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2000 2ND PMA McLAREN MERCEDES MP4-15 M.HAKKINEN〖🏆4〗
ベルギーGPでのオーバーテイクも ハッキネン3連覇ならず MP4-15 2000年ワールドチャンピオン3連覇の かかったミカ・ハッキネン チームメイトは5年連続D・クルザード 開幕戦オーストラリアとR2ブラジル 2戦連続予選PPも決勝はリタイアに終わり MP4-15は速さはあるが信頼性に問題が生じた R3サンマリノGPで2位表彰台獲得すると R14イタリアGPまで14戦連続入賞 この間4勝を上げて 2位が6回 特にR13ベルギーGPはチャンピオン争いの ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)を 周回遅れのリカルド・ゾンタ(BAR)共々 抜き去ったオーバーテイクは 今も語り継がれる伝説のシーン しかしR15アメリカGP序盤にエンジンが 壊れてリタイアで万事休す シーズン17戦で9回のFLを取りながらも ワールドチャンピオン3連覇と コンストラクターも2年連続で フェラーリに敗れた モデルはミニチャンプス メルセデス別注の特別台紙 GP表記の無いRACE CAR仕様 台紙とモデルカーがマッチしている 個人的に好きなメルセデス台紙 台座にWest(タバコ)の文字が印字されるも 残念ながらWESTデカールは未加工 #2000年
240524 M.HAKKINEN 2000 9回FW12C
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2019 2ND SPARK MERCEDES-AMG F1 W10 EQ POWER+ V.BOTTAS〖🏆4〗
2019年 日本GP 鈴鹿ウイナー バルテリ・ボッタス MERCEDES W10 2019年 ボッタスはメルセデス3年目 チームメイトは変わらずL・ハミルトン 開幕戦オーストラリアGP 予選2位→決勝2年ぶり勝利 R4戦目までに2勝 2位2回 FL1回で チャンピオン争いでFL分の1Pリード しかしR5スペインGPから ハミルトン3連勝で波に乗り 前半戦までに勝負があり それでもボッタスは R17日本GP/R19アメリカGPで優勝 年間4勝はキャリアベストでランク2位 コンストラクター6連覇に大きく貢献した モデルはスパーク 開幕戦オーストラリア仕様 予選2位→決勝 FLで優勝 かつての中嶋悟のスポンサー 〖EPSON〗のロゴがリアウィング 翼端板に 1990年代ロータスのスポンサーであった 〖トミー・フィルフィガー〗のロゴが フロントノーズ先端に貼られている #2019年
240406 V.BOTTAS 3回 77FW12C
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1957 【WORLD CHAMPION】 BRUMM MASERATI 250F J.M.FANGIO 〖🏆4〗
🔲🔲🔲1957🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 MASERATI 250F 🟥🟥J.M.FANGIO🟥🟥 🔲🔲🔲全8戦🔲🔲🔲 【出走】7回【PP】4回 【優勝】4回【FL】2回 ファンジオ最後の5度目 マセラッティ唯一のチャンピオン モデルはブルム 開幕戦アルゼンチンGP仕様 予選2位→決勝WIN #1957年
231223 J.M.FANGIO 1957 2回FW12C
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1999 2ND HOT WHEELS FERRARI F399 E.IRVINE
エディ・アーバイン 初優勝 最終チャンピオン争いFERRARI F399 1999年フェラーリ3年目アーバイン 開幕戦オーストラリアGP 予選6位からスタートで3位に上がると 上位のマクラーレンの2人が脱落 そのままトップに立ち初優勝 自身本格参戦6年 82戦目での栄冠 この時の表彰台は 2位H・H・フレンツェン(ジョーダン) 3位R・シューマッハ(ウイリアムズ)の ファーミュラニッポン(全日本F3000)出身 優勝のインタビューでアーバインが 日本では星野というクソ速いドライバ―がいて なかなか勝たせてもらえなかった旨を発言し 隣の2人のドライバ―も頷いていた ミハエル離脱後はフェラーリのエース 年間4勝をあげるも最終戦で ミカ・ハッキネン(マクラーレン)に逆転され 惜しくもタイトル逃し年間2位 エディー・アーバインは ミハエル・シューマッハに勝つためには 違うチームでなければならないという 想いが強くなり翌2000年新規ジャガーに移籍 モデルはホットウィール 1999年からフェラーリと独占契約 この年限りの台座で紅白の縁石と 跳馬フェラーリのロゴがデザイン
