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1978 9TH QUARTZO FERRARI 312 T3 G.VILLENEUVE〖🏆1〗(USA WEST GP)
ジル・ヴィルヌーブ フル参戦初年度 アメリカ WEST GP トップ快走も・・ 1978年 フェラーリフル参戦初年度の ジル・ヴィルヌーブは 開幕戦決勝でFLの走りを見せるも8位 その後 2戦連続リタイアで迎えた R4アメリカ WEST GP ロングビーチ 予選は初となるフロントロー(2位)獲得 決勝は1勝目からトップに立ち 自身初のリードラップを記録 ヴィルヌーブのキャリアリードラップは534周 その後1度もトップをゆずることなく 初ポイント獲得が初優勝も見え始めた39/80周目 周回遅れでJ・P・ジャブイユ(ルノー)と バトルを繰り広げていた クレイ・レガッツォーニ(シャドウ)を抜く際に ヴィルヌーブ右前輪がレガッツォーニ左リアに ぶつかりウォールに飛ばされリタイア ヴィルヌーブの初P・初優勝は消え このGPの勝者はチームメイトの カルロス・ロイテマンとなった この後R6ベルギー4位で初ポイント 最終戦のR16カナダGPで初優勝を飾る モデルはQUARTZO R4アメリアWEST GP仕様 予選2位→決勝リタイア フェラーリ312T3はリアウイングの 形状がGPごとに大きく異なり 初優勝したカナダGP仕様とは逆の M字型のフラップとなっている https://muuseo.com/FW12C/items/1392?theme_id=41104
240212 G.VILLENEUVE 1978 1回FW12C
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1974 9TH SPARK TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイユ 初のフル参戦 キャリア唯一のPP TYRRELL 007 1974年前年度の最終戦F・セーベルが他界 哀しみのチャンピオン ジャッキー・シチュワートが引退 ティレルは1972年に自チームで スポット参戦したパトリック・デパイユ起用 チームメイトはジョディー・シェクター デパイユは旧車のティレル005で 開幕戦のアルゼンチンGPで6位初入賞 デパイユの生涯入賞は36回 R3南アフリカGP予選15位→決勝4位 R7スウェーデンGPではニューマシンの ティレル007で予選PPを獲得 デパイユのPPはキャリア唯一 決勝は2位 シェクターと1・2フィニッシュ デパイユの通算表彰台は19回 フル参戦初年度の入賞6回で年間9位 チャンピオン争いに絡んだシェクターとは 約3倍のポイント差がついた F1と並行して参戦したヨーロッパF2は 年間4勝をあげてチャンピオンを獲得 モデルはスパーク R7スウェーデンGP仕様 デパイユ生涯唯一のPPと2位初表彰台 さらに自身初のファステストラップも記録 デパイユのFLは生涯4回
231217 P.DEPAILLER 1974 1回FW12C
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1999 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B199 G.FISICHELLA
ジャンカルロ・フィジケラ 3年連続 カナダ表彰台 BENETTON B199 フィジケラはベネトン2年目 チームメイトは昨年同様A・ブルツ ニューマシンB199を投入し フィジケラは開幕~R6で4度の入賞 R6カナダGPは2位表彰台を獲得 フィジケラはカナダGPと相性が良く これで1997年のジョーダン時代から 3位→2位→2位と3年連続表彰台 しかしながらこれ以降は 1997年のルノーエンジンがベースの 自社のファッションブランドの1つである PLAYLIFEのバッジネームを付けた エンジンも足を引っ張り入賞はゼロ コンストラクタ―もベネトンのF1参入した 1986年以来となる6位に転落した モデルはミニチャンプス タバコMILD SEVEN仕様に変更 1999年発売分よりミニチャンプスの ドライバ―フィギアの質が向上したが このベネトンとウイリアムズのモデルは 以前のままのフィギアを使用
231031 G.FISICHELLA 1999 9FW12C
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1980 8TH QUARTZO RENAULT RE20 J.P.JABOUILLE
