-
1972 10TH SPARK MATRA MS120D C.AMON
クリス・エイモン 最後のPP FL 表彰台 チームマトラの最後 MATRA MS120D 1972年マトラに残留のエイモン マトラはエイモン1台体制でエントリー R5ベルギーGP自身2度目のFL記録 R6フランスGPマトラの最終形MS120Dを投入 予選はエイモン自身5度目のPP獲得 決勝は19周目までトップ快走も最終3位表彰台 2連続での決勝FLも記録 このフランスGPの通算5度目PP 11度目の表彰台 3回目のFL がエイモン自身最後の記録 チーム マトラはル・マンに集中する為 この年限りでF1から撤退 エイモンもシートを失い翌1973年は 小規模チームテクノで参戦 モデルはスパークの初期のF1リリース シルバーのスリーブで台紙には Sparkの旧青文字がロゴ印字されている
230820 C.AMON 1972 2回FW12C
-
1969 【WORLD CHAMPION】 QUARTZO MATRA MS80 J.STEWART〖🏆6〗
1969 WORLD CHAMPION MATRA MS80 J.STEWART 全11戦 6勝 PP2回 FL5回 #F1-1969年 #WORLDCAMPION
221130 J.STEWART 5回 7FW12C
-
1970 12TH SPARK MATRA MS120 H.PESCAROLO
ル・マン24時間 4度制覇 H・ペスカローロ F1唯一の表彰台 MATRA MS120 1968・1969年 スポット参戦した フランス出身 アンリ・ぺスカローロは 1970年マトラで初のF1フル参戦 チームメイトはJ.P.ベルトワーズ ガソリンはエルフのオールフレンチ体制 前年度J・スチュワートでWタイトルを獲得 1970年は自社製のV12エンジンを搭載で 注目のMS120を導入したマトラであったが エンジンの信頼不足もあり成績は低迷 H・ペスカローロはR3モナコで3位表彰台 これはF1での自身唯一の表彰台 年間では8ポイント 年間順位は12位 チームもコンストラクター7位と惨敗 ぺスカローロは翌1971年~はマーチの車体を 使用するウイリアムズに移籍 ル・マン24時間ではマトラ シムカの車体で 1972~1975年まで3連覇を果たし 通算でも4度の制覇をしており さらに33回出場という最多記録所持者
221014 H.PESCAROLO 9 1/43FW12C
-
1971 11TH SPARK MATRA MS120B C.AMON
F1未勝利ドライバ― クリス・エイモン 非選手権GPでの勝利 MATORA MS120B C・エイモンはマーチからマトラに移籍 TMはJ・P・ベルトワーズ マシンは昨年の改良型MS120B 開幕 南アフリカGP 予選2位→決勝5位 R2スペインGP 予選3位→決勝3位表彰台 モデルはR5フランスGP仕様 ポールリカール 予選9位→決勝5位入賞 R9イタリアGPは3年ぶりのポールポジション 決勝は8人のドライバーがTOPに立つ大混戦 終盤エイモンもリーダーラップを記録するも ヘルメットのシールドが外れてるという 悲運もあり6位に終わる F1では生涯未勝利に終わったエイモンがだ 1971年の開幕戦前の非選手権の アルゼンチンGPでは優勝をしている #F1-1971年
220917 C.AMON 20 1/43FW12C