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1971 (35TH) SPARK MARCH 711 M.BEUTTLER
マイク・ボイトラー F1デビュー 1戦限りのワークス MARCH 711 マイク・ボイトラー イギリス出身 出生地はエジプト カイロ 1971年は友人が出資したチームである クラーク・モーダウント・ガスリー と名乗るプライベートチームで出場 地元R6イギリスGPから4戦出場 予選は16位~22位で通過するものの 決勝はリタイア→失格→周回不足→リタイア R10カナダGPのみマーチのワークスで出場 予選22位→決勝はあと1周足りず周回不足 モデルはそのカナダGPレインタイヤ仕様 ボイトラーは1973年までプライベターで 出場もF1ではポイント獲得ならなかった マーチ711はティートレイと呼ばれた 独特の楕円形状を持つフロントウイング フロントノーズ先端から支柱を伸ばして 取付されてた構造となっており 車体全体も丸みを帯びたスタイル そして真っ赤な車体に所せましと貼られた オイルメーカーSTPのロゴが目立つ1台
230506 M.BEUTTLER 19 1/43FW12C
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1975 (35TH) PMA (LEXINGTON RACING) TYRRELL 007 I.SCHECKTER
同一マシンによる兄弟同時出走 シェクター兄 イアン TYRRELL 007 イアン・シェクター 南アフリカ出身 弟は1979年ワールド チャンピオン ジョディー・シェクター 1974年スポット参戦デビュー 1975年もプライベター LEXINGTON RACINGでティレル007の マシンでR3地元南アフリカGPに出場 弟ジョディーもこのGPにティレル本体で ティレル007のマシンで出走 史上唯一の同一マシンによる兄弟のエントリー 弟ジョディーはこのGPに見事優勝 兄イアンは残念ながら55周でリタイア イアンはR7スウェーデンR8イタリアGPを ウイリアムズで参戦 最高位は決勝12位 #F1-1975年
230321 I.SCHECKTER 1975 1.008FW12C
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1973 (35TH) SPARK (PIERRE ROBERT) MARCH 731 R.WISELL
レイネ・ウィセル プライベーターで スポット参戦 MARCH 731 レイネ・ウィセル スウェーデン出身 1970年事故死したヨッヘン・リントの後 ロータスで参戦 初戦で3位表彰台獲得 1973年はプライベーターで2戦のみ 車体はマーチ731 エンジンはフォードV8 地元R7スウェーデンGP ピエール・ロベルトのチーム キレイなイエローのマシン 予選はSTPマーチワークスの ジャン・ピエール・ジャリエを破り14位 しかし決勝はサスペンショントラブルで 1周もできずにリタイア 台座のNQ(予選落)は間違いと思われる このスウェーデンGPは初開催 ポール・ポジションスタートの 地元ロニー・ピーターソン(ロータス)が トップ快走も残り3周でタイヤトラブル デニス・ハルム(マクラーレン)が逆転優勝 ピータソンは惜しくも4秒差の2位 冠GPスポンサーで日本の日立が付いていた 1973年マーチの車体は1GP最大で4人 延べ7人のドライバ―が使用したが ポイント獲得はヘスケスのJ・ハントのみ #F1-1973年
230222 R.WISELL 1973 27FW12C
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1995 (35TH) ONYX PACIFIC FORD PR02 G.LAVAGGI
ジョバンニ・ラバッジ イタリア出身 37歳F1ルーキー パシフィックで参戦 1991年国際F3000に参戦するも 10戦中8戦で予選落ち 1995年はデイトナ24時間でチャンピオン ではあるがスーパーライセンスが なぜ認められたかは謎のドライバー 4戦契約でパシフィックで R9ドイツGPよりデビュー モデルはそのドイツGP仕様 多くのスポットスポンサーが車体に 貼られて苦しいチーム事情がうかがえる 4戦中3戦が予選最下位 4戦すべてリタイアで 4戦合計走行周回は65週 R11ベルギーGP予選では唯一 P・ディニス(フォルティ)の勝ったが それでもトップから12秒遅れ ラバッジは翌1996年終盤に ミナルディより再びF1参戦しますが こちらは残念ながら量産化されていません #1995
G.LAVAGGI 16 1/43 PACIFICFW12C
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1990 (35TH) SPARK LOTUS 102 J.HERBERT
ジョニー・ハーバート 終盤2戦ロータスにて参戦 1990年J.ハーバートは 全日本F3000に参戦 M.ドネリーのケガにより R15日本GP R16オーストラリアGPの 2戦にスポット参戦 日本GP予選14位 オーストラリアGP予選18位 いずれもTMのD.ワーウィックに負け 決勝もリタイアに両GPともリタイアに終わる ハーバートは全日本F3000に参戦しながら 翌1991年も後半戦をロータスで出場 1994年途中までロータスに所属 終焉を迎えるロータスの最後を支えます LOTUS102のCAMELイエローでの ハーバートの参戦の印象は薄いです モデルは日本GP仕様 PHENIXがスポットスポンサー この年でLOTUSのCAMELのスポンサーが終了 #F1-1990年
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1988 (35TH) SPARK LARROUSSE LOLA LC88 A.SUZUKI
1988年R15日本GP 鈴鹿 鈴木亜久里のデビューモデル 翌年ザグスピードでの参戦が決定していたが Y・ダルマスの病気欠場で急遽スポット参戦 (レーシングスーツはダルマスのものを使用) 予選20位→決勝はスピンもあったが16位完走 これ以降ラルース(ローラ)と 日本人ドライバ―との関係ができ 鈴木亜久里(90.91年)片山右京(92年)のレギュラー参戦 鈴木利男(93年)野田英樹(94年)のスポット参戦と 4人の日本人ドライバ―がF1デビューしています 日本人のデビューを切り開く きっかけとなった1台かもしれません #1988
A.SUZUKI Racing on 29 1/43FW12C
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1991 (35TH) SPARK FOOTWORK FA12 M.ALBORETO
#1991 #ポルシェ
M.ALBORETO 9 1/43 FOOTWORKFW12C
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1992 (35TH) SPARK ANDOREA MODA S921 R.MORENO
元々は後のシムテック設立のニック・ワースが BMW単独のF1参戦計画にデザインしたマシン イタリア人のアンドレア・サセッティが コローニを買収してこのデザインを買取り参戦 ほとんどまともに走れない中 R6モナコで予備予選通過 そして26位ながら決勝進出 決勝はリタイア(モデル仕様) その後チームはオーナーの逮捕等も ありF1から追放される R・モレノのモナコ 力走が唯一の決勝 シンプルでキレイなデザインで チームがチームなら もう少し活躍できたマシン 決勝は1度のみの短命チームですが アンドレアモーダの名前だけは メジャーマイナーチームとして記憶されました #1992 #F1
R.MORENO 34 1/43 ANDOREA MODAFW12C
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1985 (35TH) SPARK ZAKSPEED 841 C.DANNER
クリスチャン・ダナー ドイツ出身 1985年初代の国際F3000のチャンピオン 1985年初参戦のザグスピード J・パーマーのケガにより クリスチャン・ダナー 2戦のみF1デビューを果たす R13ベルギーGP 予選22位(モデル仕様) R14ヨーロッパGP 予選25位 決勝はどちらもリタイア ザグスピードは WESTがタバコスポンサー エンジン・シャーシとも自製であっあたが 完走はJ.パーマーの1回(11位)と 厳しい参戦1年目の結果となった #F1-1985年
C.DANNER 30 1/43 WESTFW12C