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1979 TEST PMA LOTUS 79 N.MANSELL
ライオンハート ナイジェル・マンセル F1 ファーストテスト LOTUS 79 当時自宅を売りに出してまで資金を稼ぎ 1979年参戦したイギリスF3では1勝 年間ランキングは8位に終わったものの その攻撃的な走りに目が留まり ロータスのF1マシンのテストの機会を得た 11月にフランスのポール・リカールで行われた このテスト2日前にはF3でA・チェザリスの 起因による事故により脊髄を負傷したが 通常の6~7倍の鎮痛剤を打ち テストに挑んだと言われている このテストは翌年のM・アンドレッティの パートナーとなるセカンドドライバ―を 選ぶものでもありE・アンジェリス E・チーバー J・ラーマスなども参加 マンセルはいきなりスピンはしたものの 力強い走りを見せシートは獲得ならずも ロータスとテストドライバーの契約を得て 翌1980年にロータスのサードカーとして R10オーストリアGPのデビューにつなげた ブリティッシュグリーンに MARTINIカラーのロータス79 恐らくF1では唯一と思われる マンセルのCar No.1のモデル
230511 N.MANSELL TEST CAR 2.664FW12C
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1990 5TH LOOK SMART FERRARI 641/2 N.MANSELL〖🏆1〗
美しきフェラーリ FERRARI 641/2 N・マンセル 1990年フェラーリはニューマシン FERRARI 641を開幕戦より投入 R3サンマリノGP マイナーチェンジが E・スカラブローニ S・ニコルズより 施されFERRARI 641/2とされた モデルはR6メキシコGP仕様 予選4位のマンセルは終盤3位を走行 2位走行のG・ベルガー(マクラーレン)を アクセル5速全開で180度旋回する 最終難関コーナー ペラルターダで アウト側から豪快に抜き2位に浮上 チームメイトのA・プロストと フェラーリ1・2フィニッシュを決めた 2015年にメキシコGPが復活した際に ペラルターダは低速コーナーに改修され 〖ナイジェル・マンセル・ターン〗 と命名され現在に至る このメキシコGPのサーキットは エルマノス・ロドリゲス・サーキット 1960年代のメキシコの誇るドライバ― レース中に残念ながら事故死している ペドロとリカルドのロドリゲス兄弟に 対して哀悼の意を込めて命名されている 1965年のホンダとグッドイヤーの ドライバ― リッチ・ギンザーによる F1初勝利のサーキットでもあります #F1-1990年
230402 N.MANSELL 3回 700FW12C
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1981 14TH PMA LOTUS FORD 88 N.MANSELL
ロータス フル参戦1年目 N・マンセル 失意の地元イギリスGP 予選落ち 1981年マンセルはロータスで初のフル参戦 TMはエリオ・デ・アンジェリス ロータスは可動式カウルを被せた ツインシャーシ LOTUS FORD 88を導入するも レギュレーション違反で決勝では走行できず R8イギリスGPでは冷却系などを プライマリーシャーシに移設した 改良版である88Bを導入するも結果は同じで プラクティスは走行できたものの 予選では使用できず マンセルはこの影響もあって 地元イギリスGPでまさかの予選落ち ロータスはシーズン途中でメインスポンサー エセックス石油のデビット・ティーメが 訴訟問題に巻き込まれてスポンサーを撤退 再びJPSカラーの漆黒に変更します マンセルは旧型のロータス81Bで R5ベルギーで初入賞&表彰台を獲得 年間順位は16位と振るわずもロータス残留 #F1-1981年
220918 N.MANSELL 1584 12FW12C
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1984 10TH PMA LOTUS RENAULT 95T N.MANSELL
ナイジェル・マンセル ロータス最終年 自身初のポールポジション LOTUS 95T 1984年ロータスは開幕より新車95Tを投入 前年度後半の94Tをレギュレーションに合わせ 小型化 タイヤはピレリ→グッドイヤーに変更 マンセルはR6モナコGPで予選2位から 決勝は初のラップリーダーを5周記録も 大雨の中スリップしてリタイア R9アメリカGPでは自身初となるPPを獲得 マンセルのF1通算PPは32回 決勝は35周目までTOPを守るも K・ロズベルグ(ウイリアムズ)に抜かれTOP陥落 これが結果ウイリアムズ HONDAの初優勝につながる マンセルは入賞圏内を走行も チェッカー目前で壁にあたりミッション破損 自ら押してチェッカーを目指し 観客から大きな拍手で迎えられたが 体力が無くなり気絶して倒れてしまう (結果は3周遅れの6位完走扱い) 1984年完走5回はすべて入賞も残りはリタイア マンセルらしい結果で年間順位は10位 TMのE・アンジェリスは3位と大差をつけられた スポット参戦を含め5年間過ごした ロータスでの成績は3位(5回)が最高 A・セナの移籍もありロータスを離れ 翌1985年はウイリアムズ HONDAに移籍する #1984年 #LOTUS #マンセル #F1-1984年
N.MANSELL 850 12 1/43FW12C
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1995 (29TH) PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES N.MANSELL
