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1982 (27TH) SPARK TYRRELL 011 B.HENTON
ヨーロッパF2チャンピオン B・ヘイトン F1ポイント獲得ならず ブライアン・ヘイトン イギリス出身 1974年から参戦したヨーロッパF2では 参戦7年目の1980年に悲願のチャンピオン 1975年には全日本F2000にもスポット参戦 F1では1975年のロータスを皮切りに マーチ→PVマーチ→ボロ→サーティス 1981年トールマン初のレギュラードライバ― 1982年アロウズ→R4サンマリノGPより S・ボルグッドに代わりティレルで参戦 チームメイトのミケーレ・アルボレートが 初の表彰台&初優勝の中 ヘイトンは予選最高11位 決勝最高7位 いずれも生涯のベストリザルトで F1での入賞はならなかった R10地元イギリスで自身唯一の ファステストラップを記録 モデルはR15イタリアGP仕様 (予選14位→決勝R) 後半戦仕様のディープグリーンが鮮やかで スイスの香水DENIMがメインスポンサー #F1-1982年 🏁ブライアン・ヘイトン (イギリス) 【決勝出走数】18回(入賞0回) 【予選最高位】 11位 1982年 TYRRELL R4 サンマリノ 【決勝最高位】 7位 1982年 TYRRELL R12ドイツ 【ファステストラップ】 1回 1982年 TYRRELL R10イギリス
B.HENTON 1回 3 1/43FW12C
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1981 (27TH)+α SPARK TYRRELL 011 M.ALBORETO
名車 TYRRELL 011 白いティレル M・アルボレート 1981年ティレルはニューマシン011を R10 ドイツGPでE・チーバー R12 オランダGPでM・アルボレートに投入 前車009 010が他チームの模倣だったのに対し 011はモーリス・フィリップの独自デザイン R12オランダGPでM・アルボレートは シーズンベストの決勝9位(モデル仕様) 前半戦はティレルブルーの車体であったが 後半は白いベースにブルーノロゴに変更 スポンサーにIMOLAは イタリアのタイルメーカー このTYRRELL 011でアルボレートは 1982年に初優勝 1983年に2勝目を上げている https://muuseo.com/FW12C/items/1080?theme_id=38179 #F1-1981年 #1981年
221013 M.ALBORETO 4 1/43FW12C
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1982 (29TH) SPARK TYRRELL 011 S.BORGUDD
元ABBAのドラム担当 スウェーデン出身 スリム・ボルグッド 最後のマシン 1981年S・ボルグッドはATSよりデビュー デビュー時は34歳の遅咲きドライバ― 1982年はティレルに移籍 チームメイトはM・アルボレート ティレルでの出走は3戦のみで R2ブラジル予選21位→決勝7位が最高 3戦とも完走したが入賞はならず アルボレートには予選・決勝とも全敗 持ち込み資金が尽きて4戦以降は ブライアン・ヘイトンにシートを譲り ボルグッドはF1からは引退 前年のATS時代に6位入賞を1回果たしている F1デビュー前はプロミュージシャンで 同胞のスウェーデンのPOPグループ ABBAの初期のドラムを担当しており ATS時代はABBAのロゴをマシンに貼っていた #F1-1982年 #ABBA #1982年 🎧ABBAが聴きたくなって貼り付けました https://www.youtube.com/watch?v=xFrGuyw1V8s&pp=ygUEQUJCQQ%3D%3D
220928 S.BORGUDD 4 1/43FW12C
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1982 8TH IXO TYRRELL FORD 011 M.ALBORETO 〖🏆1〗
1982年の11人のWINNERSの最後の一人 M・アルボレートの初優勝 最終戦のR15 USAGPラスベガス 予選3位 終盤ペースの落ちたプロスト(ルノー)を抜き そのまま24週トップを走りチェッカー ファステストラップもマーク スポンサーにはスポットで セブンイレブンがサポート 画像7枚目サーキットの 看板はNISSAN DATSUN の文字 画像8枚目表彰台では 歌手のダイアナロスが祝福 左はチーバー(リジェ) 右はワトソン(マクラーレン) レーシングスーツの Candyはイタリアの家電メーカー アルボレートのパーソナルスポンサー #1982年 #F1-1982年 #TYRRELL #F1
M.ALBORETO F1マシンコレクション 3 51FW12C