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1995 7TH PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES M.HAKKINEN
マクラーレン フル参戦2年目M・ハッキネン メルセデスエンジン 選手生命危機の事故 1992年HONDA撤退後 マクラーレンは FORD→プジョー→メルセデスと 4年で4種のエンジンメーカー 1995年に導入されたマシンMP4/10は エンジンカウルを水平方向に延長して その上の小型のセンターウィングが特徴 しかしながら他チームの追随も無く センターウイングの効果は懐疑的 不格好なハイノーズと共に空力面で 遅れを取り 結果2年連続 計33戦未勝利 ハッキネンはR12イタリアで2位 R15パシフィックは虫垂炎で欠場 (代役はJ・マグネッセン(デンマーク) 復帰のR16鈴鹿では再び2位も 年間の入賞は4回で順位は7位 最終戦のオーストラリア 予選 タイヤのパンク起因でウォールに激突 衝撃で舌を噛み切ってしまう等 選手生命の危機ともなる事故を起こす モデルの台紙はMERCEDES別注の初期 グレーのカラーをベースに スリーポインテッドスターが印刷されている #1995 #F1 #MERCEDES別注 #McLAREN #ハッキネン
M.HAKKINEN MERCEDES 7 1/43FW12C
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1995 10TH PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES M.BLUNDELL
マーク・ブランデルF1最後の車体 McLAREN MP4/10 MERCEDES 1995年ブランデルは急遽 N・マンセルの代役としてR1・R2を マクラーレンで参戦する マンセル用の広いコックピットを 作成する間の暫定であった マンセルがR4モナコで離脱の為 R5スペインGPからもシート獲得 数戦ごとの契約で最終戦まで走行 R16鈴鹿では予選でまともに走れず タイムは16分42秒 1995年は予選落ちが無く これはF1史上でも最も遅い予選通過タイム 年間ではTMのM・ハッキネンを 入賞回数では上回り6度 ポイントでは負けて13P 年間10位 翌1996年はザウバーのシートを 狙うもJ・ハーバートに敗れ獲得ならず 盟友M・ブランドルより1年早く 1995年でF1からは引退した マーク・ブランデル (イギリス) 決勝出走回数 61回 入賞回数 13回 予選最高位 4位 1993年 リジェ R8フランス 決勝最高位 3位(3回) 1993年 リジェ R1南アフリカ 1993年 リジェ R10ドイツ 1994年 ティレル R5スペイン #1995
M.BLUNDELL 7 1/43 McLARENFW12C
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1995 (29TH) PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES N.MANSELL
荒法師ナイジェル・マンセル 最後のマシン McLAREN MP4/10 1995年契約問題でD・クルーザードが ウイリアムズに残留しマクラーレンの 空席にスポンサーの意向もあり マンセルがシートを獲得する しかしTESTから不振のマクラーレン コックピットの狭さを理由に 開幕1・2戦を欠場(代役はM・ブランデル) 1ケ月という早さでコックピットを作成 R3サンマリノより出場するも 予選決勝ともTM M・ハッキネンに敗れ 予選9位→決勝は10位での完走 R4スペンインは決勝リタイヤで このGPをもってマクラーレンを離脱 結果的にこれがマンセルの 184回目のラストレースとなった 数々の名勝負また物議を醸しだした 大英帝国の愛すべき息子 マンセル 1980年代四天王の最後の1人でもあった ナイジェル・マンセル (イギリス) 決勝出走回数 184回 予選最高位 PP(32回) 決勝最高位 優勝(31回) ファステストLAP(30回) ワールドチャンピオン 1992年 ウイリアムズ 16戦9勝 #F1最後のマシン #1995 #F1
N.MANSELL 7 1/43 McLARENFW12C