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1999 (19TH) PMA WILLIAMS SUPERTEC FW21 A.ZANARDI
5年ぶりF1復帰 アレサンドロ・ザナルディ CART2年連続チャンピオンも無得点 1994年ロータスで最後にF1出場後 1996年~アメリカCARTに主戦場を移し 1997年5勝1998年7勝で連続チャンピオン 鳴り物入りで5年ぶりウイリアムズでF1復帰 F1キャリア5年目で唯一のフル参戦 序盤からチームメイトの ラルフ・シューマッハが入賞する中 ザナルディは完走すらままならない状況 地元R13イタリアGPで自己最高の予選4位 決勝は一時2位走行も最終7位に終わる この時皮肉にもラルフは2位表彰台 結局ザナルディは完走5/16回 入賞無の年間(19位)に終わった ウイリアムズのレギュラードライバ―が 年間無得点に終わるのは史上初の出来事 2年契約を打ち切りこの年で ザナルディはF1から離れ2001年にCARTに 復帰するも大事故で両足膝上から切断 その後車いすのハンドサイクルの競技で 2012年にロンドンパラリンピックに出場 個人金メダル2個 団体銀メダル1個獲得 その場所はかつてカーレースも参戦した ブランズ・ハッチのサーキットであった 🏁アレッサンドロ・ザナルディ (イタリア) 【決勝出走数】41回(入賞1回) 【予選最高位】 4位 1999年 WILLIAMS R13 イタリア 【決勝最高位】 6位 1993年 LOTUS R2 ブラジル
230718 A.ZANARDI 1999 5FW12C
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1994 (30TH) SPARK LOTUS 109 A.ZANARDI
名門チームロータス最後のマシン LOTUS 109 アレッサンドロ・ザナルディ 1994年A・ザナルディはロータスの テストドライバーでスタート 前年の1993年はケガの為P・ラミーに シートを奪われたが1994年は逆に ラミーのケガによりR5スペインGPより参戦 旧型の107Cで2戦を走り R7フランスGPよりLOTUS 109で走行も 旧マシン107CのR5スペインの決勝9位が最高 シーズン途中2戦はP・アダムスにシートを譲り J・ハーバートが移籍した為が同一チームながら R14ヨーロッパGPからはカーナンバーが 11→12に変更になる珍しいパターン R15日本GPではスポンサーの塩野義製薬の 商品名『新ポポンS』が貼られたマシンで走行 TMのM・サロは『セデス・ハイ』 そのサロとともにR16オーストラリアGPが 結果的に名門ロータスの最後のGP 通算決勝1223回目出走となった ザナルディはF1を離れCART(インディ)に挑戦 1997年・1998年にチャンピオンとなり 1999年ウイリアムズでF1に復帰します #F1-1994年 #1994 LOTUS 109 M・サロ『セデス・ハイ』仕様↓ https://muuseo.com/FW12C/items/260?theme_id=33228
A.ZANARDI 11 1/43 LOTUSFW12C
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1993 20TH ONYX CASTROL LOTUS 107B A.ZANARDI
アレッサンドロ・ザナルディは 1991年ジョーダン 1992年ミナルディ でスポット参戦 1993年はようやくロータスで レギュラーシートを獲得 R2ブラジルGPは途中ウェットに なるコンディションの中 決勝6位 結果これが生涯唯一となる入賞 ザナルディは R4サンマリノ 炎を上げて走行(5) R5スペインで 白煙上げて走行(6) が話題となりました R12ベルギーのフリー走行中 オー・ルージュで大クラッシュ(7)で 戦線離脱となってしまった ロータスは87年から開発の (フル)アクティブサスペンションを ようやく実践投入 (1992年はセミアクティブ) しかし 次年度からは禁止となり このことは悪夢の1994年の 遠因となったかもしれません #1993
A.ZANARDI 11 1/43 LOTUSFW12C
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1991 (31ST) PMA JORDAN FORD 191 A.ZANARDI
R14スペインGPよりR.モレノに代わり A.ザナルディがデビュー 予選20位→決勝9位完走 R15日本GPでは7UP→PEPSIに変更 これは日本で7UPがあまり 流通していなかった為 スポットでUSEN440と日清製粉が 日本GPではスポンサーサポート FUJIFILM SHOEIなど多くの ジャパンマネーが支えています 最終戦のオーストラリアでは 再び7UPにもどっています(画像4) #1991 #F1
A.ZANARDI 32 1/43 JORDANFW12C