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「モデル二テ パリ・近代の誕生 オルセー美術館展」 1964年 1月~
1848~1914 印象派、カフェ、オペラ座、エッフェル塔、アール・ヌーボー 「19世紀の首都」パリを舞台に、新しい社会と芸術が生まれた。 パリを重苦しく囲んでいた中世以来の城壁や迷路のような路地が消え、代わってオペラ座やエッフェル塔、そして広い並木道が出現し人々を興奮させる。 19世紀後半のパリは、産業の急速な発展を背景に「19世紀の首都」と呼ばれるほど華やかで、活気に満ちた近代都市へと変貌を遂げる。 この街を舞台に、芸術家たちは新しい時代にふさわしい美意識を追求し、それまでにない豊かで革新的な芸術を生み出した。 世界屈指の質と量を誇る印象派絵画で有名なオルセー美術館は、絵画部門はもとより、彫刻、工芸、建築、デザイン、写真などあらゆる分野に及ぶ近代美術の優品を所蔵。 セーヌ川を挟んで対岸に位置するルーブル美術館と人気を二分しています。 近代都市パリ成立の過程の中で、社会生活、文化・芸術のあらゆる相を貫く「モデル二テ(近代性)」に合わせた逸品を・・・・ カタログより さて、モリゾをモデルに描かれたマネの有名な作品として、1869年のサロンで展示された油彩「バルコニー Le Balcon」が代表作として挙げられる。 手前で椅子に腰かけている女性がベルト・モリゾ。隣に立っている女性はヴァイオリニストのファニー・クラウス、後ろの紳士は風景画家のアントワーヌ・ギュメ。 発表当時は、「現代の生活をただ描いただけの絵」、「平面的な絵」として酷評されたという。 後半は、ベルト・モリゾ(1841~1895)の作品。 ベルト・モリゾは「最も人気の高い女性印象派画家」 マリー・ブラックモンやメアリー・カサットと並ぶ 3大女性印象派画家の1人。 1874年から、ポール・セザンヌ、エドガー・ドガ、クロード・モネ、カミーユ・ピサロ、ピエール・オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーなど、 パリ・サロンから拒否された画家たちが主催する印象派展に参加。 なお、彼女はエドゥアール・マネの弟ウジェーヌ・マネの妻であり、 またマネのモデルとしてもよく知られている。 1878年に娘ジュリーを出産。 夫婦仲も良く、夫や娘を題材にした作品を多く描いていた。
モデル二テ パリ・近代の誕生 オルセー美術館 国立西洋美術館0318
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「ヴァニタス 書物と髑髏のある静物」続き 国立西洋美術館
コリールは17世紀後半のオランダの静物画家、肖像画家。 彼は髑髏、地球儀、楽器などからなる、現世のはかなさや虚栄に対する警告としてのヴァニタス画を得意とし、迫真的な写実描写の静物画を多数制作した。 書物=学識も、しばしば現世的なものの象徴と考えられた。 髑髏、火が消えたばかりで煙がのぼる燭台、時計、砂時計 → 過ぎ去った時の無常さを意味する。 髑髏が意味する通り、「最後には死が勝利する。何人も死に勝つことはできない」 財布、倒れたグラス、ショーム(オーボエの前身)などが所狭しと並んでいる。 一見、無造作に放置されたように見えるが、 2本の対角線に沿って慎重に構図が決定されたことがわかる。 画面前景中央の紙片には『詩篇』第26章の一節が引用されており、 この作品のメッセージが端的に要約されている。 過ぎ去った時の無常さ「ポケットウオッチ」をUPしました。
「ヴァニタス 書物と髑髏のある静物」 コリール 国立西洋美術館0318
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THE CUBIST REVOLUTION キュビズム展 美の革命 パリ ポンピドゥーセンター
