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1976 (DNS 47TH) SPARK (OASC Racing Team) TYRRELL 007 O.STUPPACHER
オット・ストゥッパッシャー 予選通過も決勝走行できず オーストリア出身のドライバ― オット・ストゥッパッシャーは プライベートチームOASCで TYRRELL 007を購入してスポット参戦 R12イタリアGP PPから7.2秒落ちで 予選最下位であったが 燃料規定違反で3名のドライバ―が タイム取り消しがあり予選を26位で通過 しかしこの結果が出た時ストゥッパッシャーは 既にオーストリアに帰国しており 決勝に間に合わずにスタートできなかった R13カナダG PPから12.6秒落ち (モデルはカナダGP仕様) R14アメリカ東 PPから27.4秒落ち どちらも予選最下位で決勝進出ならず 結局F1では決勝を走行することは無かった ◆R16日本(富士SW)は未出走◆ そんなストゥッパッシャーですが モデルがTYRRELL 007という事もあり SPARK MINICHAMPSの 両社からモデル化されています #F1-1976年 #F1 #ティレル007 #1976年
220908 O.STUPPACHER 1976 38FW12C
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1976 (DNS 55TH) SPARK WILLIAMS FW05 M.KUWASHIMA
黒い稲妻 桑島正美 無念のF1世界選手権イン・ジャパン R16日本 富士スピードウェイ F1世界選手権イン・ジャパン 4人の日本人ドライバ―がエントリー 桑島正美は1974年にブラバムBT44に乗り 富士SWでデモラン走行の経験を持つ 1976年のF1世界選手権イン・ジャパンでは 当初チームRAMでブラバムのマシンで走行予定も 最終的にウイリアムズでのエントリーとなる 予選初日金曜日 チームメイトの A・メルツァリオから2.62遅れの 予選25位のタイムを出したが チームに支払うスポンサーマネーが 持ち逃げされるというトラブルより 土曜日以降の出場が出来なくなり 決勝出場は幻に終わった 桑島正美は自身のレース開始当初 黒いヘルメットで 黒塗りのフェアレディZ432に乗り トニー・ライザーの映画にちなんで 黒い稲妻と呼ばれていた F1世界選手権イン・ジャパンで ドライブしたマシンも奇しくも 黒いウイリアムズFW05だった #F1-1976年 #F1世界選手権イン・ジャパン
M.KUWASHIMA 1976 750 21FW12C
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1975 (51ST) REVE COLLECTION MAKI F101C H.FUSHIDA
1975年 日本人が初めてエントリーした車体 MAKIは1960年代のHONDAに次ぐ 日本の2番目のコンストラクター 自動車会社の援助がない日本チームが 海外のF1にエントリーしたのは 現在までMAKIが唯一のチーム CITIZENの援助(当時で約2000万程度)を受け 昨年の白→ブルーにカラーは変更され 鮒子田寛とT.トリマーで計5戦にエントリー 鮒子田はオランダとイギリスに参戦 オランダGP 予選PPから13秒遅れも 25位で通過したがエンジンが焼き付き スペアのエンジンがなかったのでDNS イギリスGP(モデル仕様)は PPから7秒遅れで予選落ち トリマーも予選突破ならず 画像7枚目右から覗く白いシャツは ロニー・ピータソン(ロータス) 画像8枚目エンジニアに支給の タイトなCITIZENロゴのシャツが とてもオシャレに感じます 当時(2012年)マキに対する知識も無く 単純にCITIZENのブルーに惹かれて購入 歴史的な1台であるのは後日知りました
H.FUSHIDA 1975 35 1/43FW12C