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1966 14TH SPARK (TEAM CHAMACO COLLECT)BRM P261 B.BONDURANT
F1史上 最少完走 1966年モナコGP ボンデュラント4位入賞 BRM P261 ボブ・ボンデュラント アメリカ出身 1965年北米シリーズ2戦にスポット参戦 アメリカGPはフェラーリで9位完走 1966年はプライベーター BRMのマシンで参戦 開幕戦モナコGP エントリーは16台 ボンデュラントは予選最下位 決勝はマシントラブル車が多発 12台のマシンがリタイアしたこのGPは F1史上最少の完走台数わずか4台 ボンデュラントは5周遅れながら 完走し4位入賞を果たした ボンデュラントはF1での入賞はこのGPのみ 1966年終盤2戦はイーグルで参戦 この年限りでF1からは去った その後ボンデュラントは ボンデュラント・レーシング・スクールを設立 レーシングドライバーの育成と共に ジェームズ・ガーナー ポール・ニューマン トム・クルーズ ニコラス・ケイジなどの 自動車映画の有名人を輩出した モデルはスパーク モナコGP仕様 ボンデュラント唯一の4位入賞 ヘルメット同様の黒に白のラインカラー このGPの優勝はジャッキー・スチュワート 3位グラハム・ヒルで 完走4台中3台がBRMのマシン
231207 B.BONDURANT 1966 19FW12C
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1966 7TH SPARK BRM P261 J.STEWART 〖🏆1〗
フライング・スコット ジャッキー モナコGP初勝利 BRM P261 1966年ジャッキー・スチュワートは BRMでの2年目のシーズン チームメイトはG・ヒルなど モデル仕様の開幕戦モナコGP 予選3位から2位に40秒の差をつけて優勝 自身初のモナコ制覇(通算モナコ3勝) G・ヒルのモナコ4連覇を阻止した形 このGPは100周で争われ 完走はエントリー16台中僅かの4台 完走4台中3台がBRMのマシンだった この後ジャッキーは4位・5位の入賞のみ チームは新型エンジンH型16気筒の開発を 進めるも水平対向8気筒を2段重ねという F1史上類を見ないレイアウトで 重量過多・高重心が仇となり苦戦 年間順位は前年度新人ながら 3位 34ポイント→7位 14ポイントと 大きく成績を落としてしまう 翌1967年ジャッキーは残留するも グラハム・ヒルはチームを離脱 BRMも3年間未勝利の低迷期に入る #F1-1966年
J.STEWART 12 1/43 BRMFW12C