2年連続入賞が優勝のみ ジャン・ピエール・ジャブイーユ ジャブイーユはルノー4年目 チームメイトは前年同様R・アルヌー 開幕戦よりニューマシンRE20を投入 この年もターボエンジンに左右され 予選ではPP2回 2位4回と速さを見せたが R9までに完走扱いの10位が1回のみ この間にアルヌーが2勝を含む入賞を4回 ジャブイーユのチーム内の立場も 微妙のものになっていった R10オーストリアGPは 予選2位からトップに立ち アラン・ジョーンス猛追をしのぎ 最後は0.8秒差で逃げ切り優勝 ジャブイーユの自身2勝目は 2年連続の入賞が優勝のみの珍しい記録 R13カナダGPのブレーキトラブルで クラッシュし両足を骨折 最終戦を欠場するとともにルノーを離脱 ターボエンジン開発ドライバ―として 多くのチームから声がかかる中 翌1981年はリジェへ移籍 RE20のマシンは号数で2番目の数値を 表記する場合がありこのモデルは 開幕のアルゼンチン仕様でRE22の表記 #F1-1980年
230722 J.P.JABOUILLE 1980 15FW12C
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1975 9TH PMA TYRRELL 007 P.DEPAILLER
パトリック・デパイエ ティレル2年目 前半好調も後半失速 TYRRELL 007 1975年デパイエはティレルフル参戦2年目 チームメイトは前年同様J・シェクター マシンは前年後半投入のティレル007 開幕戦アルゼンチンGP 5位 R3南アフリカGP 3位表彰台 R5モナコGP FLで5位など 前半6戦で4回入賞など好調なスタート 後半の入賞はR9フランスの6位のみで 全14戦中11戦完走と完走率は高かったが 入賞に一歩届かないレースが多く 年間順位は前年同様9位 翌1976年もティレルに残留 ティレル6輪車P34のメインテストを務めた こちらのモデルはあるサイトで 注文した所間違って1974年のモデルが届き 返金か交換を希望したが 在庫が無かったにも関わらず取り寄せ →更に誤納品までいただきました ネット注文だと店頭と併売の為 注文商品の在庫が無いこともしばしで 残念な対応でがっかりすることもある中 とても誠実に対応して頂き感謝を思い出す1台
230623 P.DEPAILLER 1975 1回FW12C
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1986 9TH IXO FERRARI F186 M.ALBORETO
フェラーリ3年目の不振 アルボレート FERRARI F186 1986年フェラーリは前年の156/85を基に 修正を加えたF186を開幕戦から投入 設計にコンピューター支援設計CADを導入 コックピット内をデジタルメーターに変更 頭上のロールバーをエンジンカウルで覆い リアウィングへの整流などを実施 前年度チャンピオン争い最終年間2位の アルボレートは一転不振のシーズン 表彰台はR12オーストリアの2位のみ 入賞も4回で14P 年間順位は9位 チームメイトのステファン・ヨハンソン (23P 年間順位5位)にも敗れた マシンに失望したアルボレートは 当時N・ピケとN・マンセルの不仲が 表面化したウイリアムズ・ホンダに 移籍を企て2人のどちらかが移籍の場合 ウイリアムズに加入が決まっていたが 最終的にどちらも移籍せずに 翌1987年もフェラーリに残留 F186のアルボレート車は量販化が無い為 HACHETTE(IXO)フェラーリF1コレクションの ヨハンソン車→アルボレート車に修正 PMAのチェッカー台紙に載せ替え実施
230616 M.ALBORETO 27 1/43FW12C
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1969 9TH QUARTZO (ROB WALKER/JACK DURLACHER) LOTUS 49B J.SIFFERT
ジョー・シフェール LOTUS 49B 個人スポンサー ホイヤー社と契約 1969年 シフェールは前年同様 プライベートチーム ロブ・ウォーカー/ロータス49Bで出場 前年度の優勝からの好調を維持して R3モナコ3位 R4オランダ2位と連続表彰台 ロータスの車体を使用のドライバーで 唯一の全11戦出場 入賞4回 年間9位 1968年にF1ではスポンサー広告が解禁 シフェールは1969年に地元スイスの時計メーカー ホイヤー(後のタグホイヤー)社と個人契約 同社のアドバイザーを務め この後のフェラーリ・マクラーレン レッドブルなどのチームスポンサーや F1公式時計を担当する同社の モータースポーツに参入するきっかけとなった またこのマシンにはアメリカで1955年設立の スキーブランドhart ski のロゴもあり このブランドは後に日本企業に買収されている
