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1990 (28TH) ONYX MINARDI M190 P.BARILLA
イタリアパスタ会社の御曹司 パオロ・バリラ MINARDI M190 パオロ・バリラ イタリア出身 世界的に有名なパスタブランド バリラ社の御曹司 1985年ルマン24時間チャンピオン 1989年日本GPにスポット参戦 1990年ミナルディのレギュラーシート獲得 チームメイトはP・マルティニ 開幕戦R1アメリカGPは 生涯自己最高の予選14位 決勝は体調不良により54/72周でリタイア R3サンマリノGPは予選27位 チームメイトのマルティニが 予選10位のタイムを出していたが クラッシュして足を骨折 決勝は欠場したためバリラが繰り上がり 予選26位の最後尾から決勝11位 これがバリラの生涯ベストリザルト R14までに6度の予選落ちで契約解除 R15日本GP鈴鹿~は翌1991年から搭載決定した フェラーリエンジンのテストドライバー ジャンニ・モルビデリにシートを譲った バリラのF1はこの年限りで終了 日本での活動も多く無限エンジンや ブリヂストンタイヤのテストドライバーも務めた
P.BARILLA 24 1/43 MINARDIFW12C
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1990 (21ST) ONYX MINARDI M190 P.MARTINI
ミスターミナルディ P・マルティニ 予選フロントロー獲得 1990年ミナルディ4年目の ピエルルイジ・マルティニ チームメイトはパオロ・バリラ 終盤2戦はジャンニ・モリビデリ 前年度後半の勢いそのままに 開幕戦アメリカGPフェニックス 予選途中でトップタイムを叩き出し あわやミナルディ初のPPと思われたが 最後にG・ベルガー(マクラーレン)に 0.067秒差で敗れ惜しくも予選2位 ミナルディとマルティニにとって キャリア唯一のフロントロー獲得 決勝は予選好調が持続せず7位 その後R4モナコGPより ニューマシンM190を投入 リアセクションを大幅に変更したが 思うような結果は出せず 3シーズンぶりにミナルディ マルテニともにノーポイントに終るも 翌シーズンのフェラーリエンジン獲得が 発表されてマルティニもチームに残留 モデルはONYX M190の量販モデルのリリースはONYXのみ ミナルディカラーとも言うべき 黄色・白・黒の3色カラー メインスポンサーのSCM groupは 1952年創業のイタリア木工加工機械会社
P.MARTINI 1990 23 1/43FW12C