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1970 8TH QUARTZO MARCH 701 C.AMON (GP BELGIUM)
マーチに移籍 1秒差の2位 クリス・エイモン MARCH 701 1970年前年度フェラーリを離脱した クリス・エイモンは新規マーチに移籍 開幕から3戦連続リタイアで迎えた R4ベルギーGP 予選3番手 決勝は1周目にトップに立ち 1度は後退したものの3~4周目に再度浮上 その後はペドロ・ロドリゲス(BRM)に抜かれ トップに食らいつき最終28周目には ファステストラップで追い上げるも 1.1秒差の2位フィニッシュ 勝利には届かずキャリア2度目の2位であった モデルはQUARTZO R4ベルギーGP仕様 予選3位→決勝2位 自身初のファステストラップ記録 このモデルブランドのQUARTZOは ポルトガルのVITESSE(ビテス)社のブランド ビテスが2000年に破綻した為 型はIXOに移転 その後 Sun Star社(アメリカ?)がブランド継承 旧QUARTZOのエイモンのMARCH 701は フランスGP仕様での販売で カーナンバーやSTPのロゴなどが異なる https://muuseo.com/FW12C/items/1508?theme_id=43150
240218 C.AMON 1970 1回FW12C
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1968 10TH BRUMM FERRARI 312 F1 C.AMON
クリス・エイモン フェラーリで キャリアベスト2位 FERRARI 312 F1 1968年エイモンはフェラーリ2年目 チームメイトは前年度クーパーでデビューの ジャッキー・イクスが抜擢される エイモンは開幕戦南アフリカGPで4位 R2スペインGP 予選で初PP獲得 チーム欠場のR3モナコを挟み R4・R5と出場3戦連続でPPを獲得 エイモンの生涯獲得PPは5回 R7イギリスGPでは予選3位から プライベータの雄J・シフェールに敗れるも 自身初の2位表彰台を獲得する しかしその後は5戦連続リタイア 途中イクスは初優勝含む5戦連続入賞と 明暗が分かれる結果となった モデルはBRUMM GP仕様の表記は無いが 1968年はカーナンバーは固定でなく GPごとの登録の為 GPで異なる エイモンがカーナンバー9で出場したのは R5オランダ R9イタリア R10カナダ 海外のサイトなどではこのモデルを R5オランダGP仕様としているが このGPの決勝の映像を見ると リアウイングが装着されている為 リアウイングの無い当モデルは 何GPのモデルなのか詳細は不明 それでも1968年のエイモンの フェラーリで唯一2位の年のマシン というだけで個人的には満足です
230914 C.AMON 1968 9FW12C
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1972 10TH SPARK MATRA MS120D C.AMON
クリス・エイモン 最後のPP FL 表彰台 チームマトラの最後 MATRA MS120D 1972年マトラに残留のエイモン マトラはエイモン1台体制でエントリー R5ベルギーGP自身2度目のFL記録 R6フランスGPマトラの最終形MS120Dを投入 予選はエイモン自身5度目のPP獲得 決勝は19周目までトップ快走も最終3位表彰台 2連続での決勝FLも記録 このフランスGPの通算5度目PP 11度目の表彰台 3回目のFL がエイモン自身最後の記録 チーム マトラはル・マンに集中する為 この年限りでF1から撤退 エイモンもシートを失い翌1973年は 小規模チームテクノで参戦 モデルはスパークの初期のF1リリース シルバーのスリーブで台紙には Sparkの旧青文字がロゴ印字されている
230820 C.AMON 1972 2回FW12C
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1974 (30TH) SPARK BRM P201 C.AMON
クリス・エイモン自身10チーム目 終盤2戦 BRM P201で出走 1974年自己チームエイモン設立も 入賞どころか完走すらなく 資金難でR13イタリアGPで撤退 そんな中でBRMより声がかかり 終盤2戦をエントリー BRMが自身通算10チーム目となった チームメイトはJ・P・ベルトワーズ BRMはこの年スポンサーはフランスの オイル会社モチュールが付き カラーリングがグリーンとシルバーに変更 R14カナダGP予選25位→周回不足 R15アメリカGPはベルトワーズ欠場の中 予選12位→9位この年唯一の完走 チームBRMもかつての輝きは無く 翌1975年は1台体制になり エイモンはエンサインに移籍した
