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1980 3RD PMA WILLIAMS FW07B C.REUTEMANN
ロイテマン ウイリアムズ移籍 連続入賞記録樹立 WILLIAMS FW07B 1980年ロイテマンはウイリアムズに移籍 チームメイトはアラン・ジョーンズ この時のロイテマンの契約は 所謂ナンバー2としてのもので ジョーンズを優先させるものだった為 2人のドライバーの不仲の原因ともなった R4までは入賞1回と苦戦するも R5ベルギーGP決勝3位表彰台を獲得 R6モナコGP ウイリアムズでの初勝利 その後最終戦R14まで全戦完走&入賞 さらに翌1981年R5ベルギーGPまで継続 15戦連続入賞 (内表彰台13回) 1963~1964年のジム・クラークの 12戦連続入賞を越えて当時新記録 2023年現在は歴代23位タイの記録であるが 上位の他すべてが2000年以降であり 当時としては異例の記録 ウイリアムズ初のコンストラクター チャンピオン獲得に大きく貢献した 翌1981年もウイリアムズに残留 ジョーンズとの関係は更に悪化する
230706 C.REUTEMANN 28 1/43FW12C
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1997 2ND PMA WILLIAMS RENAULT FW19 H.H.FRENTZEN〖🏆1〗
H.H.フレンチェンウイリアムズ移籍 初勝利・初PP WILLIAMS RENAULT FW19 1997年フレンチェンは前年度 ワールドチャンピオン D・ヒルの代わりに ウイリアムズに移籍 TMはJ・ビルヌーブ R4サンマリノGPで予選2位→初優勝 フレンチェンの通算勝利は3勝 R5モナコで予選初ポール・ポジション 終盤戦で5戦連続表彰台もあり コンストラクターチャンピオンに貢献 しかしJ・ビルヌーブの獲得ポイントの 約半分の42PでTM対決では見劣りする結果 年間順位はシューマッハのP剥奪で2位 フレンチェンはONYXと独占契約を結んでおり PMAの台紙はGERMAN DRIVERの表記 ONYXからは数種類バージョンが発売 ①PMA Rothmans仕様 ②PMA 通常版 ③ONYX 通常版 ④ONYX Castorolバージョン ⑤ONYX フランスGP仕様 ⑥ONYX イギリスGP仕様 ⑦ONYX ドイツGP仕様 #F1-1997年
221116 H.H.FRENTZEN 4 1/43FW12C
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1962【WORLD CHAMPION】SPARK BRM P57 G.HILL 〖🏆4〗
1962年 WORLD CHAMPION 全9戦 4勝 グラハム・ヒル 1度目のチャンピオン #F1-1962年
221010 G.HILL 1962 1回FW12C
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1995 5TH PMA FERRARI 412 T2 J.ALESI〖🏆1〗
F1参戦 91戦目 ジャン・アレジ 最初で最後の勝利 FERRARI 412 T2 1995年初優勝3人の1人目 1995年6月11日 奇しくも アレジ 31歳の誕生日 R6カナダGP アレジの最も尊敬する ジル・ビルヌーブの名称のサーキット M・シューマッハ(ベネトン)が58周目に トラブルで後退 残り11周を約30秒の マージンを受けてトップを走行 観客がサーキットになだれ込む中 前が見えなくなるほどの涙の チェッカーフラッグ 参戦91戦目は当時の2番目の 初優勝までの遅い記録 (1位は95戦 T・ブーツェン) 結果的に最初で最後の優勝となった その約20日後に前妻との離婚が成立して 後藤久美子との婚約が発表された (ゴクミ当時21歳 現在まで事実婚のまま) フェラーリでの5年間は年間順位 7位→7位→6位→5位→5位 シューマッハのフェラーリ移籍に伴い アレジはベネトンに移籍 1995年初優勝の3人は (J・ハーバート D・クルーザード) 全員翌年 他チームへ移籍となった #F1初優勝 #1995
J.ALESI 1回 27 1/43FW12C