230518 J.SIFFERT 4 1/43FW12C
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1998 9TH PMA BENETTON PLAYLIFE B198 G.FISICHELLA
ベネトン移籍ジャンカルロ・フィジケラ 自身初のPP獲得 BENETTON B198 1998年フィジケラはベネトンに移籍 チームメイトはアレクサンダー・ブルツ フィジケラはベネトンの名称が無くなる 2001年まで同チームに所属する ベネトンは開幕直前にタイヤを グッドイヤー→ブリヂストンに変更 これが功を奏した事もあり序盤は好調 フィジケラはR6モナコ・R7カナダと 2戦連続で2位表彰台を獲得 R10オーストリアでは雨の予選の中 自身初のポール・ポジション獲得 フィジケラの通算PPは4回 しかし決勝は無念のリタイア GY勢の巻き返しもあり後半は苦戦 最終戦でジョーダンに逆転されて コンストラクターは5位に転落 ベネトンのコンストラクターTOP4陥落は 1987年以来の出来事であった シーズン終盤にチームオーナーが デビット・リチャーズから創業一族の 末っ子ロッコ・ベネトンに移るなど チーム内のゴタゴタが成績にも影響した ベネトンらしい派手なカラーリングから スポンサーのマイルドセブン主体の ブルーを基調とするカラーで 少しおとなしい印象を受ける1台
230423 G.FISICHELLA 5 1/43FW12C
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2006 11TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-21 P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230327 P.DE.LA.ROSA 4 1/43FW12C
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1992 9TH SPARK TYRRELL 020B A.DE.CESARIS
A・チェザリス TYRRELL 020B R15日本GP 鈴鹿 シーズンベスト4位 1992年ティレルはエンジンが ホンダからイルモアに変更 パワーは劣るものの軽量コンパクト設計が TYRRELL020にマッチしてチェザリスが好成績 R15日本GP鈴鹿では予選9位→決勝4位 4位は1992年のシーズンベストリザルト チェザリスは1987年~1993年まで 生涯鈴鹿には7回出走も入賞はこの1回限り チェザリスの生涯入賞回数は22回で この中では決勝リザルト4位が一番多く7回 モデルは大阪モデルガレージROMUの別注 昨年までティレルのスポンサーであった 日本信販がスポットでコックピット前と リアウイングサイドに同社のロゴが付き 元々リアウイングサイドのユーロスポーツの ロゴがインダクションポッド横に移動している 1991年より約2年半 41GP使用された TYRRELL 020シリーズの最後の入賞モデル
230205 A.DE.CESARIS 350 4FW12C
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1978 9TH QUARTZO FERRARI 312 T3 G.VILLENEUVE〖🏆1〗(CANADIAN GP)
ジル・ビルヌーブ フェラーリフル参戦 地元カナダで初勝利 FERRARI 312 T3 1978年ジル・ビルヌーブのフェラーリ フル参戦1年目は若きジルの象徴的な1年 R1開幕戦アルゼンチンGPで初のファステスト R4アメリカWEST GP予選2位から首位を独走 しかしC・レガッツォーニ(シャドウ)に追突 大クラッシュを起こしリタイア R6ベルギーGP 4位初入賞 R12オーストリアGP 3位初の表彰台 R14イタリアGP予選2位から2位フィニッシュ しかしフライングのペナルティーで結果7位 R16カナダGP 地元モントリオールの 新設 イル・ノートルダム・サーキット 予選3位からJ・P・ジャリエ(ロータス)の リタイアにも助けられて 50周目にトップに立ち優勝 自身の初勝利はカナダ人ドライバ―の初勝利 現在までもカナダ人ドライバ―のF1勝利は ビルヌーブ親子(ジル6勝 ジャック11勝)のみ イル・ノートルダム・サーキットは後に ジル・ビルヌーヴ・サーキットと 名称変更になった #F1-1978年
230201 G.VILLENEUVE 1978 1回FW12C