230707 C.AMON 15 1/43FW12C
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1974 (30TH) SPARK AMON AF1 C.AMON
クリス・エイモンオーナー兼ドライバ― チーム〖エイモン〗設立 AMON AF1 1974年 クリス・エイモンはかつて所属の フェラーリが再度獲得との噂もあったが 実現せずに前年度所属したテクノの マシンを基にオリジナルのマシン AF1を制作チーム〖エイモン〗で参戦 大型のリアウイングを装備しており フロントウイングはフロントノーズ後端に 1枚のウイングが乗った形状であったが ノンタイトル戦の事故を受けて 一般的なウイングノーズに変更 R4スペインGPから参戦 予選24位 決勝はブレーキシャフトが壊れリタイア R6モナコは予選20位で通過も 決勝はトラブルもありスタートせず R11ドイツは2台体制となり 同郷のラリー・パーキンスが出場するも 2台とも予選通過ならず R13イタリアGPも予選落ちで 資金難も重なりチーム〖エイモン〗は わずか4戦のエントリーで消滅した エイモンは1974年の終盤2戦を BRMで出場し最終戦アメリカGPでの 予選12位→決勝9位がシーズンベスト
230527 C.AMON 1974 30FW12C
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1970 8TH QUARTZO MARCH 701 C.AMON (GP FRENCH)
新規チーム MARCHに移籍 クリス・エイモン MARCH 701 1970年 前年度フェラーリを離脱した クリス・エイモンは新規マーチに移籍 チームメイトはJ・シフェールの他 スポット参戦でマリオ・アンドレッティなど マーチのワークスチームにはSTPが メインスポンサーで赤ベースのカラーリング タイヤはファイヤストーン また前年度チャンピオンの ジャッキー・スチュワートもR10まで ティレルで同一のMARCH 701で参戦した エイモンはR4ベルギーGP 予選3位から自身初のファステストラップ リーダーラップも3周記録の2位表彰台を獲得 R6フランスGPでも生涯最後の2位(通算3度目) 年間では2位2回 3位1回など6度の入賞 またしても勝利とはならずも マーチワークスではトップの7位 同一マシンのティレルのスチュワートは5位 エイモンは1年でマーチを去り 翌1971年はマトラに移籍 #F1-1970年
230323 C.AMON 1回 14FW12C
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1969 12TH BRUMM FERRARI 312 C.AMON
資金難フェラーリ 1台エントリー クリス・エイモン途中離脱 1969年フェラーリは資金難で市販車部門が 経営安定のためフィアット傘下に入る状況 スクーデリア・フェラーリはエンツォが 立て直しを図り1台のみのエントリー クリス・エイモンはフェラーリ3年目 R2スペインGPでは予選2位 決勝は途中トップに立つと2位に 40秒以上の差をつけ独走状態であったが エンジンが壊れまたも初勝利ならず フェラーリV型12気筒エンジンの信頼性が低く エイモンは6戦中5戦リタイア R4オランダGPの決勝3位が唯一の完走 翌年からの新しい水平対向12気筒エンジンの トラブルも頻発したことで業を煮やし エイモンはフェラーリを途中離脱 皮肉にもこのエンジンが翌1970年後半から フェラーリに勝利をもたらす モデルはBRUMMのFERRARI 312 ラジエータ付エアスポイラー仕様 エイモンのフェラーリでの約2年半の成績は 27戦 予選 PP3回 決勝 2位1回 3位5回 入賞10回
230215 C.AMON 1/43 FERRARIFW12C
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1967 5TH HOT WHEELS FERRARI 312 C.AMON
