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1993 7TH SPARK LIGIER JS39 M.BRUNDLE
2度目のブランドル・ブランデル イギリス人コンビ LIGIER JS39 1993年はリジェはドライバ―を一新 当初は前年度にブラバムで参戦 ウイリアムズのテストドライバーも 務めたデイモン・ヒルにオファーも固辞 その後も実力者イギリス人ドライバ―で ベネトン離脱のマーティン・ブランドルと マクラーレンのテストドライバーであった マーク・ブランデルを起用 実況泣かせの2度目のM・Bコンビ結成 1976年から参戦のリジェ史上初めて フランス人ドライバ―無しとなった 当時最強のルノーエンジン2年目 マシンともマッチして飛躍 ブランドルはR4サンマリノGPで 予選10位→決勝3位表彰台を獲得 ここから13戦で半分以上の7度の入賞 チームも最終戦まで4位フェラーリと争い 敗れたものの4強に次ぐ5位に躍進 ブランドルは終盤2戦を 日本でのGITANEタバコ発売記念の 特別artカラーで出場し話題となった https://muuseo.com/FW12C/items/124?theme_id=31948
230626 M.BRUNDLE 25 1/43FW12C
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1993 10TH SPARK LIGIER GITANES JS39 M.BLUNDELL
ヘルメットの上部が黄色のMBの文字は マーク・ブランデル 1年ぶりのF1復帰 前年度はマクラーレンのテストドライバー ルマン・24時間でプジョー・905で優勝 (TMはD.ワーウィック Y.ダルマス) 1993年リジェはチーム史上初めて フランス人ドライバ―無し しかもイギリス人実力者MBコンビ オーナーがリジェ→シル・ド・ルーブル に代わったことに起因するが フランス国内・スポンサーからはかなりの反発 オーナーも後に横領で逮捕される ブランデルは開幕戦南アフリカで3位 R10ドイツGPでも2度目の3位(モデル仕様)など カスタマーながらウイリアムズと同スペック のエンジンもありコンストラクターも フェラーリに迫る5位と躍進 しかしながらフランス人ドライバ―無し問題 もあり??両ドライバーともリジェを離脱 マーク・ブランデルとマーチン・ブランドル F1界の峰竜太と竜雷太 F1界の柏原芳恵と榊原郁恵 は別々のチームに移籍します #1993
M.BLUNDELL 26 1/43 LIGIERFW12C
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1993 7TH SPARK LIGIER JS39 M.BRUNDLE GP AUSTRALIAN
日本GITANES発売記念 ブランドルのみの 2戦限定ARTカラー LIGIER JS39 1993年 リジェに移籍 M.ブランドル 2度目のM.ブランデルとのMBコンビ 表彰台はサンマリノの3位のみも 入賞は7回 13ポイント 年間順位7位 日本GPは日本国内でのGITANESの タバコ販売記念としてイタリアの漫画家 Hugo Pratt氏が手掛けたartカラーで出走 (ブランドルのみ 現在では規定違反) モデルは次戦のオーストラリアGP仕様 予選8位→決勝6位入賞 好評だった為?かartカラーは継続されました 画像5枚目 ONYXでも発売されてます。 出来はもちろんSPARKの方が良いですが 約25年以上前にONYXが発売したことに敬意 (恐らくJS37にデカール添付??)
M.BRUNDLE 25 1/43 GITANESFW12C