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柚木 沙弥郎 いのちの旗じるし 続き
柚木沙弥郎 染色家。 柳宗悦の「民藝」と芹沢銈介のカレンダーとの出会いから染色の道に進む。 型染による染布、染絵など多くの作品を制作しながら、女子美術大学で教鞭をとる。 シンプルで力強い造形力の染色作品のほか、絵本や版画、立体作品にも取り組む。 国内外で数多くの個展を開催。 後半の画像は、盛岡の「光原社」です 光原社は宮沢賢治ゆかりの工芸品店で、クラシカルな喫茶店「可否館」を併設。 盛岡を訪れたらなら、この「可否館」と「841」は外せない。 さて、「見聞録」は今どうなっているのかな? 光原社はかつては児童文学の金字塔として今も読み継がれる宮沢賢治の『注文の多い料理店』を出版したことで知られる出版社でした。 創業者・及川四郎が宮沢賢治と同じ盛岡高等農林学校の1年後輩という間柄で、 光原社という社名も賢治が名付けたという、宮沢賢治ゆかりの老舗です。 『注文の多い料理店』は、今ではとても有名な宮沢賢治の作品ですが当時はあまり注目を集めることはなく出版業は失敗に終わったそうです。 その後、岩手を代表する工芸品・南部鉄器の製造販売をはじめ、 民藝運動の提唱者、柳宗悦との交流を深める中で、現在のような形態になっている。
いのちの旗じるし 柚木 沙弥郎 世田谷美術館0318
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倉俣史朗のデザイン 記憶の中の小宇宙 続き #1
氏のもっともよく知られる代表作「ミス・ブランチ」 アクリル内でバラが宙を浮遊する。 バラの造花が透明アクリルに封入された椅子、 液体状のアクリルを徐々に注ぎながら、造花をピンセットで配置し製作される。 倉俣事務所のデザイナーだった五十嵐 久江さんは、まさにこの瞬間に立ち会われていた。 愛称はテネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』のヒロイン/ブランチ の名にちなむ。 「ミス・ブランチ」はほとんど手作りに近く高価だった事もあり56脚しか作られなかった。 そしてその数字は彼の享年である。 板ガラスを組み合わせただけの「硝子の椅子」 三保谷ガラスが持ち込んだ、フォトボンドの製作サンプルを見た 氏がヒラメキ、30分でデザインを起こした。 三保谷さんもさすがで、翌日には倉俣事務所に完成品を持ち込んだとの逸話が残る、1976年のことだ。 訊ねてきた友人たちに「硝子の椅子」に座つてもらう。 緊張したその様子を微笑みながら眺めていたそうです。 200㎏の耐荷重試験のスナップもUPしました。 エッジに3㎜のスチールロットを溶接したエキスパンドメタルの椅子。 「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」 アームチァーの形は保持しているが、ほとんどが空気により形づくられた椅子は「存在していながら、存在していない」という哲学的な問いを投げかけてくる。 「重力から解放され、素材の中で多様な軽やかさが現れる時代」 これまでのストイックなデザインから、 解放されたように自由な創造性を獲得していった。 最期の画像は、ヨーゼフ・ホフマンへのオマージュ「ビギン・ザ・ビギン」 オーストリアの建築家、ヨーゼフ・ホフマンが1920年代にデザインした「№811」にスチールの平棒を巻き付け、 ガソリンを撒いて椅子ごと焼き、平棒を椅子状に残した衝撃のアートピース、1985年。 椅子を燃やす時、倉俣はそっと手を合わせたという。 家具デザインについては「自分の思考の原点を確認するための手段」と考え、 180点余りの優れた家具デザインを遺している 日本におけるインテリアデザインの魁です。
記憶の中の小宇宙 倉俣史朗 世田谷美術館0318