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1975 (23RD) SPARK LOTUS 72F J.WATSON
ロータス72シリーズ 最終盤72F ジョン・ワトソン LOTUS 72F 1975年ロータスは前年度投入の LOTUS76が失敗作に終わり信頼性の高い LOTUS72Eを再び主戦場に戻した シーズン終盤には最終盤の72Fを投入 Fタイヤのオーバーヒート改善の為 ホイールベースを5CM伸ばし フロントのトレッドを拡大 リアサスにはコイル・スプリングが採用 レギュラードライバ―であった ジャッキー・イクスの離脱後は 3名のドライバ―が起用され R11ドイツGPではサ―ティスが欠場した為 同チームのドライバ―J・ワトソンを起用 予選ではLOTUS72E型のR・ピータソン(18位)を 抑えてワトソンは14位を獲得 しかし決勝は両者とも1~2周目リタイアと 不振のシーズンを象徴するレースとなった ワトソンは翌戦はサ―ティスに戻り さらに最終戦はペンスキーで出場した モデルはスパーク ドイツGP仕様 予選14位→決勝リタイア このGPはタバコスポンサーの John Player Specialの文字は無く JPSロゴマークのみとなっている 1975年ワトソンの主戦 チームサーティス↓ https://muuseo.com/FW12C/items/1511?theme_id=32702
231102 J.WATSON 1975 6FW12C
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1980 11TH SPARK McLAREN M29 J.WATSON
マクラーレン2年目ジョン・ワトソン チームも不振 McLAREN M29 1980年ワトソンはマクラーレン残留 チームメイトは新人アラン・プロスト 開幕戦・R2とプロストに予選で敗れ 決勝もプロストが連続入賞の中 リタイア・11位と苦戦を強いられる R4アメリカWESTでは決勝4位入賞も R6モナコでは自身初の予選落ち ワトソンの生涯2度の予選落ちは いずれもモナコ(1980年・1983年) しかしながら初入賞もモナコ(1974年) 初のPPもモナコ(1977年)でもある R13カナダでシーズン2度目の4位 プロストに1ポイント差で年間上回り この年6ポイントで並んだ5名の ドライバ―の上から2番目の年間11位 翌1981年プロストがルノーに移籍の中 マクラーレンに残留 チームに久々の勝利をもたらす
230811 J.WATSON 1980 7FW12C
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1975 (23RD) SPARK SURTEES TS16 J.WATSON
参戦初年度以来の1台体制 サーティス ジョン・ワトソン SURTEES TS16 1975年チームサーティスは資金難で 参戦初年度1970年以来の1台体制 ドライバーは前年プライベーターで 初のフル参戦 3度の入賞を果たした ジョン・ワトソン(イギリス) マシンは前年度からのSURTEES TS16 R4スペインGP 予選6位の好位置も 決勝レースはR・シュトルメ(ヒル)が 観客を巻き込むアクシデントで 途中でレース終了 決勝8位がリザルト これ以降は大きな見せ場は無かった チームは翌年のマシン開発の為 終盤の3戦を欠場 ワトソンはチーム欠場のGPで ロータスとペンスキーで参戦 翌1976年はそのペンスキーに移籍 マシンはこの年限りの イエローとライトブルーのツートンカラー ライトブルーは矢印⇒のデザイン インダクションポッドのカーナンバー18 スポンサーのMACHBOXのロゴが目立つ1台 #F1-1975年
230324 J.WATSON 1975 18FW12C
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1982 3RD SPARK McLaren MP4/1B J.WATSON〖🏆2〗
1982年11人WINNERSの4人目 キャリアベストシーズン J・ワトソン ジョン・ワトソン マクラーレン4年目 チームメイトはこの年復帰のニキ・ラウダ マシンは前年の改良型MP4/1B (台座のMP4‐1Bの表記は間違い) MP4/1Bはレギュレーションで認められた サイドウイング部分で発生する ダウンフォース量が多いため 高速コースではフロントウイングが省かれた R5ベルギーGP 予選10位→優勝 1982年11人の優勝者の4人目 R7USA EAST GP 予選17位→優勝(モデル仕様) 予選中段~下位ながら2勝をあげて この時点でランキングトップに立った しかしこの後4戦連続リタイア含む 6戦連続ノーポイントが響き脱落 ランキング2位 D・ピロー二(フェラーリ)と 同ポイント39Pながら上位順位差で3位 ワトソンの生涯ベストシーズンとなった 1981年~2016年まで続く マクラーレンMP4シリーズの中で MINICHAMPSが唯一リリースしていないのが 1982年のMP4/1Bであったが 近年ようやくSPARKから発売された #F1-1982年
230210 J.WATSON 1回 7FW12C
