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1978 17TH QUARTZO RENAULT RS01/2 J.P.JABOUILLE
フランス チーム ルノー ターボエンジン 初入賞 J・P・ジャブイ-ユ RS01/2 1978年 前年度より参戦ルノーは 本格参戦を果たすがル・マン24時間を 優先の為 開幕2戦は欠場 ドライバーはJ・P・ジャブイ-ユの1台体制 R3南アフリカGPで予選6位と速さをみせる ターボエンジンが改善され直線スピードが伸び R12オーストリア R14イタリアでは予選3位 しかし決勝の信頼性は上がらずに 途中7戦連続のリタイアと苦しんだ それでもR15アメリカWEST GPでは 予選9位→決勝4位入賞 記念すべきルノーとターボエンジンの初入賞 モデルはそのアメリカWEST GP仕様 J・P・ジャブイ-ユにとっても初入賞 生涯入賞回数は3回で他の2回は優勝 下位での入賞はこの1回限り ジャブイーユはフランスの同胞で F1通算6勝のジャック・ラフィーとは 義理の兄弟(互いの妻が姉妹)でもある #F1-1978年
230125 J.P.JABOUILLE 1978 15FW12C
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1995 7TH PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES M.HAKKINEN
マクラーレン フル参戦2年目M・ハッキネン メルセデスエンジン 選手生命危機の事故 1992年HONDA撤退後 マクラーレンは FORD→プジョー→メルセデスと 4年で4種のエンジンメーカー 1995年に導入されたマシンMP4/10は エンジンカウルを水平方向に延長して その上の小型のセンターウィングが特徴 しかしながら他チームの追随も無く センターウイングの効果は懐疑的 不格好なハイノーズと共に空力面で 遅れを取り 結果2年連続 計33戦未勝利 ハッキネンはR12イタリアで2位 R15パシフィックは虫垂炎で欠場 (代役はJ・マグネッセン(デンマーク) 復帰のR16鈴鹿では再び2位も 年間の入賞は4回で順位は7位 最終戦のオーストラリア 予選 タイヤのパンク起因でウォールに激突 衝撃で舌を噛み切ってしまう等 選手生命の危機ともなる事故を起こす モデルの台紙はMERCEDES別注の初期 グレーのカラーをベースに スリーポインテッドスターが印刷されている #1995 #F1 #MERCEDES別注 #McLAREN #ハッキネン
M.HAKKINEN MERCEDES 7 1/43FW12C
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1979 5TH PMA WILLIAMS FW07 C.REGAZZONI〖🏆1〗
永き歴史のウイリアムズ初優勝モデル 1979年40歳を迎えたクレイ・レガツォーニ ウイリアムズに新規加入 前半戦は昨年型のマシンで苦戦 ウイングカー時代の名車FW07は R5スペインより導入 R7モナコで予選16位→決勝2位表彰台 R9イギリス 予選はTMのA・ジョーンズがPP レガツォーニは予選4位から ジョーンズがリタイアの39週目に トップに立ちそのままチェッカー この勝利をきっかけにウイリアムズは トップチームに登り詰めます 現在までにウイリアムズは114勝 その記念すべき初勝利 このモデルはカウルが着脱可能で FW07の特徴でもあるサイドポンツーン内が ラジエターのみの空洞で大量の空気が 流れるように設計されている構造が分かります レガツォーニはこの勝利が通算最後の5勝目 1979年は29ポイント 年間順位は5位 翌年エンサインの大事故で 残念ながら引退します #F1-1979年
C.REGAZZONI 2回 28 1/43FW12C
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1994 8TH PMA WILLIAMS FW16 RENAULT D.COULTHARD
デビッド・クルーザード イギリス・スコットランド出身 ヘルメットはスコットランド国旗をモチーフ 1994年 今後15年間F1で活躍する クルーザードのデビューはウイリアムズ テストドライバーから A・セナの代役としてR5スペインから抜擢 引退したR・パトレーゼやT・ブーツェンが ウイリアムズの復帰の誘いを拒否をした為 否応なしという部分があった しかし予選ではTMのD・ヒルと遜色なく競い ルーキーながらその才能の片鱗を見せた R12イタリアでは2位走行中に最終週 ガス欠で涙をのんだが(6位完走扱い) R13ポルトガルでは2位表彰台をヒルと イギリス人1・2フィニッシュで決めた R14~16はN.マンセルにシートを奪われ これがチームへの不信感につながり マクラーレンへの移籍を画策するも 契約が残っており翌年も残留する 9回出走 完走した5回はすべて入賞 FLも2回獲得 年間順位は8位 #F1-1994年 #1994年
D.COULTHARD 2回 3.333 2FW12C
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1993 15TH PMA McLAREN MP4/8 FORD M.HAKKINEN
1993年 M.ハッキネンはロータス残留発表後 ウィリアムズの移籍がまとまっていたが ウィリアムズのエントリー承認問題が絡み 移籍をピーター・コリンズによって阻止されるも 今度はマクラーレンへの移籍が決まる複雑な経緯 マクラーレンではセナの契約問題で 大半をテストドライバーで過ごすが マイケル・アンドレッティの成績不振もあり離脱 R14ポルトガルGPで初出走 セナを上回る予選3位で周囲を驚かせた R15日本GPでは自身初の3位表彰台を獲得 これ以後2001年まで8年間マクラーレンの エースドライバ―としてキャリアが進む 台紙はMcLaren COLLECTIONの初期仕様で この年のみの3台に採用されたデザイン こちらのモデルはMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2010年1月27日 4800円 #F1-1993年 #アダムスキー(サイケデリア)
M.HAKKINEN 8 1/43 McLARENFW12C
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1983 13TH PMA LOTUS RENAULT 94T N.MANSELL
#F1-1983年 #マンセル
N.MANSELL 580 12 1/43FW12C