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1988 11TH SPARK WILLIAMS JUDD FW12 R.PATRESE
鉄人 リカルド・パトレーゼ ウイリアムズ本格参戦苦戦の初年度 1987年最終戦のみウイリアムズで出場 1988年はフル参戦1年目 この後自身最長の5年間同チームに在籍 TMはN・マンセル マンセル2戦欠場時は M・ブランドルとJ.L.シュレッサー 1988年はJUDDエンジンに変更と リアアクティブサスペンションの熟成不足で ウイリアムズは苦戦のシーズン パトレーゼの前半戦はモデル仕様の R3モナコの予選8位→決勝6位が唯一の入賞 リアアクティブサスペンションを 後半戦は撤回して成績が上昇 終盤3戦で5位 6位 4位と連続入賞も 完走率50% 入賞5回 年間順位は11位 パトレーゼは1988年でF1キャリア12年目 最終戦オーストラリアはF1参戦174戦目で 当時のF1最多参戦記録 J・ラフィーと G・ヒルが持つ175戦に残り1戦と迫っていた 1988年~1990年の3年間ウイリアムズは タバコのBARCLAYがスポンサー #1988
R.PATRESE 1/43 BARCLAY WILLIAMSFW12C
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1988 (30TH) SPARK WILLIAMS JUDD FW12 J.L.SCHLESSER
ジャンールイ・シュレッサー フランス出身 叔父のジョー・シュレッサーも 1968年ホンダでR6フランスGPに出場 残念ながらこのGPで事故死している 1983年RAMにて参戦時は予選不通過 1988年は病欠のN・マンセルの代役として R12イタリアGPに出場 予選はTM R・パトレーゼから 約2.1秒遅れの22位で通過 決勝はラスト2週 周回遅れで走行中に第1シケインで トップ走行のA・セナ(マクラーレン)に タイヤをロックさせて接触 セナはリタイヤ(10位完走扱い) シュレッサーは11位で完走 結果的ではあるがこれが マクラーレン・ホンダの16戦全勝を阻んだ シュレッサーは2001年ダカールラリーで 日本人で優勝目前の増岡浩に妨害 計測ミスもあり総合2位に 追いやったことでも話題に上がった 世界耐久選手権では ザウバー・メルセデスで 1989年.1990年と連覇している
J.L.SCHLESSER 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1988 9TH WILLIAMS JUDD FW12 N.MANSELL
#1988
N.MANSELL 5 1/43 BARCLAYFW12C
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1988 (20TH) SPARK WILLIAMS JUDD FW12 M.BRUNDLE
1988年はM・ブランドルは レギュラーシートを失い マンセルの代役でのスポット参戦のみでした ベルギーGP 予選12位→決勝7位 カーナンバー5はレッド5のままです SPARKはこのようなモデルを 出してくれるのが良いです #1988
M.BRUNDLE 5 1/43 BARCLAYFW12C