231209 E.IRVINE 1回 4FW12C
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1978 3RD QUARTZO FERRARI 312 T3 C.REUTEMANN 〖🏆4〗
カルロス・ロイテマンフェラーリ2年目 年間4勝もチーム離脱 FERRARI 312 T3 ロイテマンはフェラーリ2年目 チームメイトはジル・ビルヌーブ 旧型のFERRARI 312 T2でR2ブラジルGPで優勝 これはミシュランタイヤのF1初勝利 ニューマシン312 T3導入後は3勝をあげて 年間4勝はロイテマンの年間最多勝利 しかしグランドエフェクトカーの ロータスには及ばず年間3位 前年まではチームから好待遇であったが 歯に衣きせぬ物言いがエンツォ・フェラーリや チーム首脳陣から敬遠され アグレッシブな走りのジル・ビルヌーブが チーム内で支持された事もあり ロイテマンはフェラーリを離脱し 翌1979年はロータスに移籍
221226 C.REUTEMANN 1978 2回FW12C
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1966 WORLD CHAMPION BRABHAM BT20 J.BRABHAM〖🏆4〗
1966 WORLD CHAMPION BRABHAM BT20 J.BRABHAM 全9戦 4勝 史上唯一の自己設立チームでの 自らドライブでワールドチャンピオン #F1親子鷹 #F1-1966年
221012 J.BRABHAM 1回 5FW12C
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1962【WORLD CHAMPION】SPARK BRM P57 G.HILL 〖🏆4〗
1962年 WORLD CHAMPION 全9戦 4勝 グラハム・ヒル 1度目のチャンピオン #F1-1962年
221010 G.HILL 1962 1回FW12C
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1996 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW18 J.VILLENEUVE〖🏆4〗
ジャック・ヴィルヌーブ 鮮烈デビューGP ポールポジション 伝説の父がジルが他界したのが11歳の時 1992年全日本F3参戦 シリーズ2位 1995年CARTチャンピオン・インディ500勝者 鳴り物入りでウイリアムズからデビュー 開幕を迎える前に9000Kmもの走り込み 開幕戦はオーストラリアの新コース アルバートパーク サーキット 1996年から予選は土曜日の1発勝負 この新コースで デビュー戦でPP獲得 1972年のカルロス・ロイテマン(ブラバム) 以来の24年ぶりの快挙達成 この後デビュー戦PPは1人も現れていない 決勝はデビュー戦のグランドスラムと 思われたが残り5周でトラブルで2位 モデル仕様のR4ヨーロッパGPで M・シューマッハ(フェラーリ)を 抑えて自身初優勝を飾る ジャックの通算F1勝利数は11勝 その後7戦連続表彰台など最終戦R16鈴鹿まで TMのデーモン・ヒルとタイトル争い PP2回 4勝 FL6回獲得で年間順位は2位 新し伝説を感じさせるデビューイヤーとなった #F1-1996年 #ヴィルヌーブ #F1デビューマシン #WILLIAMS
J.VILLENEUVE 6回 4.104 6FW12C
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1995 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW17 D.HILL〖🏆4〗
