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2011 11TH PMA LOTUS RENAULT GP R31 N.HEIDFELD
the story will be at a later date.
241111 N.HEIDFELD 2011 9FW12C
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2008 12TH PMA RENAULT F1 TEAM R28 N.PIQUET(Jr.)
歴代12番目 F1親子ドライバー N・ピケJr.デビュー RENAULT R28 ネルソン・ピケJr. ブラジル出身 父は3度のワールドチャンピオンN・ピケ 母はオランダ人で生後間もなく両親別居 幼少期はモナコで過ごしたのち 母の希望で父のF1引退後 8歳でブラジルへ 2004年 イギリスF3 チャンピオン(3勝) 2006年 GP2 シリーズ2位(4勝) 2008年 ルノーよりF1デビュー チームメイトはフェルナンド・アロンソ 序盤はリタイアが続き途中解雇も噂されたが R7フランスGP 予選11位→決勝7位初入賞 R10ドイツGP 予選17位 決勝は1回のピットストップ直後に セーフティカーが導入され 他車がピットインした事で ピケJr.一時は首位を走行(6周) 最終的にはキャリア唯一の2位表彰台を獲得 最高位2位のドライバーの1人 しかしR15シンガポールGP 14周目にピケJr.はクラッシュを起こしたが これはアロンソを勝たせるための チームから故意の指示だった事が後に判明 クラッシュゲートとして知られ F1界を震撼させた重大事件となった モデルはミニチャンプス 2008年はルノーはNOREVとの契約の為 台紙にドライバー名を使用できずに カーナンバーNo.6のみの表記となっている
240604 N.PIQUET(Jr.) 2008 6FW12C
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2016 18TH PMA RENAULT R.S.16 JOL.PALMER
F1 歴代15組目 親子ドライバー JOL・パーマー RENAULT R.S.16 ジョリオン・パーマー イギリス出身 父は医師免許を持ちフライング・ドクター とも呼ばれ1980年代にザグスピードや ティレルで活躍したジョナサン・パーマー F1歴代15組目の親子ドライバー 2014年GP2チャンピオン(4勝) 同年フォースインディアでテスト参加 2015年ロータス・ルノー テストドライバー 2016年チーム名がロータス→ルノーとなり レギュラードライバーに昇格 チームメイトはこちらも親子ドライバー 歴代13組目のケビン・マグヌッセン 開幕戦でシーズンベストの予選14位 後半戦ケビンに予選で勝ることも多かったが チーム買収の遅れにより マシン開発が進まなかった事もあり 決勝はR16マレーシアGPでの 予選19位→決勝10位入賞は1回のみ 翌2017年はケビンがHAASに移籍 ジョリオンはルノー残留となった モデルはミニチャンプス GP表記のないRACE CAR仕様 当時ルノーと提携があり 日産が1989年から日本国外で展開する ブランド インフィニティ (INFINITI)の ロゴが エンジンカバーに貼られている ⬇️父ジョナサン・パーマー https://muuseo.com/FW12C/items/84 https://muuseo.com/FW12C/items/424 https://muuseo.com/FW12C/items/301
240223 JOL.PALMER 2016 30FW12C
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1977 (45TH) IXO RENAULT RS01 J.P.JABOUILLE
オールフレンチ ルノーデビュー ジャン・ピエール・ジャブイユ RENAULT RS01 1977年フランスのルノーが参戦 RS01にはF2用をベースとした F1初のターボエンジンを搭載 タイヤはミシュランが初参戦 F1初のラジアルタイヤを装着 燃料はエルフ ドライバーはジャン・ピエール・ジャブイユ オールフレンチでのF1挑戦が始まった R9フランスGPはあえて避けて R10イギリスGPよりデビュー 予選21位→決勝はエンジンが壊れリタイア 2戦欠場後のR13オランダGPでは 予選10位と健闘も決勝はリタイア 年間で5戦出場 1度予選落ち 決勝進んだ4戦はいずれもリタイア たびたびエンジンから白煙をあげ イエロー・ティーポットを揶揄された 最終戦日本GP(富士SW)は不参加 F1界においてはターボエンジン 幕開けに向けた記念すべき1台 モデルはIXO (デアゴスティーニ) F1マシンコレクション GP仕様の表記はないが フロントウイング形状 リアウイングのカラー・ロゴから 初参戦のR10イギリスGP仕様と思われます
240208 J.P.JABOUILLE F1マシンコレクション 1977FW12C
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2005 【WORLD CHAMPION】PMA REAULT R25 F.ALONSO〖🏆7〗
