スパイロ・ジャイラ『モーニング・ダンス』

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【2024年3月9日ON AIR】
アナログ音源専門プログラム「33rpm」。
3月は毎年インストを中心とした音楽を紹介してきましたが、今年はフュージョンを取り上げたいと思います。“More than Words”今回はアメリカのバンド、スパイロ・ジャイラの『モーニング・ダンス』です。

70年代後半から80年代にかけて、ジャズやソウル、ファンクなどを融合した“クロスオーヴァー・サウンド”がもてはやされた時期がありました。やがてフュージョンと呼ばれるようになり、80年代にはフュージョンがすっかり定着しました。

スパイロ・ジャイラの中心人物ジェイ・ベッケンスタインは、1951年5月14日ニューヨーク生まれ。オペラ歌手の母、ジャズ・ファンの父の影響で小さい頃からジャズに親しみ、5才からピアノ、7才からはサックスを習い始めました。

高校生の時に、父親の仕事のためドイツのニュルンベルクに移住。アメリカン・スクールに通いながらR&Bバンドに加入して、基地や地元のクラブで演奏しました。その頃、キーボード奏者のジェレミー・ウォールと出会い初めて自身のバンドを結成、しかしそのバンドは、それぞれが別の大学へ進学したため自然消滅しました。

ジェイはミューヨーク州立の総合大学へ進学し生物学を学んでいましたが、その後音楽へと転向。在学中から地元のクラブでサポート・ミュージシャンとして働き始め、卒業後も続いていました。その後カリフォルニアから帰ったジェレミーと共に、地元バッファローで活動するようになります。

バッファローは音楽の盛んな街で、様々なミュージシャンのサポートをしていましたが、やがて自分のバンドを持ちたいと考え、1974年にスパイロ・ジャイラを結成。その頃16歳の若きキーボーディスト、トム・シューマンと出会い、トムもバンドに参加します。76年にインディーズ・レーベルから、初のアルバム『スパイロ・ジャイラ』をリリース。

バンドは着々と人気を獲得し、79年にニューヨークへ出て2ndアルバムの制作にかかります。そのアルバム『モーニング・ダンス』が大ヒット、スパイロ・ジャイラはシーンに躍り出ました。デイヴ・サミュエルの演奏するマリンバや、スティール・ドラムが印象的なサウンドは人々の心を掴み、『キャッチング・ザ・サン』『カルナヴァル』『フリータイム』と順調にリリースを続けました。

80年代以降は若干のメンバー・チェンジを経て、レーベルを移籍しながら活動を続け、90年代も2000年代もコンスタントに作品をリリースして来ました。今年2024年は結成50周年記念ツアーで全米をまわっているところです。

スパイロ・ジャイラのアルバム『モーニング・ダンス』
SIDE A
「モーニング・ダンス」
「ジュビリー」
「ラスル」
「ソング・フォー・ローレイン」
「スターバースト」

SIDE B
「ヘリオポリス」
「イット・ダズント・マター」
「リトル・リンダ」
「エンド・オブ・ロマンティシズム」

スパイロ・ジャイラのアルバム『モーニング・ダンス』いかがでしょうか?ちなみに、バンド名のスパイロ・ジャイラですが、バンドの名前を聞かれたジェイ・ベッケンスタインが冗談半分で生物の授業で覚えた「アオミドロ(spirogyra)」を名乗ったのが最初だといわれています。

https://spyrogyra.com/
スパイロ・ジャイラ オフィシャルサイト

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