デーモン・ヒル ウイリアムズ3年目 チームは4年ぶりの無冠シーズン 1995年のベストマシンとも呼ばれる WILLIAMS RENAULT FW17 予選では17戦中 TMのD・クルザードと 合わせて12回のPPを獲得したが 決勝ではヒル4勝・クルザード1勝に終わる ギヤボックス関連の信頼性の不足もあったが ヒル自身も焦りのドライビングミスで R8イギリス・R12イタリアはいずれも M・シューマッハ(ベネトン)に速さがありながら 後方より追突リタイヤに終わった シューマッハと33Pの大差をつけられ 2年連続 年間順位2位でシーズン終了 1995年モデルはミニチャンプスとONYXの 激しいF1モデルの主導権争い ONYXは通常版(画像5)GP仕様(画像6) TESTカー(画像7)FW16などが発売 台紙にウイリアムズの オフィシャルのロゴが入つている GP仕様はONYXの地元ポルトガルGP仕様 ヒルのサインプリントが施され ONYX自身がスポットでスポンサーになり サイドポンツーン上部にONYXの デカールが添付されている #1995 #F1
D.HILL 4回 5 1/43FW12C
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1979 3RD PMA WILLIAMS FW07 A.JONES〖🏆4〗
1979年 後半戦の主役の1台 FW07 1979年ウイリアムズは 中東のスポンサーサウジアラビア航空や 後にHeuer社を買収するTAGなどの支援を受け 2台体制でのエントリーとなる エースドライバーはアラン・ジョーンズ R5スペインGPから新車FW07を導入 パトリック・ヘッドが主導した ウイリアムズ初のグランドエフェクトカー 序盤は苦戦するも R9イギリスでポールポジション (ウイリアムズチームにとって初のPP) R10ドイツで勝利するとそこから3連勝 R14カナダではPP→FL→優勝 後半だけでPP3回 4勝して ドライバ―年間順位も3位 コンストラクタ―も2位に躍進 優勝のシャンパンファイトは 禁酒の中東系のスポンサーを配慮して オレンジジュースで行われた(画像7) 弱小のプライベートチームから 1980年~1990年の常勝チーム 黄金時代へと変貌するきっかけとなる1台 #F1-1979年 #WILLIAMS #F1
A.JONES 1回 27 1/43FW12C
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1973 3RD TSM LOTUS 72E R.PETERSON 〖🏆4〗
#F1-1973年 #LOTUS
R.PETERSON 1973 2 1/43FW12C
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1989 WORLD CHAMPION PMA McLAREN HONDA MP4/5 A.PROST〖🏆4〗
#F1-1989年 #2021ありがとうHONDA
A.PROST 2 1/43 MarlboroFW12C
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1983 2ND SPARK RENAULT RE40 A.PROST 〖🏆4〗
A.PROST 15 1/43 MarlboroFW12C
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1983 WORLD CHAMPION PMA BRABHAM BMW BT52B N.PIQUET 〖🏆4〗
#F1-1983年
N.PIQUET 5 1/43 BRABHAMFW12C
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1986 3RD PMA WILLIAMS HONDA FW11 N.PIQUET〖🏆4〗
ネルソン・ピケ ウイリアムズ移籍 HONDA 初のコンストラクターチャンピオン 1986年ピケはブラバム→ウイリアムズに移籍 チームメイトはナイジェル・マンセル ピケはHONDAの強い要望で獲得 年俸の一部はHONDAが支払っていた ピケはウイリアムズHONDAのデビュー戦 開幕戦地元ブラジルGPで優勝 しかし後チーム内がHONDA中心のピケ派と ウイリアムズ中心のマンセル派に分裂 チーム内での協力体制が整わず ピケが4勝・マンセルが5勝し HONDA初のコンストラクターチャンピオンを 獲得したもののドライバーズタイトルは アラン・プロスト(マクラーレン)に 最終戦で逆転されて奪われた 最終有効ポイントは プロスト 72P マンセル 70P ピケ 69P モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR仕様 ウイリアムズチームのオリジナル台紙 前年度スポンサーとなったCannonが リアウイングにもサポート拡大 白・青・黄の3色のコントラストが映える1台
N.PIQUET 1986 3 6FW12C