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1975 14TH SPARK PARNELLI VPJ4 M.ANDRETTI
アメリカチーム パーネリ本格参戦 チーム唯一のFL 最高4位 PARNELLI VPJ4 1974年終盤参戦のパーネリは 1975年本格参戦 ドライバ―はM・アンドレティ しかし大きな支援があったタイヤメーカー ファイヤーストンが撤退 タイヤをグッドイヤーに変更した それでもR4スペインGPでは 予選4位から途中10週ラップリーダーと ファステストラップも記録(結果はリタイア) R7スウェーデンGPは4位入賞 これはチームパーネリの最高成績 モデルはそのスウェーデンGP仕様 R9フランスGPも5位入賞 アメリカのレース優先の為2戦欠場したが 予選最高4位と2度の入賞 本格参戦1年目としては上々の成績だが 資金難でマシンの開発は進まず 翌1976年序盤でチームは撤退する #F1-1975年 #F1
221211 M.ANDRETTI 1975 1回FW12C
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1976 6TH SPARK PERNELLI VP J4B M.ANDRETTI
アメリカンチーム パーネリ F1最後のマシン PERNELLI VP J4B パーネリは1963年のインディ500勝者 パ-ネリ・ジョーンズらによって設立 F1は1974年の終盤2戦より参戦 ドライバーはM・アンドレッティ 開幕戦のブラジルGPをチームは欠場 M・アンドレッティはロータスで出場 2戦目の南アフリカGP(モデル仕様) 昨年の改良型のVP J4Bで参戦 予選13位から決勝6位入賞を果たす しかしパーネリは前年度でスポンサーの タバコブランドViceroyが撤退 R3アメリカWESTを最後にF1から撤退 F1参戦はわずか16戦のみであったが M・アンドレッティのドライビングもあり 予選最高3位 ファステストラップ1回 決勝入賞3回(4位 5位 6位)を記録している アンドレッティはR4スペインGPより 再びLOTUSに加入して1976年を戦い この後1980年まで5年間所属します #F1-1976年 #アンドレッティ #F1 #PERNELLI #1976年
M.ANDRETTI 1976 27 1/43FW12C