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1990 9TH REVE COLLECTION TYRRELL 018 J.ALESI
ジャン・アレジ 1990年開幕戦 A・セナとのバトル TYRRELL 018 1990年ジャン・アレジはF1本格参戦 ティレル残留 チーム・メイトは中嶋悟 開幕戦アメリカGP フェニックス マシンは昨年型のTYRRELL 018 予選4位から1周目にトップに立ち快走 33週目第1コーナーで A・セナ(マクラーレン)に一度は抜かれるも 第2コーナーでインからすぐさま抜き返し 再びトップに戻ったシーンは新星アレジを 象徴するシーンともなった 最終的には2位でフィニッシュ 自身初の表彰台(アレジの通算表彰台32回) モデルはREVE COLLECTIONアメリカGP仕様 隠れた名車TYRRELL 018で 中嶋悟も開幕戦で6位入賞 次戦ブラジルGPまで使用され役目を終えた 当館 TYRRELL 50台目の登録 #F1-1990年
230118 J.ALESI 4 1/43FW12C
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1997 9TH PMA PROST MUGEN HONDA JS45 O.PANIS
ブリヂストンタイヤ初の表彰台 O・パニス 新生プロストチーム MUGEN HONDA JS45 1997年リジェを買収して4度のチャンピオン アラン・プロスト率いるチームプロストが誕生 前年無限HONDAエンジンの初優勝を飾った オリビエ・パニスはエースとして残留 チームプロストはこの年から参戦した ブリヂストンタイヤのユーザー 開幕戦で早くも5位入賞 BS初ポイント R2ブラジルGPパニスは予選5位 タイヤに厳しいインテルラゴスサーキットで ブリヂストンタイヤを活かし1ストップ作戦 見事3位表彰台を獲得 BSタイヤ初の表彰台 R6スペインGPでも2位表彰台 この時点でランキング3位と好調であったが R7カナダGPでレース中に事故で両足骨折 長期離脱で終盤復帰したが年間順位は9位 チームもパニス離脱とともに失速したが それでもBSユーザーの4チームの中で トップのコンストラクタ―6位 #F1-1997年
221107 O.PANIS 14 1/43FW12C
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1971 11TH SPARK MATRA MS120B C.AMON
F1未勝利ドライバ― クリス・エイモン 非選手権GPでの勝利 MATORA MS120B C・エイモンはマーチからマトラに移籍 TMはJ・P・ベルトワーズ マシンは昨年の改良型MS120B 開幕 南アフリカGP 予選2位→決勝5位 R2スペインGP 予選3位→決勝3位表彰台 モデルはR5フランスGP仕様 ポールリカール 予選9位→決勝5位入賞 R9イタリアGPは3年ぶりのポールポジション 決勝は8人のドライバーがTOPに立つ大混戦 終盤エイモンもリーダーラップを記録するも ヘルメットのシールドが外れてるという 悲運もあり6位に終わる F1では生涯未勝利に終わったエイモンがだ 1971年の開幕戦前の非選手権の アルゼンチンGPでは優勝をしている #F1-1971年
220917 C.AMON 20 1/43FW12C
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1977 7TH IXO SHADOW DN8 A.JONES〖🏆1〗
アラン・ジョーンズ 初優勝 チームSHADOWの唯一の勝利 DN8 1977年A・ジョーンズは事故死した T・プライスに代わりR4アメリカWより出場 R6モナコ 決勝6位 R7スペイン 決勝5位 連続入賞を果たし勢いに乗る R12オーストリアGPでは 予選14位ながら不安定な路面状況を読み 12周目に4位 16周目に2位に浮上 残り11周でJ・ハント(マクラーレン)が エンジントラブルよりトップに浮上 そのままチェッカーで優勝 これはアラン・ジョーンズの初優勝 ジョーンズの生涯勝利数は12回 また1973年から1980年途中まで参戦する チームSHADOWにとっては唯一の勝利 ジョーンズは最終日本GP 富士SWで4位入賞 前年に続き日本GPでの連続4位入賞 ◆R17日本GP 富士SW 予選12位→決勝4位◆ このモデルは葉巻 フィルターのスポンサー Villigr AMBROSIO(Kiel)のロゴが無し SPARKのモデルは貼られているので謎ですが 現時点ではデカールは海外から取り寄せに なるので・・・どうしよかと悩み中 #F1-1977年 #F1-初勝利
A.JONES F1マシンコレクション 17 147FW12C