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1999 16TH PMA PROST PEUGEOT AP02 O.PANIS
オリビエ・パニス F1 6年目 フレンチチームと決別 PROST AP02 前年度ノーポイントに終わったパニス 1999年もヤルノ・トゥルーリと共に プロスト グランプリに残留 R2ブラジルGPで予選13位から 2年ぶりとなる6位入賞を果たすと R7地元フランスGPでは予選3位と健闘 途中完走率の高いパニスは7戦連続の完走と 粘りの走りを見せたものの R10ドイツGPの2度目の6位と 入賞は僅かに2回に終わり シーズンで2ポイント 16位に終わった 1994年リジェ~プロストと6年過ごした フランスチームから離脱 翌2000年はウイリアムズからのオファーが 単年であったこともあって断り マクラーレンのテストドライバーとして契約 この時のテストドライバーしての働きが 再びパニスの評価を上げて 2001年はBARでF1に復帰する モデルはミニチャンプス タバコ ゴロワーズはバーコード仕様 何故か台紙の車体表記が PROST GRAND PRIX 1999 となっている
231023 O.PANIS 1999 18FW12C
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1998 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP01 O.PANIS
プロスト2年目 オリビエ・パニス キャリア唯一のノーポイントPROST AP01 1998年 チームプロスト2年目 車名をJS→APに変更 APはアランプロストの略 オールフレンチを目指しエンジンは 無限→プジョーにスイッチした チームメイトはヤルノ・トゥルーリ パニスはリジェ時代から5シーズン目 開幕戦のオーストラリアの9位が最高 ギアBOXのトラブルが頻繁に発生 完走率は60%でパニスは粘り強く走るも シングルフィニッシュは1回のみ 年間順位は(22位) チームノーポイントの ミナルディ/ティレルの計4人にも負けて パニスより下の順位はは途中参戦した ヨス・フェルスタッペン(スチュワート)のみ 1994年~2004年(2000年は未参戦) 10年間 F1参戦オリビエ・パニスだが 年間ノーポイントで終わった唯一の年 画像1 タバコ GAULOISES仕様 画像2 オリジナル(バーコード)仕様
230224 O.PANIS 11 1/43FW12C
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1998 (22ND) PMA PROST PEUGEOT AP01 "TOWER WING″ O.PANIS
プロストが採用したタワーウイングは 1本の支柱でウイングが外側に付いた 最もオーソドックなタイプで この形状はフェラーリ/ティレルも採用 プロストはタワーウイングが禁止された R5スペインGP以前・以降とも不振の為 タワーウイング禁止の影響は不明 この年プロストにはPlayStationが スポンサーで付いているが これは ソニー・コンピュータエンタテインメントの ヨーロッパが主導しているもので 同社が1996年から発売したプレステ ソフト Formula 1 シリーズの販売促進の一環 1998年に発売されたFormula 1 98の ヨーロッパ版にはプロストAP01が パッケージに使用されているものが有り 他の地域ではフェラーリ/マクラーレンの パッケージ版も存在するが この年の日本版の発売は無かった #F1-1998年 https://muuseo.com/FW12C/items/658?theme_id=30882
230224 O.PANIS "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1997 9TH PMA PROST MUGEN HONDA JS45 O.PANIS
