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2012 (20TH) SPARK MARUSSIA MR02 T.GLOCK
the story will be at a later date.
240305 T.GLOCK 2012 24FW12C
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1969 (20TH) Quartzo (Team Gunston) BRABHAM REPCO BT24 S.TINGLE
ローデシア出身 サム・ティングル 最後の出走 BRABHAM REPCO BT24 サム・ティングル ローデシア出身 ローデシアは現在のジンバブエで F1での同国出身エントリーは3名のみ ティングルは隣国であった南アフリカGPのみを スポット参戦1963年~1969年で5回出走 1969年はプライベターTeam Gunston マシンはブラバム レプコ BT24 開幕戦の南アフリカGP 予選はタイム出した中で最下位の17位 決勝はトップから7周遅れながら8位完走 キャリア5回の中でベストリザルト ティングルはこれがF1最後のレースとなり 最終レース時の年齢は47歳であった F1本戦ではポイント獲得はならなかったものの F1非選手権では3度の入賞がある モデルはQuartzo 南アフリカGP仕様 予選17位→決勝8位 Gunstonは南アフリカタバコで ブランドカラーはオレンジ 前年の1968年にF1で初めて タバコのスポンサーカラーを マシンに取り入れたのが このプライベートチームであった
240130 S.TINGLE 1969 17FW12C
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1999 (20TH) PMA ARROWS A20 T.TAKAGI
開幕直前アロウズシート獲得 高木虎之介ポイントならずARROWS A20 1999年シーズン開幕直前に アロウズのシートを獲得の高木虎之介 チームメイトは新人ペドロ・デ・ラ・ロサ 開幕戦オーストラリアで予選17位 決勝は入賞一歩手前の7位完走 この予選・決勝のリザルトがシーズンベスト 決勝の7位は虎之介のキャリアベスト このGPではデ・ラ・ロサが6位入賞 チームに貴重な1ポイントをもたらし 1ポイントで並んだミナルディには 虎之介の7位により上回り コンストラクターで9位となった 虎之介はこの年でF1からは去り 日本人フル参戦ドライバ―としては 唯一の無得点者でF1通算32戦(失格1回)で ノーポイントは歴代ワースト4位 翌2000年フォーミュラーニッポンに復帰 10戦中8勝で圧勝のチャンピオンを獲得 2003年にはインディ500の ルーキーオブザイヤーを獲得している モデルはミニチャンプス 収集初期に購入したモデル この年の虎之介のモデルは TEST CAR /SHOW CAR /別注モデルなど 沢山のバリエーションが存在する 🏁高木虎之介 (日本) 【決勝出走数】31回 【予選最高位】13位(2回) 1998年 ティレル R1オーストラリア 1998年 ティレル R3アルゼンチン 【決勝最高位】 7位 1996年 アロウズ R1オーストラリア
230913 T.TAKAGI 1999 15FW12C
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2011 (20TH) SPARK SAUBER C30 FERRARI P.DE.LA.ROSA
the story will be at a later date.
230328 P.DE.LA.ROSA 17 1/43FW12C
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1998 (20TH) PMA TYRRELL FORD 026 R.ROSSET
ティレル最後のマシン TYRRELL 026 4度の予選落ち リカルド・ロセット 1998年シーズン前 ティレルオーナー ケン・ティレルはチームを クレイグ・ポロックに売却 ドライバ―は高木虎之介と ヨス・フェルスタッペンの予定であったが ポロッグの意向により R・ロセットに変更 Safra・LYCRAのスポンサーを持ち込んだ この件もありケン・ティレルは シーズン途中にチームを離脱した ロセットはR7カナダGPの決勝8位が最高 これは生涯ベストリザルトタイ 1996年導入の予選107%ルールに 度々引っ掛かり予選落ち R16日本GPでもシーズン4度目の予選落ちで ティレルの最終戦に決勝進出できなかった ティレルは1968年からの約30年の 歴史に幕を閉じ翌年はBARとして参戦
230207 R.ROSSET 20 1/43FW12C
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1998 (20TH) PMA TYRRELL FORD 026 "TOWER WING″ R.ROSSET
マイク・ガスコインがデザインした TYRRELL026はダウンフォース不足を補う為 前年度にも導入したサイドウイングを採用 数チームが追随して空力トレンドになった ミニチャンプスでは "TOWER WING″として このウイングを装着した ティレル・フェラーリ・ジョーダン ザウバー・プロストの5チーム合計10名を "TOWER WING″仕様として限定数で発売 "TOWER WING″はR5スペインGPから J・アレジ(ザウバー)のピットでの事故や 見た目の悪さもあり使用が禁止され サイドウイングありきでデザインした TYRRELL 026は翼を取られ更に成績悪化 長き歴史のティレルの最後を コンストラクター最下位で終えた リカルド・ロセットも1998年でF1最後 生涯入賞はなく決勝最高8位の成績であった 🏁リカルド・ロセット (ブラジル) 【決勝出走数】26回 (入賞0回) 【予選最高位】17位(2回) 1996年 アロウズ R2 ブラジル 1996年 アロウズ R15 ポルトガル 【決勝最高位】 8位(2回) 1996年 アロウズ R12 ハンガリー 1996年 ティレル R7 カナダ #F1-1998年 #F1-LAST
