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2001 12TH PMA JORDAN HONDA EJ11 H.H.FRENTZEN
★2026年 HONDA パワーユニット★ アストンマーチンで復活 現在のアストンマーチンF1を遡ると 2021~アストンマーチン 2018~レーシングポイント(R13より) 2008~フォースインディア 2007~スパイカー 2006~ミットランド 1991~ジョーダン 現在のアストンマーチンの はじまりはジョーダンチームで HONDAとのかかわりも多かった 2001年過去3シーズン無限ホンダが ジョーダンにエンジン供給を行っていたが この年はHONDAエンジンに変更 ジョーダンHONDAが誕生 (2001年はアロンソのデビューの年) ドライバ―はH・Hフレンツェンが残留 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ フレンチェンは序盤4戦で全て完走 4位・5位・6位各1回入賞と出だしは好調も 中盤からはマッチングに苦しみ その後は入賞無しと苦戦 R12ドイツGP前に突如解雇されて J・アレジと交換の形でプロストに移籍した HONDAは翌2002年もジョーダンに供給 佐藤琢磨のデビューも後押しした だいぶと先ですが 2026年のアストンマーチンHONDAの 挑戦に期待します!! https://muuseo.com/FW12C/items/1150?theme_id=34513
230525 H.H.FRENTZEN 2.304 11FW12C
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1979 12TH IXO LOTUS FORD 80 M.ANDRETTI
野心的グランド・エフェクトカー M・アンドレッティ 3戦限りのLOTUS 80 ロータス79の成功を基にダウンフォースを 全てグラウンド・エフェクトのみで確保 テスト走行の段階では 前後のウィングを完全に排するという 野心的なマシンロータス 80を投入 実際には前後のウイングが付いて登場 R5スペインGPで投入されると 予選4位→決勝3位表彰台獲得 しかしロータス80はベンチュリー効果は 増大したもののマシンの加速時や減速時に 波動的な縦揺れが発生してマシンの姿勢が 安定せず まともに走行できる状態でなかった ロータス80が決勝に投入されたのは アンドレッティ車 決勝は3戦のみ 後半戦は再びロータス79にマシンを戻したが 成績は向上せずに 結果ロータス80での 3位が年間のベストリザルト チームとしても表彰台1回のみ 前年度ワールドチャンピオンが まさかの年間12位となりチームメイトの C・ロイテマン(年間7位)にも敗れた モデルはデアゴスティーニの F1マシンコレクション 106号 主戦マシンだけでなくこのようなモデルを リリースしてくれたのはコスパ的にも このシリーズの魅力的な所 https://muuseo.com/FW12C/items/723
230217 M.ANDRETTI F1マシンコレクション 1FW12C
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1996 7TH PMA McLAREN MERCEDES MP4/11 D.COULTHARD
念願のマクラーレンに移籍の デビット・クルーザード 最後のMarlboro 1996年クルーザードは前年1995年にも 移籍を画策したマクラーレンに移籍 チームメイトはミカ・ハッキネン R4ヨーロッパGPで3位表彰台初入賞 R6モナコGPは混乱の中2位表彰台 これは1996年のマクラーレンのベストリザルト メルセデスエンジン2年目で 後半戦熟成が進み高速コースでは 予選上位に食い込んだが 年間では18ポイントで順位は7位 ハッキネンは31ポイント5位 クルーザードはこの後2004年まで 9シーズンマクラーレンに在籍 奇しくもハッキネンも9シーズンで 6シーズンがチームメイトとなる マクラーレンは23年間スポンサーの Marlboroの最後の年 翌年よりWESTタバコ Marlboroデカールが貼れてないのが 写真映えしないので悔やまれます #F1-1996年 #マクラーレン #F1 #1996年
D.COULTHARD 8 1/43 McLARENFW12C
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1976 9TH PMA McLAREN FORD M23 J.MASS