最強の未勝利ドライバ― クリス・エイモン ル・マン24時間優勝経てフェラーリ移籍 1967年それまでローラやプライベーターで 参戦してきたクリス・エイモンは 前年B・マクラーレンと組んだ ル・マン24時間での優勝などが評価され フェラーリに移籍 TMはL・バンディーニ フェラーリ初戦のR2モナコGPでは 予選14位ながら決勝は3位表彰台獲得 エイモンの生涯表彰台は11回 このGPではフェラーリのエースであった L・バンディーニが不運もあり事故死 エイモンは実質1人でフェラーリを支えた 最終的に3位を4回など6度の入賞で 年間順位は5位(ポイントは4位タイ) これはエイモンの生涯ベストリザルト #F1-1967年
221021 C.AMON 8 1/43FW12C
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1971 11TH SPARK MATRA MS120B C.AMON
F1未勝利ドライバ― クリス・エイモン 非選手権GPでの勝利 MATORA MS120B C・エイモンはマーチからマトラに移籍 TMはJ・P・ベルトワーズ マシンは昨年の改良型MS120B 開幕 南アフリカGP 予選2位→決勝5位 R2スペインGP 予選3位→決勝3位表彰台 モデルはR5フランスGP仕様 ポールリカール 予選9位→決勝5位入賞 R9イタリアGPは3年ぶりのポールポジション 決勝は8人のドライバーがTOPに立つ大混戦 終盤エイモンもリーダーラップを記録するも ヘルメットのシールドが外れてるという 悲運もあり6位に終わる F1では生涯未勝利に終わったエイモンがだ 1971年の開幕戦前の非選手権の アルゼンチンGPでは優勝をしている #F1-1971年
220917 C.AMON 20 1/43FW12C
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1964 16TH SPARK (REG PARNELL) LOTUS 25 BRM C.AMON
クリス・エイモン F1初ポイント REG PARNELL LOTUS 25 BRM V8 1963年当時2番目の若さ19歳309日で エントリーしたC・エイモンは 1964年プライベートチーム レッグ・パーネルで LOTUS 25のマシンで参戦 エンジンはBRM チームメイトはマイク・ヘイルウッド ピーター・レブソン 3名での参戦 R2オランダGPで予選13位→ 決勝5位での自身F1初入賞 エイモンの生涯入賞は29回 モデル仕様のR4フランスGPは 予選14位→決勝10位だったが 参戦9戦中完走3 リタイア5 DNQ1 リタイアが多かったものの チームの3人の中では年間順位は最上位16位 1965年・1966年はスポット参戦で 入賞は無かったがその走りが エンツォ・フェラーリの目に留まり 1967年にフェラーリへ加入する #F1-1964年 #F1
C.AMON 34 1/43 REG PARNELLFW12C
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1976 18TH SPARK ENSIGN N174 C.AMON
史上最強の未勝利ドライバ― クリス・エイモン ラストイヤー 1963年から参戦のエイモン最後の年 1976年はエンサインのレギュラーシート 開幕戦欠場後旧型のインダクションポッドが 高い位置にデザインされたN174でR2・R3を戦い モデルはR3アメリカW 予選17位→決勝8位 レギュレーションに合わせた新型N176 初戦R4スペインで予選10位→決勝5位入賞 自身3年ぶり通算29回目最後の入賞 R7スウェーデンGP予選3位 R9イギリスGP予選6位と速さ見せるも R10ドイツGPでのN・ラウダ(フェラーリ)事故を見て ヘルメットを置く決意をしてチーム離脱 R14カナダはウイリアムズで予選のみを走行し F1の長いキャリア14年の幕を閉じた 引退後は母国で家業の農業に従事した クリス・エイモン (ニュージーランド) 決勝出走回数 97回 予選最高位 PP(5回) 1968年 フェラーリ R2スペイン 1968年 フェラーリ R4ベルギー 1968年 フェラーリ R5オランダ 1971年 マトラ R9イタリア 1972年 マトラ R6フランス 決勝最高位 2位(3回) 1968年 フェラーリ R7イギリス 1970年 マーチ R5ベルギー 1970年 マーチ R6フランス ファステストラップ 3回 1970年 マーチ R4ベルギー 1972年 マトラ R5ベルギー 1972年 マトラ R6フランス リーダーラップ 183周 #F1-1976年 #1976年 #F1
C.AMON 1976 22 1/43FW12C