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1991 TEST PMA JORDAN FORD 191 B.GACHOT
新規参戦ジョーダングランプリ 開幕前 TEST仕様 JORDAN FORD 191 1991年新規参戦ジョーダングランプリ デビューマシンは当初ジョーダン911と ネーミングされていたがポルシェから クレームが入り ジョーダン191に変更 マシンはゲイリー・アンダーソンと マーク・スミスらによる設計 フロントはトーショナルウイングと 呼ばれる独特の形状を採用し サイドはリアエンドに向けて 下部をえぐり込むような形状で 他チームが模倣するデザインであった シーズン前のテストではフォードHB エンジンを早々に獲得ししたものの カラーリングは謎に包まれ カーボン地の黒にチームロゴだけが添付され 攻撃機F-117になぞらえステルスと呼ばれた このテストでは70~80年代活躍の J・ワトソンとレギュラーシート獲得の ベルトラン・ガショーがドライブ 初参戦ながら好タイムを連発 その後メインスポンサー7UPを獲得 7UPとアイルランドのナショナルカラー アイリッシュグリーンとブルーに塗装 1991年シーズンを彩った1台となった #F1-1991年
230418 B.GACHOT TEST CAR 240FW12C
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1991 (31ST) PMA JORDAN FORD 191 A.ZANARDI
R14スペインGPよりR.モレノに代わり A.ザナルディがデビュー 予選20位→決勝9位完走 R15日本GPでは7UP→PEPSIに変更 これは日本で7UPがあまり 流通していなかった為 スポットでUSEN440と日清製粉が 日本GPではスポンサーサポート FUJIFILM SHOEIなど多くの ジャパンマネーが支えています 最終戦のオーストラリアでは 再び7UPにもどっています(画像4) #1991 #F1
A.ZANARDI 32 1/43 JORDANFW12C
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1991 13TH PMA JORDAN FORD 191 B.GACHOT
国際F3000で成功したEJRが ジョーダンGPとしてF1に進出 前年度コローニから ベルトラン・ガショーが移籍 チームメイトはA・チェザリス オフシーズンのテストがら 高いパフォーマンスを披露 フォードHBエンジンを獲得し メインスポンサーは7up 鮮やかなグリーンとブルーに 彩られたマシンには印象的 開幕戦アメリカGP ガショーが 予備予選4位➡予選は4位➡決勝10位 モデルはジョーダンその初GP出走モデル R5カナダ5位 R8イギリス6位 R7ドイツ6位 R8ハンガリー FLと順風満帆 しかしガショーはタクシー運転手に 痴漢撃退スプレー噴射事件を起こし逮捕 チームを解雇されたがこれが M・シューマッハのデビューにつながる 1年目にセンセーショナルな印象を残した ジョーダンGPは2005年まで15年間活動 #F1-1991年 #F1
B.GACHOT 32 1/43 JORDANFW12C
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1991 10TH+α PMA JORDAN FORD 191 R.MORENO
ベネトン解雇のロベルト・モレノ ジョーダン2戦のみの出走 1991年途中ベネトンを解雇された持参金を元に M・シューマッハと交換の形で ジョーダンに移籍します R12イタリアGPモンツァでは TMのチェザリス(14位)を 上回る予選9位を獲得も決勝はリタイア 出走は次戦R13ポルトガルと2戦のみで ザナルディにシート奪われます 残念ながら前年感動の2位の鈴鹿には 戻ってこれませんでした 最終戦オーストリラはミナルディから出場 こちらのモデルはA・チェザリス B・ガショーの GP仕様のニューリリース時の発売 限定数が220とかなり少ないモデル ONYXはなぜか日本GP仕様のPEPSIになってます #1991 #F1
R.MORENO 220 32 1/43FW12C
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1991 9TH PMA JORDAN FORD 191 A.DE.CESARIS
1991年チェザリスはAGSとの契約撤回 新規ジョーダングランプリで参戦 チームメイトはB.ガショー含む4人 (シューマッハ/モレノ/ザナルディ) 初戦こそ予備予選不通過も モデルのR5カナダGP 予選11位→4位 ここからキャリアハイの 3戦連続含む 5戦中4戦入賞 15戦中10戦完走 完走率60% チェザリスらしからぬ?活躍 チームもコンストラクター5位に躍進 モデルは3種類 PMA CANADA GP仕様(無)LTD 270 PMA 初期版 (FUJI FLIM) ONYX (tic tac) でサイドのスポンサーが異なります 7UPグリーンが美しい 1年で終了がもったいないカラーリングです #F1-1991年 #F1
A.DE.CESARIS 270 33 1/43FW12C