ブリヂストンタイヤ初の表彰台 O・パニス 新生プロストチーム MUGEN HONDA JS45 1997年リジェを買収して4度のチャンピオン アラン・プロスト率いるチームプロストが誕生 前年無限HONDAエンジンの初優勝を飾った オリビエ・パニスはエースとして残留 チームプロストはこの年から参戦した ブリヂストンタイヤのユーザー 開幕戦で早くも5位入賞 BS初ポイント R2ブラジルGPパニスは予選5位 タイヤに厳しいインテルラゴスサーキットで ブリヂストンタイヤを活かし1ストップ作戦 見事3位表彰台を獲得 BSタイヤ初の表彰台 R6スペインGPでも2位表彰台 この時点でランキング3位と好調であったが R7カナダGPでレース中に事故で両足骨折 長期離脱で終盤復帰したが年間順位は9位 チームもパニス離脱とともに失速したが それでもBSユーザーの4チームの中で トップのコンストラクタ―6位 #F1-1997年
221107 O.PANIS 14 1/43FW12C
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1996 9TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS43 O.PANIS
MUGEN HONDA エンジン 初優勝 O・パニス唯一 リジェ最後の勝利 1996年R6モナコGP 決勝は暴風雨 予選14位のリジェ オリビエ・パニスは 朝のウォームアップランはトップタイム 当初ガソリンを満タンにして ノンストップの戦略をを取った 上位陣のリタイヤと安定した走りで モナコGPながら数台オーバーテイク 36周目には3位に浮上すると トップ走行のD・ヒル(ウイリアムズ) J・アレジ(フェラーリ)が相次ぎリタイア 59周目にトップに立ち2時間を超えた為 75周でレースが打ち切られて パニスがトップでチェッカー 最後はコース上に3台のサバイバルを制した MUGEN HONDA エンジン 初優勝は オリビエ・パニスのキャリア唯一の勝利 リジェも1981年ジャック・ラフィー以来 15年ぶりの優勝 リジェ通算最後の9勝目 翌1997年リジェはプロストに買収 1976年から21年間のF1参戦の幕を閉じた モデルは優勝モナコGP記念モデル フランス国旗のウイニングラン仕様 タバコ GAULOISESにデカール加工 画像2はオリジナルの加工前のモデル 画像3~6はPMA通常モデル こちらもGAULOISES仕様に変更 #無限エンジン初優勝 #F1-1996年 #リジェ最後のマシン #LIGIER #F1
O.PANIS 6.000 9 1/43FW12C
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1995 8TH PMA LIGIER MUGEN HONNDA JS41 O.PANIS
オリビエ・パニス F1 2年目 ベストリザルト LIGIER JS41 1995年リジェは前年度ベネトンの トム・ウォーキンショーが共同オーナー LIGIER JS41はチャンピオンマシンの ベネトンB195が形状が酷似していた ルノーエンジンをベネトンに譲渡して ミナルディとの争奪戦で無限HONDAを獲得 このJS41は後にブリヂストンタイヤ参入時 テストマシンとしても使用され J・フェルスタッペンや鈴木亜久里 そしてD・ヒルなどがドライブした 近年JS41はSPARKでもモデル化 された事もありよく見かけるマシンの1台 O・パニスは予選最高位6位で入賞6回 最終戦オーストラリアではトップから 2週半以上遅れたが2位表彰台獲得 年間順位8位はベストシーズン 何かのおまけでもらったと思われる 1995年シーズンのパニス含めた リジェ3人(M・ブランドル 鈴木亜久里)の ポストカードを所持しています #1995 #MUGEN #F1-1995年
O.PANIS 26 1/43 LIGIERFW12C
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1994 11TH ONYX LIGER RENAULT JS39B O.PANIS
1994年にデビューのドライバ―で 後に勝利を得たのは3人 D・クルーザード 13勝 H・H・フレンチェン 3勝 オリビエ・パニス 1勝 パニスは1993年の国際F3000のチャンピオン 1994年リジェでデビュー TMはE・ベルナールのフランス人コンビ 新人らしからぬ安定の走りで 16戦中15戦完走(内1回失格) 周回数906週 周回率86.6%は全体1位 この年安定のルノーV10エンジンと チェザーレ・フィオリオが監督に就任した 後半戦からはチームが改善をして R9ドイツでは2位表彰台を獲得 TMのE・ベルナールも3位 3回入賞で9ポイント 年間11位 この後リジェ~プロストのエースとして 長きに渡りF1に参戦する #F1-1994年
O.PANIS 26 1/43 LIGIERFW12C