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1976 2ND QUARTZO FERRARI 312T N.LAUDA 〖🏆6〗
不死鳥 ニキ・ラウダ 大事故から6週間での復活 1976年 前年度Wチャンピオンのラウダは FERRARI 312Tで好調を維持して R9イギリスまでに5勝 表彰台8回と 選手権を優位に進めていた R11ドイツGPで悲劇に見舞われる レイン→ドライタイヤにスイッチして 順位を挽回中に高速コーナーで コントロールを失いクラッシュして炎上 ラウダのヘルメットは衝撃で脱げてしまう 4人のドライバーとマーシャルの決死の救出で 一命を取り留めたものの数日間生死を彷徨う その後驚異的な回復を見せて わずか6週間後のR13イタリアGPで 顔に火傷治療の跡を残しながら 予選5位→決勝復活の4位入賞を果たす ポイントリーダーで迎えた 最終戦 F1世界選手権イン・ジャパン 豪雨の中で行われた決勝レースを リスクが大きいと判断して2周でリタイア 結果J・ハント(マクラーレン)に逆転され Wチャンピオン連覇を逃してしまう コンストラクターチャンピオンは 死守したもののラウダ不在時に C・ロイテマンを招き入れ 結果盟友のC・レガッツォーニを チームが放出したこともあり フェラーリとの関係が悪化しながら 翌1977年シーズンを迎える事となる #F1-1976年
N.LAUDA 1976 4回 1FW12C
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1975 【WORLD CHAMPION】 QUARTZO FERRARI 312T N.LAUDA 〖🏆5〗
1975年 WORLD CHAMPION N.ラウダ R3アフリカGPより名車 FERRARI 312T 312Tは横置きのギヤボックス 着座位置の変更などの新しい試みが 功を奏しラウダ曰く【予想可能】な車 特にマシンバランスが抜群であった R4スペインGPでPP R5モナコGPはPP→WIN モナコでのフェラーリの優勝は 1955年以来の20年ぶりの事 モナコからの5戦で4勝2位1回 でチャンピオン争いの主導権握り 最終的にはPP9回 WIN 5回 (モデルはR9フランスGP WIN仕様) R13イタリア モンツァ TMのレガッォーニが優勝 ラウダも3位に入りWタイトル獲得 1964年のジョン・サーティース以来 11年ぶりの出来事にサーキットは半狂乱 #F1-1975年 #WORLDCHAMPION #F1 #Ferrari
N.LAUDA 1975 2回 12FW12C
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1975 5TH QUARTZO FERRARI 312T C.REGAZZONI 〖🏆1〗
クレイ・レガツォーニ スイス出身 この年チャンピオンとなるN.ラウダの採用を エンツォ・フェラーリに進言したのは レガツォーニ自身と言われている ラウダとは1973年のBRM時代の チームメイトでラウダの才能 とりわけタフさに感銘を受けた 1975年は後に名車としても語り継がれる FERRARI 312TをR3南アフリカから導入 前年度の312B3よりも空力的洗練が強い印象 レガツォーニはR13イタリア モンツァ 予選2位からこの年唯一の勝利 (モデル仕様+画像6枚目) フェラーリ地元イタリアは歓喜 このGPでラウダも3位に入り 1964年以来のフェラーリ コンストラクターチャンピオン獲得 #F1-1975年
C.REGAZZONI 1975 4回 11FW12C