🔲🔲🔲2005🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 REAULT R25 🟦🟦 F.ALONSO 🟦🟦 🔲🔲🔲全19戦🔲🔲🔲 【出走】18回【PP】6回 【優勝】 7回【FL】2回 当時最年少 ワールドチャンピオン フェルナンド・アロンソ REAULT R25 2005年 ルノー3年目のアロンソ チームメイトはジャンカルロ・フィジケラ 開幕戦は予選で出遅れたものの 予選13位→決勝3位表彰台 その後R2~R4まで3連勝で チャンピオンシップをリード ミュシュラン勢がタイヤ問題で 欠場したR9アメリカ除くと アロンソのリタイアは僅か1回 年間7勝 2位5回 表彰台15回 スペイン人として初 24歳58日 当時F1史上最年少でF1ワールドチャンピオン 1972年E・フィッティパルディ(ロータス) 25歳273日を33年ぶりに更新 その後2008年にルイス・ハミルトン 2010年セバスチャン・ベッテルが更新 チャンピオン獲得したものの2年後の 2007年からのマクラーレン移籍を発表した モデルはミニチャンプス ミシュラン別注モデル チェッカーフラッグを持った ミシュランマンが付属 タバコ禁止GPで主に使用された MILD SEVEN→TEAM SPIRITロゴ
231216 F.ALONSO 2005 2回FW12C
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1976 TEST SPARK ALPINE RENAULT A500 J.P.JABOUILLE
ルノー F1初のターボエンジン プロトタイプカー ALPINE A500 排気量1.5リッター V型6気筒のエンジン F1では初となるターボチャージャーが 搭載されたルノーのテストカー アルピーヌA500はテスト専用で フランス語で実験にあたる〖ラボラトワール〗 また存在が謎に包まれていた為 英語の幽霊にあたる〖ファントム〗などと呼ばれた 1976年5月にルノーがF1用エンジンを 開発中であることが発表されて公になり またミシュランが開発したF1用のタイヤを 装着した初のF1マシンでもあった ターボラグなどのエンジンの不具合において 当時はテレメトリーシステムが無かったが テストドライバーを務めた ジャン・ピエール・ジャブイーユの 分析力が大きな助けとなり 1976年途中からルノーF1の参戦となった モデルはスパーク A500が発表されてからは フランスのELFなどのスポンサーロゴが マシンに付いたが当該モデルは スポンサーの無い漆黒のバージョン ジャブイーユの赤いヘルメットが 黒のマシンと黒い台座に浮かび上がります
231122 J.P.JABOUILLE TEST CAR 1/43FW12C
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2003 PMA 6TH RENAULT R23 F.ALONSO
フェルナンド・アロンソ 初表彰台 初優勝 RENAULT R23 2001年ミナルディでデビューの フェルナンド・アロンソは1年ブランク後 2003年ルノーでF1に復帰 チームメイトはヤルノ・トゥルーリ 開幕戦オーストラリアで初入賞7位 R2マレーシアで初PPから 決勝初表彰台3位獲得 その後も入賞を重ねて R13ハンガリーで2度目のPPより 決勝で初優勝を果たす 現在までのアロンソの優勝は32回 また初表彰台の2003年R2マレーシアGPから 2023年R13オランダでの2位表彰台は ミハエル・シューマッハがもっていた 記録を更新して最初と最後の表彰台の 最長ギャップ20年5ヶ月4日後となった まだまだ更新されそうです 2003年はチームメイトのトゥルーリを 圧倒して年間55ポイントで順位は6位 モデルはミニチャンプス MILD SEVEN仕様に加工しています
230831 F.ALONSO 2003 1回FW12C
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1980 8TH QUARTZO RENAULT RE20 J.P.JABOUILLE
2年連続入賞が優勝のみ ジャン・ピエール・ジャブイーユ ジャブイーユはルノー4年目 チームメイトは前年同様R・アルヌー 開幕戦よりニューマシンRE20を投入 この年もターボエンジンに左右され 予選ではPP2回 2位4回と速さを見せたが R9までに完走扱いの10位が1回のみ この間にアルヌーが2勝を含む入賞を4回 ジャブイーユのチーム内の立場も 微妙のものになっていった R10オーストリアGPは 予選2位からトップに立ち アラン・ジョーンス猛追をしのぎ 最後は0.8秒差で逃げ切り優勝 ジャブイーユの自身2勝目は 2年連続の入賞が優勝のみの珍しい記録 R13カナダGPのブレーキトラブルで クラッシュし両足を骨折 最終戦を欠場するとともにルノーを離脱 ターボエンジン開発ドライバ―として 多くのチームから声がかかる中 翌1981年はリジェへ移籍 RE20のマシンは号数で2番目の数値を 表記する場合がありこのモデルは 開幕のアルゼンチン仕様でRE22の表記 #F1-1980年
230722 J.P.JABOUILLE 1980 15FW12C
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1980 6TH QUARTZO RENAULT RE20 R.ARNOUX
ルネ・アルヌー 初優勝からの連勝 ルノー・ターボの2・3勝目RENAULT RE20 1980年アルヌーはルノー2年目 チームメイトは昨年同様の ジャン・ピエール・ジャブイユ 開幕戦リタイアだったものの R2ブラジルGPで初優勝 続くR3南アフリカと連勝 アルヌーの通算勝利数は7勝 前半7戦で2勝含む入賞4回で チャンピオン狙える位置で折り返す 後半戦は予選で3戦連続PPがあったものの 入賞はR12オランダGPの2位のみ 年間順位は6位に終わる チームは4年目にして2人で3勝 コンストラクターも4位に躍進 アルヌーはジャブイユから チームエースの座を奪いルノーは アルヌー中心で回るようになり 翌1981年ジャブイユはリジェ・マトラに移籍 ルノーはオールフレンチ体制を維持し チームメイトにアラン・プロストを迎える