荒法師ナイジェル・マンセル 最後のマシン McLAREN MP4/10 1995年契約問題でD・クルーザードが ウイリアムズに残留しマクラーレンの 空席にスポンサーの意向もあり マンセルがシートを獲得する しかしTESTから不振のマクラーレン コックピットの狭さを理由に 開幕1・2戦を欠場(代役はM・ブランデル) 1ケ月という早さでコックピットを作成 R3サンマリノより出場するも 予選決勝ともTM M・ハッキネンに敗れ 予選9位→決勝は10位での完走 R4スペンインは決勝リタイヤで このGPをもってマクラーレンを離脱 結果的にこれがマンセルの 184回目のラストレースとなった 数々の名勝負また物議を醸しだした 大英帝国の愛すべき息子 マンセル 1980年代四天王の最後の1人でもあった ナイジェル・マンセル (イギリス) 決勝出走回数 184回 予選最高位 PP(32回) 決勝最高位 優勝(31回) ファステストLAP(30回) ワールドチャンピオン 1992年 ウイリアムズ 16戦9勝 #F1最後のマシン #1995 #F1
N.MANSELL 7 1/43 McLARENFW12C
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1994 9TH PMA WILLIAMS RENAULT FW16 N.MANSELL
RED 5 ならぬ RED 2 が電撃復帰 セナ亡き後のF1人気低迷低下の起爆剤 バニー エクレストンの仲介で 1994年インディ2年目のN.マンセルは インディの無いR7フランスGPに参戦 フランスは予選2位→決勝リタイヤ インディ終了後の終盤3戦も出場し R15鈴鹿ではJ.アレジ(フェラーリ)との 3位バトルで最終コーナーでかわすも 2ヒートだった為結果は4位 鈴鹿初完走 最終戦オーストラリアでは 通算32回目のPP 通算31回目の最後の勝利を飾る これによりウィりアムズの コンストラクタ―3連覇も達成 悲しき1994年の最後は マンセルの優勝で締めくくりました #1994
N.MANSELL 2 1/43 WILLIAMSFW12C
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1982 14TH SPARK LOTUS FORD 91 N.MANSELL
#F1-1982年 #マンセル
N.MANSELL 1/43 John Player Special LOTUSFW12C
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1988 9TH WILLIAMS JUDD FW12 N.MANSELL
#1988
N.MANSELL 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1991 2ND+α PMA WILLIAMS RENAULT FW14 N.MANSELL(WITH A.SENNA)
1991年のイギリスGP有名なシーン N.マンセルがトップでチェッカー A.セナはファイナルラップで まさかのガス欠(4位完走扱) 母国でウイニングラン中 ガス欠のセナの横に止まりライドオン 制止するマーシャルを 振り切り(セナが蹴散らし) コース半周しピットへ 最後は観客がコースになだれ込み マンセルの母国優勝もあり サーキットは異様な盛り上がりでした #1991
N.MANSELL 5 1/43 WILLIAMSFW12C
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1992 WC PMA WILLIAMS RENAULT FW14B N.MANSELL〖🏆9〗
#1992 #WILLIAMS #WORLDCHAMPION #F1
N.MANSELL 5 1/43 CAMELFW12C
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1991 2ND PMA WILLAMS RENAULT FW14 N.MANSELL〖🏆5〗
#F1-1991年 #CAMEL
N.MANSELL 5 1/43 WILLIAMSFW12C
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1990 5TH ONYX FERRARI 641 N.MANSELL〖🏆1〗
フェラーリ2年目 N・マンセル 突如の引退発表も後に撤回 1990年マンセルはフェラーリ2年目 チームメイトには前年チャンピオン アラン・プロストを迎えた 当初プロストと友好関係であったが プロスト中心のチームになって行くと 険悪な関係となり成績も低迷 R8イギリスGPはPPスタートもリタイア レース後突如引退発表をした シーズン終盤J・アレジのフェラーリ入り によりウイリアムズからのオファーで 引退を撤回し翌シーズン同チーム入り ここから成績も上向き R13ポルトガルではこの年唯一の勝利 終盤4戦では3度の表彰台も 年間ではプロストのポイントの 約半分の37Pに終わり年間5位 ONYXのモデルはこの年のマシン 641ではなくF1-90と表記 ONYXの初めて購入した1台 Marlboroが添付済みのモデル #F1-1990年
N.MANSELL 3回 2 1/43FW12C
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1989 4TH ONYX FERRARI 640 N.MANSELL〖🏆2〗
#F1-1989年
N.MANSELL 27 1/43 MarlboroFW12C
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1983 13TH PMA LOTUS RENAULT 94T N.MANSELL
#F1-1983年 #マンセル
N.MANSELL 580 12 1/43FW12C
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1987 2ND PMA WILLIAMS HONDA FW11B N.MANSELL〖🏆6〗
N.MANSELL 5 1/43 61PFW12C