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1990 (30TH) TAMEO ONYX ORE-2 J.J. LEHTO
フィンランド出身のJ.J.レートは愛称で 本名はユルキ・ユハニ・ヤルヴィレヘト 何とも言いにくい為 ケケ・ロズベルグの指示で J.J.レートで登録して参戦 1989年終盤4戦をONYXで出場 1990年はレギュラードライバ―として参戦 チーム内はゴタゴタで2戦目で S・ヨハンソンが離脱 出資金を持つ G・フォイテクが加入 R9ドイツGPからはチーム名も モンテベルディに変更 R10ハンガリーで2台予選落後 チームに見切りをつけ両ドライバー離脱 チームもそのまま消滅しました 前年度のS・ヨハンソンの 参戦初年度表彰台も虚しく 1年半で消えてたONYX カラーリングはとても好きでした
J.J. LEHTO 36 1/43 ONYXFW12C
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1989 12TH TAMEO ONYX ORE-1 FORD S.JOHANSSON
ヨハンソンは新規チームのオニクスよりの参戦。 チームメイトはB.ガショーと後半4戦はJJ.レート。 予備予選の壁が高く 本戦出走はR4メキシコGP予選21位が最初 その後順調に予備予選と予選を突破 R7フランスGPで予選 ガショー11位 ヨハンソン13位 決勝ガショー13位 ヨハンソンは5位入賞 2P獲得 次戦R8イギリスで予備予選入替 (上位13チームまでが免除) R7終了時で 9位ブラバム 5P 10位(レイトンハウス)マーチ 4P 11位リアル 3P 12位リジェ 3P 13位オニクス 2P 14位AGS 1P 15位ミナルディ 0P AGSはここまで好調(6位1回 7位1回 8位1回)も R8イギリスは頼みのG.タルキーニがDNPQ。 ミナルディはここまで完走すら1度もない状態で オニクスの予備予選免除は確実と思われましたが・・・ ヨハンソンはR13ポルトガルGPで予備予選から 予選シーズンベスト12位 決勝3位表彰台を獲得。 フロントウイングがヨハンソン車はピンク ガショー・レート車は黄緑に塗り分けられているのが特徴。 オニクスは資金難で翌年買収されましたがそれでも途中撤退。 短命チームですが記憶に残るカラーリング SPARKで量産化してほしい1台です #F1-1989年
S.JOHANSSON 36 1/43 MarlboroFW12C