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2000 12TH PMA ARROWS SUPERTEC A21 J.VERSTAPPEN
ヨス・フェルスタッペン 1年ぶりの復帰 直線番長 ARROWS SUPERTEC A21 前年度HONDAのテストドライバーから 2000年ヨスはアロウズでF1復帰 アロウズ(フットワーク)には1996年以来 チームメイトはペドロ・デ・ラ・ロサ エンジンは自社製(ハート)から ルノーベースのスーパーテックに変更 エグバル・ハミディがデザインしたA21は ドラッグの少ないスピード重視のマシン シーズン前のTESTから速さを見せ 本戦でも決勝レース中の最高速を17戦中 チームで7回も記録(ヨス4回 デ・ラ・ロサ3回) フェルスタッペンは高速コース R8カナダで決勝5位 R14イタリアGPで4位 日本では〖直線番長〗とも呼ばれた しかし信頼性は不足でリタイアは10回 年間では5ポイントでランクは12位 モデルはミニチャンプス GP仕様表記の無いRACE CAR仕様 フランスの大手携帯キャリア Orangeがスポンサーとなり車体もオレンジ ヨスのF1キャリア終盤を象徴する1台
240303 J.VERSTAPPEN 2000 19FW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN (BELGIAN GP)
ヨス・フェルスタッペン 連続3位は‥BENETTON FORD B194 1994年R11ベルギーGP この年の序盤戦の度重なる事故を受け スパ・フランコルシャンの超高速 名物コーナー オー・ルージュに 急遽シケインが設置された(1994年のみ) 前R10ハンガリーGPで 初ポイントを初表彰台3位で飾った ヨス・フェルスタッペン R11ベルギーGPは雨の影響もあり ジョーダンのルーベンス・バリチェロが 当時最年少となるPPを獲得 ヨスはキャリアベストとなる予選6位 決勝は4位でフィニッシュ その約5時間後チームメイトで トップでチェッカーを受けた ミハエル・シューマッハが車両規定違反で 失格となりヨスは繰り上がりで3位 2戦連続での3位となったが ベルギーは表彰台に上がらずの3位 ヨスのキャリア最後の3位で キャリア連続の入賞もこの2戦限りであった モデルはミニチャンプス レジン製でベルギーGP仕様として発売 15か所もあるMILD SEVENのデカール添付 マシンに2か所の車載カメラや この年途中レギュレーション変更れた エアボックス開口部分の背面に穴も再現
231123 J.VERSTAPPEN 204 6FW12C
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1998 (25TH) PMA STEWART FORD SF-2 J.VERSTAPPEN
1998シーズン唯一のドライバ―入替 ヨス・フェルスタッペン STEWART SF-2 1998年シーズンは途中の ドライバ―入替があったのは スチュワートグランプリのみ ヤン・マグヌッセンがR6カナダで 初ポイントを獲得直後に契約解除 ヨス・フェルスタッペンに交代した 直前のテストでフェルスタッペンが 好タイムを出した事とFORDを含めた スポンサーからの意向が強かった為 フェルスタッペンは元々ティレルでの 参戦が有力であったがオーナー変更で リカルド・ロセットにシートを奪われた しかしSTEWART SF-2は戦闘力が無く 予選・決勝とも最高位は12位 完走も9戦中僅か3回でチームメイトの R・バリチェロと共に低迷した ヨス・フェルスタッペンは翌1999年は ポスルズウェイト率いるHONDAの プロジェクトのテストドライバー この入替のあった2人のドライバ―子息 マックス・フェルスタッペンと ケビン・マグヌッセンが2023年シーズに RED BULLとHASS所属で活躍しているとは この当時は全く想像できなかった #F1-1998年
230313 J.VERSTAPPEN 19 1/43FW12C
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1997 (22ND) PMA TYRRELL FORD 025 J.VERSTAPPEN
Xウイング装備 TYRRELL FORD 025 ヨス・フェルスタッペン 1997年R3アルゼンチンGP ティレルは マイク ガスコインが発案した小型ウイングを サイドポンツーン上の垂直支持板に取付け SF映画〖スター・ウォーズ〗に登場する 戦闘機になぞらえてXウイングと呼ばれた 低速でダウンフォース必要なGPのみ装備 まさかの翌1998年のトレンドとなった ヨス・フェルスタッペンはアロウズより移籍 ティレルはワークスエンジンを失い フォードV8使用でTMミカ・サロと共に苦しみ 予選はカナダの14位 決勝もモナコの8位が 最高でシングルフィニッシュはこの1回限り フェルスタッペンは1年でティレルを離脱 翌年シートを失うも途中スチュワートに加入 画像①PMA SAN MARINO GP仕様(X WING) 画像②PMA 通常版 画像③ONYX SAN MARINO GP仕様(X WING) 画像④ONYX CANADA GP 仕様 #F1-1997年 #F1 #Xウイング
221115 J.VERSTAPPEN 18 1/43FW12C