230606 R.ARNOUX 1980 4回FW12C
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1978 17TH QUARTZO RENAULT RS01/2 J.P.JABOUILLE
フランス チーム ルノー ターボエンジン 初入賞 J・P・ジャブイ-ユ RS01/2 1978年 前年度より参戦ルノーは 本格参戦を果たすがル・マン24時間を 優先の為 開幕2戦は欠場 ドライバーはJ・P・ジャブイ-ユの1台体制 R3南アフリカGPで予選6位と速さをみせる ターボエンジンが改善され直線スピードが伸び R12オーストリア R14イタリアでは予選3位 しかし決勝の信頼性は上がらずに 途中7戦連続のリタイアと苦しんだ それでもR15アメリカWEST GPでは 予選9位→決勝4位入賞 記念すべきルノーとターボエンジンの初入賞 モデルはそのアメリカWEST GP仕様 J・P・ジャブイ-ユにとっても初入賞 生涯入賞回数は3回で他の2回は優勝 下位での入賞はこの1回限り ジャブイーユはフランスの同胞で F1通算6勝のジャック・ラフィーとは 義理の兄弟(互いの妻が姉妹)でもある #F1-1978年
230125 J.P.JABOUILLE 1978 15FW12C
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1981 5TH+α IXO RENAULT RE30 A.PROST 〖🏆3〗
アラン・プロスト 初優勝 地元フランスGP RENAULT RE30 1981年ルノーは完全新設計の ニューマシンRE30をR6モナコで導入 R8フランスGPでプロストは予選3位 大雨で2ヒートになったレースを制し 自身の初優勝と初FLも記録 プロストの通算勝利は51勝 FLは41回 プロストは自身初を含む予選PPを2度獲得 R12オランダ R13イタリアと連勝で年間3勝 年間で優勝3回 2位2回 3位1回も その他は全てリタイアと信頼性に苦しんだ チームは1発の速さはありR8フランスから 6戦連続PP獲得 コンストラクター3位と躍進 https://muuseo.com/FW12C/items/1056?theme_id=38179
221015 A.PROST 1回 15FW12C
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1981 5TH SPARK RENAULT RE20B A.PROST〖🏆3〗
アラン・プロスト RENAULT 1年目 自身初の表彰台獲得 RENAULT RE20B 1981年プロストはマクラーレンから 地元フランスルノーに移籍 TMはルネ・アルヌー 開幕~R5までは前年度改良のRE20Bで参戦 R3アルゼンチンGPで予選2位→決勝3位 プロスト自身初の表彰台獲得 プロストの生涯表彰台獲得回数は106回 2022年現在も歴代4位の記録 前年度3勝をあげたRE20の改良版の RE20Bであったが プロストの 他4戦はすべてリタイア この後R6~ニューマシンRE30を導入 プロストは初の優勝 PP FLを獲得します #F1-1981年 #プロスト
A.PROST 1回 15 1/43FW12C
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1979 8TH SPARK RENAULT RS10 R.ARNOUX〖🏆2〗 (WITH 2ND BRUMM FERRARI 312 T4 G.VILLENEUVE)
1979年7月1日 R7フランスGP ディジョン・プレノワ R・アルヌー(ルノー)と G・ヴィルヌーブ(フェラーリ) ラスト4LAPの伝説のバトル SPARKとBRUMMのコラボモデル #F1-1979年 #FERRARI
R.ARNOUX 2回 1.000 16FW12C
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1979 13TH SPARK RENAULT RS10 J.P.JABOUILLE〖🏆1〗
記念すべきルノーとターボエンジン初勝利 ジャン=ピエール・ジャブイユ フランス出身 ルノー初参戦の1977年より所属で3年目 この年よりルノーは2台体制 TMはR・アルヌー R3南アフリカは前年より仕様のRS01で ルノー初のPPを獲得も決勝はリタイヤ ニューマシンのRS10をR5スペインで導入 迎えたルノー地元R8フランス ディジョン モデル仕様 (台座のRS11表記は間違い) ルノーは予選フロントローを独占 決勝は47週目にジャブイユがトップを奪い 後半は独走して自身初の優勝 これはルノーにとっても 1.5ℓターボチャージャーエンジンにとっても F1初の優勝 ターボエンジンの幕開けとなった これ以降はターボエンジンの信頼性問題で ジャブイユはポイント獲得ならず 予選ではポールポジションは4回獲得も フランスの優勝のみがこの年唯一のポイント #F1-1979年
J.P.JABOUILLE 15 1/43 RENAULTFW12C
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1982 6TH Quartzo RENAULT RE30B R.ARNOUX 〖🏆2〗
#F1-1982年 #RENAULT
R.ARNOUX 16 1/43 RENAULTFW12C