230207 R.ROSSET "TOWER WING″ 2.222FW12C
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1996 (20TH) ONYX MINARDI FORD M195B P.LAMY
ペドロ・ラミー 初のフル参戦 最後のマシン MINARDI FORD M195B 1996年シーズンはドライバ―の エントリーが複数あったのは ミナルディのみで合計4人 その中でペドロ・ラミーは初のフル参戦 エース格で挑んだシーズンであったが 開幕戦予選で新人のG・フィジケラに敗れ R3アルゼンチンでもT・マルケスにも敗れた 決勝もR4サンマリノGPの9位が最高位 ミナルディのチームとしても 1990年以来6年ぶりのポイント無で終了 ラミーはこの年限りでF1引退 ポルトガル出身のF1ドライバ―は ラミー含め現在まででわずか4人のみ 1991年のペドロ チャベス(コローニ)は 決勝進出していない為 決勝走行は3人 ラミーの次のポルトガル人ドライバーは 2005年のT.モンテイロ(ジョーダン) ラミーは見た目より実際は若く F1 初エントリーは21歳 F1 最終エントリは24歳だった ペドロ・ラミー(ポルトガル) 決勝出走回数 32回 予選最高位 14位 1995年 ミナルディ R15パシフィック 決勝最高位 6位 1995年 ミナルディ R17オーストラリア #F1-1996年 #F1最後のマシン
P.LAMY 20 1/43 MINARDIFW12C
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1995 (20TH) PMA TYRRELL YAMAHA 023 U.KATAYAMA
片山右京 ティレル3年目 不振のTYRRELL YAMAHA 023 1995年ティレルと右京は 前年の成功で期待されたシーズン しかし新兵器としてフロントに ハイドロリンクサスペンション なるものを導入したが不発に終わり 通常のサスペンション戻す有様 予選最高は開幕戦の11位→決勝R 決勝最高はR9ドイツの予選17位→7位 R13ポルトガルでは他車と絡み 激しいクラッシュで次戦を欠場 予選・決勝ともTM M・サロに遅れを取り ノーポイントでシーズン終了となった ONYXからは2台のモデルが発売 R1.2は全体がブルーベース R3戦以降のマシンのカラーリングは ブルーと白のコントラストで スポンサーロゴも映える形となった 画像1 PMA通常版 画像2 ONYXブラジルGP仕様 画像3 ONYXR3戦以降仕様 #1995年 #F1-1995年
U.KATAYAMA 3 1/43 TYRRELLFW12C
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1992 (20TH) SPARK FOOTWORK FA13 A.SUZUKI
#1992
A.SUZUKI 10 1/43 FOOTWORKFW12C
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1990 (20TH) ONYX LOTUS 102 M.DONNELLY
マーティン・ドネリー 選手生命奪う 大クラッシュ LOTUS 102 マーティン・ドネリー イギリス出身 ガンダムの連邦基地としても有名な 北アイルランド ベルファストが出身地 1987年マカオF3で優勝 1988年は国際F3000に途中 J・ハーバートの事故の代役で出場 初戦でいきなりの優勝など 5戦中2勝2位2回でランキング3位 1989年 D・ワーウィックの代役で アロウズからスポット参戦 1990年 ロータスからフル参戦 チームメイトは前年度アロウズで 自身欠場の代役に推薦した 同郷のディレク・ワーウィック ポイントの獲得はなかったものの ハンガリー7位など速さが認められ 翌年はロータスのNo.1として契約更新 (No.2はミカ・ハッキネン) 更新後のR14スペインGP予選で 左フロントサスペンションが壊れ モノコックの前半分は粉砕 ドネリーはシートベルトを締めたシートごと コースに投げ出され手足の関節は 異なる方向に曲がりコースに横たわった 一命は取り留めたものの レーシングドライバーとしては 復帰できなかったが 2011年グッドウッド・フェスティバルで レストアしたロータス102を 21年ぶりにドライブしヒルクライムに出場した この後国際F3000時代とは逆に ドネリーのシートには ジョニー・ハーバートが座った モデルはONYX 同じくONYXのLOTUS 102の ディレックワーウィック車にだけ 何故かゲータレード(Gatorade) のスポンサーロゴが存在する https://youtu.be/_JwPKGbtkTs
M.DONNELLY 1990 12 1/43FW12C
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1986 (20TH) PMA ARROWS BMW A8 T.BOUTSEN
#振り向けばブーツェン #F1-1986年
T.BOUTSEN 18 1/43 MINICHAMPSFW12C
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1988 (20TH) SPARK WILLIAMS JUDD FW12 M.BRUNDLE
1988年はM・ブランドルは レギュラーシートを失い マンセルの代役でのスポット参戦のみでした ベルギーGP 予選12位→決勝7位 カーナンバー5はレッド5のままです SPARKはこのようなモデルを 出してくれるのが良いです #1988
M.BRUNDLE 5 1/43 BARCLAYFW12C