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1996 16TH ONYX ARROWS FOOTWORK HART FA17 J.VERSTAPPEN
大型スポンサーと共にアロウズへ移籍 1996年 ヨス・フェルスタッペン フェルスタッペンはベネトンとの契約を 終えて地元オランダに本社がある ヨーロッパ最大の電気メーカーであった フィリップス・カーシステムとともに ハートエンジンのアロウズに移籍する R3アルゼンチンGP予選7位→決勝6位は どちらもシーズンベスト 自身2年ぶりの入賞 シーズン序盤トム・ウォーキンショーが率いる TWRに買収されると翌年に標準を合わせる為 1996年度の開発を止め 信頼性は悪化 フェルスタッペンはチームからの3年契約の オファーを断り翌1997年はティレルに移籍 フットワークのコンストラクター名称の 最後のマシンであるとともに翌年から参戦の ブリヂストンタイヤのテストも実施 フェルスタッペンは日本と関わりが多い ONYXから発売の2種類のモデルは 画像1 R4ヨーロッパGP仕様(後半戦カラー) 画像2 R2ブラジルGP仕様(前半3戦カラー) 契約の関係でフェルスタッペン名称ではなく DUTCH DRIVERの表記になっており ドライバ―ヘルメットのデカールが無い #F1-1996年 #フェルスタッペン #1996年 #F1
J.VERSTAPPEN 17 1/43 ARROWSFW12C
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1995 (31ST) PMA SIMTEK FORD S951 J.VERSTAPPEN
ヨス・フェルスタッペン2年目 シムテックは5戦のみで撤退 フェルスタッペンは前年度の ベネトンの契約が残っており オートマチック用のギアBOX関連と 共に貸し出される形でシムテックの エースのシートを獲得 シムテックは資金難で新車S951は 開幕戦のブラジルGPでシェイクダウン それでもフェルスタッペンは予選で 中盤(ベストはR2アルゼンチン14位) など奮闘し決勝では一時6位を走行 開発資金はおろか運営資金もままならぬ チームはR5モナコで撤退 負債額は約600万ドル チームのあらゆるものが競売にかけられたが 僅か25万ドルにしかならなかった フェルスタッペンは個人スポンサー フィリップ・カー・ステレオの援助を得て 翌1996年はアロウズより参戦 フロントウイングとノーズのスポンサー BARBARAはモナコに拠点を置く スポーツなどのマネージメント会社 元々はローランド・ラッツェンバーガーの スポンサーであったがローランド亡き後も チームのサポートを継続 その一環として当時ヨーロッパで人気上昇の ロックバンドSELF CONTOROLをBARBARA社が 世界プロモ―ション活動として フロントウイングに 彼らのバンドのロゴが貼られています #F-1995年 #F1 #1995年
J.VERSTAPPEN 12 1/43 SIMTEKFW12C
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1999 TEST PMA HONDA RA099 PROTOTYPE J.VERSTAPPEN
2021年 ㊗ WORLD CHAMPION ㊗ M.VERSTAPPEN & HONDA HONDA30年ぶりのWORLD CHAMPION 劇的でした!!!!!! おめでとうマックス ありがとうHONDA こちらはマックス・フェルスタッペンの父 ヨス・フェルスタペンがドライブした 所謂第3期HONDAのF1活動開始時のTESTCAR このプロジェクトの中心人物の ポスルズウェイトの死去により 実戦投入はされませんでしたが フェルスタペン(親子)とHONDAの つながりのはじめての1台 #2021ありがとうHONDA #F1-1999年
J.VERSTAPPEN TEST CAR 1/43 HONDAFW12C
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1994 10TH PMA BENETTON FORD B194 J.VERSTAPPEN
ヨス・フェルスタッペン オランダ出身 言わずと知れた マックス・フェルスタッペンの父 1993年 ドイツF3のチャンピオン 1994年はベネトンのテストドライバーも J.J.レートのケガにより開幕戦から出場 E.アーバイン(ジョーダン)の幅寄せで 宙を舞うクラッシュがデビュー戦(画像4) 途中シートを失うもR7より復帰 R9ドイツではこの年より導入の給油が 漏れて引火(画像5)マシンごと炎に包まれる このドイツGPはMINICHAMPSがスポンサー (画像1& 画像2 PMAモデルもドイツ仕様?) R10ハンガリーで3位初入賞&表彰台 R11ベルギーは予選6位から 4位フィニッシュも繰り上がりで連続3位 この予選6位 決勝3位が ヨス・フェルスタッペンの生涯の最高成績 ウイリアムズとコンストラクター争いの 終盤2戦は再びシートを失い(J.ハーバート) ベネトンに翻弄されたデビューとなった 画像3 ONYX 通常モデル 画像6 PMA TEST B193B 画像7 ONYX TEST B193B #F-1994年 #F1 #ベネトン #フェルスタッペン #1994年
J.VERSTAPPEN 6 1/43 BENETTONFW12C