20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかってない変革をもたらした。 その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来する。 ルネッサンス以降の西洋絵画の伝統的な遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、 幾何学的に平面化された形を用いて画面を構成する試みは、 絵画を現実の再現とみなすルネッサンス以来の常識から画家たちを解放した。 キュビズムが開いた新しい表現の可能性は、パリの若い芸術家たちに衝撃を与え、瞬く間世界中に広がる、 以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼした。 1900年代中葉 写真機が発明されたことで、それまで芸術家が追い求めていた「リアリズム」では敵わない。絵画にしかできない表現を追い求めることになる。 本展では、アフリカの彫刻などキュビズムの多様な源泉探る「キュビズムの源泉」章が興味深い。 ピカソとブラックがそれらを大胆に解釈しながら、緊密な連携作業によって、全く新しい絵画を発明していく過程が示されていく。 2024年パリオリンピックに合わせ、 ポンピドゥーセンターの大規模改修工事が行われ、 収蔵品が国立西洋美術館へ巡回されました 「THE CUBIST REVOLUTION キュビズム展 美の革命」です。
THE CUBIST REVOLUTION キュビズム展 美の革命 CUBIST 国立西洋美術館0318
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ウィリアム・ブーグロー(William Adolphe Bouguereau)1825~1905
ブーグローは1825年、フランス西部の大西洋に面した港町/ラ・ロシェルに生まれた。 19世紀後半フランス美術界のアカデミズム絵画を代表する画家。 画風はアングルなどの新古典主義の流れを汲む伝統的なもので、 官能的な裸婦像、可憐な子どもの像、憂愁を帯びた若い女性の像などに独特の世界を築く。 甘美で耽美的な彼の画風は当時の人々の好みに合ったと見え、生前には彼の名声は非常に高かった。 しかし、20世紀以降、さまざまな絵画革新運動の勃興とともにブーグローの名は次第に忘れられていった。 再評価されるようになるのは20世紀末のことだ。 ブグローは、良い画家である秘訣は「色と線を同じものとして見ること」とコメントしている。 この絵は色がより良い、線がより良いと言うのはナンセンス、なぜなら色が素晴らしく見えるのは線がそう見せているからで、逆もまたそうである。 色は形の「色価(value)」について語る方法であると述べている。 さて、2~4枚目の作品はいずれも銀行家バルトロー二邸宅の装飾として1885年頃製作されたもの。 天井画として製作された「音楽」、白を背景とした神話画「クビドの懲罰」「武器の返却を懇願するクビド」は、 女神と思しき女性たちとクビドを描いている、おそらくクビドは若い娘の恋心を弄んだために罰を受けているのだろうと解説されています。 最後の画像は、ブーグロー54歳の時の自画像。
19世紀フランスのアカデミズム絵画 ウィリアム・ブーグロー 国立西洋美術館0318
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「憧憬の地 ブルターニュ」 画家たちを魅了したフランス「辺境の地」
国立西洋美術館 「憧憬の地 ブルターニュ」 画家たちを魅了したフランス「辺境の地」 19世紀後半から20世紀はじめにかけ、 モネ、ゴーガンら多くの画家たちがフランス北西端のブルターニュ地方を訪れ、 この地を作品に描きとめました。 ブルターニュをモティーフにした作品約160点を精選。 彼らがこの「異郷」に何を求め、何を見出したのかを探ります。 同時期に渡仏し、パリからブルターニュを訪れた黒田清輝、藤田嗣治といった日本の画家たちにも光をあてる(パンフレットより) 本展では絵画や素描、版画にとどまらず、 画家たちが旅先から送った、あるいは受け取った当時の絵葉書や旅行トランクなども展示されされています。 さて、ポール・ゴーガンの「海辺に立つブルターニュの少女たち」 断崖を背景に、素朴な農民の子供たちが描かれている。 寄り添って手を握り、怪訝そうな視線を投げかけている少女たちのつましい身なり、そして、むき出しの大きく逞しい足には、 「自身の内にも宿る」と言っていた「野生」が象徴されている。 1889年作、 私のコレクションと同年代ですね。 最後にUPされているのは、 「聖アントニウスの誘惑」と題した 1660年代 ダフィット・テニールスの絵です。 常設展に展示されているのですが、なんとも不可思議な絵なのです。
「憧憬の地 ブルターニュ」 国立西洋美術館 ’23年 6月0318