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1978 6TH PMA BRABHAM BT46B "FANCAR" J.WATSON
デザイナー ゴードン・マレーの奇策 BRABHAM BT46B ファン・カー 1978年ブラバムは大柄の アルファロメオ水平対向V12エンジンでは 効果的なウイングカーを設計できなかった その打開策としてR8スウェーデンGP 車体後部に大型の送風機を装備した いわゆる ファン・カーを導入 ファンにより強力なダウンフォースを発生させ コーナリング速度の向上を図った デザイナーのゴードン・マレーは ファンの主目的はエンジン冷却用との 名目にして使用認可を得た 練習走行はあえてフルタンク ハードタイヤ で速さを隠し 予選ではワトソンは2番手 決勝ワトソンはスロトルトラブルでリタイアも TMのN・ラウダが途中より独走して優勝 その圧倒的なコーナリング速度を 目の当たりした他のチームより 後続車に石などを撒き散らすことが危険であると 抗議がなされて結局1戦限りで使用禁止となった #F1-1978年 #F1 #1978年
221214 J.WATSON 1978 2FW12C
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1981 6TH PMA McLAREN FORD MP4 J.WATSON 〖🏆1〗
マクラーレンMP4シリーズの初のマシン J・ワトソン チーム4年ぶり勝利 2016年までマクラーレンが継続した MP4シリーズの最初のマシン カーボンモノコックが初めて使用され 従来のアルミハニカムに比べて 剛性が70%向上 25%の軽量に成功した デザイナーはジョン・バーナード チームオーナーはこの年よりロン・デニス 画像7 左からバーナード/ワトソン/デニス R9イギリスGP ワトソンは予選5位から優勝 マクラーレンは1977年最終戦日本GP以来 4年ぶりの勝利 ワトソンも5年ぶり2勝目 ワトソンの通算勝利数は5勝 この1981年のイギリスGP(シルバーストーン)MP4 では早くもタバコの規制がかかり マクラーレンは所謂バーコードで対応 モデルはそのイギリスGP仕様の為 バーコードのままにしてあります ワトソンは優勝含む4度の表彰台 年間6位 27ポイント FL1回 名門マクラーレンの復活を期待させる活躍 #F1-1981年 #MP4 #マクラーレン #F1 チームメイトはマクラーレンこの年限りの アンドレア デ チェザリス https://muuseo.com/FW12C/items/211?theme_id=38179
J.WATSON 1回 7 1/43FW12C
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1976 7TH IXO PENSKE PC4 J.WATSON 〖🏆1〗
チームペンスキー F1唯一の勝利は ジョン・ワトソンの初優勝 1958年設立のアメリカのレジェンド チームペンスキーは1974年から途中参戦 1976年はJ・ワトソンが前年末よりドライバ― R7スウェーデンGPよりニューマシン PENSKE PC4導入後成績が上昇 R8フランスR9イギリスで連続3位表彰台 フェラーリが欠場したR11オーストリアは 予選2位 決勝12週目からトップKEEPし優勝 この勝利はチームペンスキー唯一の勝利 F1通算5勝のワトソンの初勝利 そして前年度同じオーストリアGPで ペンスキー所属で命を落とした マーク・ダナヒューへ捧げる勝利でもあった チームはこの年限りで撤退 コンストラクター名は残るもATSへ売却 ワトソンは優勝含む表彰台3回 5度の入賞で年間順位は7位 ◆R16日本(富士SW)予選4位→決勝リタイア◆ 翌1977年はブラバムに移籍します #1976年 #F1-1976年 #F1-初優勝 #F1 #デアゴスティーニ https://muuseo.com/FW12C/items/675
J.WATSON F1マシンコレクション 1976 28FW12C
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1979 9TH PMA McLAREN FORD M28 J.WATSON
ジョン・ワトソン イギリス出身 1979年はブラバムからマクラーレンに移籍 TMは残留したパトリック・タンベイ マクラーレン初のグランドエフェクトカー ニューマシン M28を開幕戦から投入 ワトソンは予選6位→決勝3位表彰台 これが1979年のベストリザルト 前半M28で予選は中段から下位に沈み 後半のR9イギリスから早くもM29を投入も 大きな改善なくマクラーレンは不振に陥る それでもワトソンは7回入賞で 年間順位は9位 15ポイント TMのタンベイはノーポイントで終了 この後ワトソンは1983年までの5年間 低迷期のマクラーレンを支えた #F1-1979年
J.WATSON 7 1/43 MarlboroFW12C
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1983 6TH PMA McLAREN MP4/1C J.WATSON 〖🏆1〗
#F1-1983年
J.WATSON 7 1/43 McLARENFW12C