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1995 (24TH) ONYX FOOTWORK ARROWS HART FA16 T.INOUE
4人目のフルタイム日本人ドライバ― F1駅前留学 井上隆智穂 1994年日本GP鈴鹿でシムテックより スポット参戦 井上のスポンサーに 語学学校のNOVAが付いていた為 古舘伊知郎氏からF1駅前留学と評された 1995年はユニマットグループの支援で アロウズ(フットワーク)から参戦 TV・雑誌等では井上を取り上げる事が 少なく当時は謎の日本人ドライバ― 予選最高18位 決勝最高8位 完走5回 2つの出来事がファンの記憶に残った ①R5モナコGP フリー走行 レッカー車牽引されている途中 オフィシャルカーに追突され マシンが横転 マシンは大破 オフィシャルカーのドライバ―は ラリー界の雄 ジャン・ラニョッティ ②R10ハンガリーGP 決勝 エンジントラブルで停止後 出火 消火器を持って自ら消火を試みるも 後方からやってきたレスキューカーに 振り返りざまはねられる ①②とも軽症で済み 後日談でも良く語られている ONYXは2種類を所持 画像2のポルトガルGP仕様は プリントサイン入りで 海外での名称 Taki INOUEの表記 #1995 #F1駅前留学
T.INOUE 10 1/43 ARROWSFW12C
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1995 14TH ONYX FOOTWORK ARROWS HART FA16 G.MORBIDELLI
イタリアの伊達男ジャンニ・モルビデリ F1唯一の表彰台獲得ARROWS HART FA16 イタリアのオートバイメーカーの モルビデリ社の御曹司でもある ジャンニ・モルビデリ 1995年はアロウズ2年目でエース R6カナダGPで予選13位→6位入賞 (モデルGP仕様)果たすも チームの資金難により R8イギリスGPからシートを M・パピスに譲る形となった 終盤R15パシフィックGPより 再びシートを獲得して 最終戦R17オーストラリアGP 生涯唯一の予選13位→3位表彰台獲得 モルビデリ通算最後の5回目の入賞 翌1996年はシートを失い ジョーダンのテストドライバー 1997年にザウバーで7戦のみ復帰します #1995
G.MORBIDELLI 9 1/43 ARROWSFW12C
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1995 (22ND) ONYX FOOTWORK ARROWS HART FA16 M.PAPIS
マッシミリアーノ・パピス イタリア出身 1995年のみの参戦 1994年国際F3000で5位 ロータスのテストドライバーも務めた 持参金を持ち込みG・モリビデリに代わり 1995年R8位イギリスから7戦のみ フットワーク・アロウズより出走 予選はTMの井上隆智穂を若干上回り R9ドイツとR12イタリアの15位がベスト 決勝はR12イタリアの7位が最高で F1ではこの年限りの出走 ONYXからは通常版と エナジードリンクのHypeが メインスポンサーの(画像2) R13のポルトガルGP仕様の2種類発売 (予選20位→決勝は未出走) パピスの妻はワールドチャンピオン エマーソン・フィッティパルディの娘さん 2020年にハースでスポット参戦 ピエトロ・フィッティパルディの (エマーソン・フィッティパルディの孫) おじにもあたります マッシミリアーノという ファーストネームは当時から 覚えるのが難しドライバ―の1人 #F1-1995年
M.PAPIS 9 1/43 ARROWSFW12C