #F1-1999年
J.VERSTAPPEN TEST CAR 1/43 HONDAFW12C