ヨッヘン・マス マクラーレン2年目 自身最後の2度目のファステストラップ 1976年マクラーレンM23の4年目 レギュレーション変更に合わせ インダクションポッドはドライバーの 頭部左右から吸気する方式に変更 軽量化と共にホイルベースが延ばされた 予選・決勝とも新加入のJ・ハントが圧勝 マスは2度の3位表彰台を含む8度の入賞 レギュレーション変更のR4スペインGPでは 自身最後の2度目ファステストラップを記録 R12オランダGPではニューマシンのM26が マス車に先行で導入されたが 予選15位→決勝9位に終わり再びM23で出走 ◆R16日本(富士SW) 予選12位→決勝R◆ 1976年は前半8戦中7戦 後半8戦中7戦が有効P ハント69P マス19P チーム有効74P フェラーリに有効ポイント差9Pで コンストラクタ―チャンピオンは逃した #F1 #F1-1976年 #Mclaren
J.MASS 1976 1回 12FW12C
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1979 12TH PMA LOTUS FORD 79 M.ANDRETTI
前年度のワールドチャピオン マリオ・アンドレッティ LOTUS4年目 1978年グランドグランドエフェクトカーで 圧倒的であったLOTUS79は 1979年に入ると他のチームも追随 優位性は徐々に無くなりLOTUS80を投入 ダウンフォースをウイングではなく グラウンド・エフェクトのみに頼るLOTUS80は 投入初戦のR5スペインで3位獲得したものの マシンの姿勢が安定せず明らかに失敗に終わり 再びLOTUS79に戻すというドタバタ劇 後半戦はLOTUS79のBスペックというべき マイナーチェンジが施されたが モデルのR13イタリアでの5位入賞のみに終わる アンドレッティはまさかの未勝利で年間12位 Bスペックではモノコック前部の延長 ラジエターアウトレットの拡大 リアウィングはセンターマウント式に変更され PMAではイタリアGP仕様として発売 所有している初期に発売された TMのC・ロイテマン車とはカラーリング含め 同じLOTUS79ですがかなり違う形状で発売されました #F1-1979年 https://muuseo.com/FW12C/items/699
M.ANDRETTI 2.808 1 1/43FW12C
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1990 8TH PMA BENETTON FORD B190 A.NANNINI
#F1-1990年
A.NANNINI 20 1/43 BENETTONFW12C
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1987 9TH PMA BENETTON FORD B187 T.FABI
テオ・ファビ イタリア出身 前年度からのベネトン残留 1987年 TMはT・ブーツェン 高速コースを得意とし R3サンマリノGP イモラで 自身通算2度目のファステスト R10オーストリアGP エステルライヒリンク (のちA1リンク 現レッドブル・リンク) 自身通算2度目の3位表彰台獲得 年間順位9位 12ポイントは生涯ベスト ブーツェンとの不仲??もあり この年でF1は引退 不仲とされたブーツェンとも 1993年にはル・マン24時間で Y・ダルマスとともに プジョー・905で2位を獲得してます #1987
T.FABI 2.160 19 1/43FW12C
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1987 7TH LOOK SMART FERRARI 187 M.ALBORETO
アルボレート フェラーリ5年目 ベルガー加入 FERRARI F187 1987年フェラーリは新車F187を導入 コックピットからフロントがウイリアムズ 後ろ半分がマクラーレンのマシンに似ており 当初はマクウイリアムズと揶揄された デザイナーのグフタス・ブルナーは 3戦目で早々に離脱 以降は ハーベイ・ポスルスウェイトにより修正された アルボレートはフェラーリ5年目 チームメイトはゲルハルト・ベルガーが加入 R4までに2度の3位を記録したが 以降10連続のリタイアはすべてトラブル起因 終盤2戦でようやく熟成が進み 初開催の鈴鹿でベルガー優勝アルボレート2位 最終戦オーストラリアでは1985年カナダ以来 42戦ぶりベルガー/アルボレート1・2フィニッシュ アルボレートは前年に続きチームメイトに 大きく負け越し年間順位は7位17ポイント 翌1988年はフェラーリ最後の年を迎える
M.ALBORETO 1987 27 1/43FW12C