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タカラ54年度巨人 藤城和明
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時札幌アンビシャスに所属していた藤城さんに書いていただきました。 1976年ドラフト1位で巨人に入団。 即戦力のドラフト1位右腕ということで周囲の期待は高かった。 主に先発投手として投げることが多かったが、ローテに定着はならず。 1982年に交換トレードで阪急に移籍。 移籍1年目こそ先発などで3勝するが、翌年からはケガもあり満足に投げられず。 1986年にロッテにテスト入団し、同年現役引退。 引退後は解説者や巨人の投手コーチも務めた。 通算101試合登板、14勝19敗、防御率4.51。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ1992巨人 佐藤洋
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた佐藤さんに書いていただきました。 1984年ドラフト4位で巨人に入団。 即戦力の大型内野手として期待され、どこでも守れる器用さも持っていたが、一軍の層の厚さに阻まれた。 1994年に現役引退。 通算97試合、1本塁打6打点、打率.254。 引退後はマスターズリーグやモルツ球団に毎年出場。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ59年度大洋 増本宏
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた増本さんに書いていただきました。 1978年ドラフト4位で大洋に入団。 プロ2年目には先発も任されるなど一軍で4勝を挙げた。 その後も中継ぎとして投げていたが、次第に出場機会は減少。 一方、二軍では無双状態で、1986年に最多勝、1987年には最優秀防御率のタイトルを獲得。さらに完全試合まで達成した。 しかし、同年戦力外通告を受け現役引退。 マスターズリーグに加入してからは東京ドリームスの主力投手として活躍した。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ60年度大洋 増本宏
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた増本さんに書いていただきました。 1978年ドラフト4位で大洋に入団。 プロ2年目には先発も任されるなど一軍で4勝を挙げた。 その後も中継ぎとして投げていたが、次第に出場機会は減少。 一方、二軍では無双状態で、1986年に最多勝、1987年には最優秀防御率のタイトルを獲得。さらに完全試合まで達成した。 しかし、同年戦力外通告を受け現役引退。 マスターズリーグに加入してからは東京ドリームスの主力投手として活躍した。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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BBM1995 近藤昭仁
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた近藤さんに書いていただきました。 現役時代は大洋で14年間プレー。 引退後は横浜とロッテで監督を経験。 特にロッテ監督時代は日本プロ野球記録でもある「魔の18連敗」を経験。 1998年の退団会見も話題に。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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BBM2006ノスタルジックベースボール 近藤昭仁
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた近藤さんに書いていただきました。 現役時代は大洋で14年間プレー。 引退後は横浜とロッテで監督を経験。 特にロッテ監督時代は日本プロ野球記録でもある「魔の18連敗」を経験。 1998年の退団会見も話題に。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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BBM2008横浜30周年 屋鋪要
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた屋鋪さんに書いていただきました。 1977年ドラフト6位で大洋に入団。 1980年からはレギュラーとして活躍し、高木豊、加藤博一と共にスーパーカートリオとして人気を博した。 1986年から3年連続盗塁王。 1993年オフに横浜を自由契約となり、1994年から巨人でプレー。 代走や守備固め要因として長嶋巨人の優勝に貢献。日本シリーズではピンチの場面でのダイビングキャッチでスタンドを沸かせた。 1995年に現役引退。 引退後は巨人のコーチも務めた。 巨人のコーチ退任後は解説者の傍ら、趣味である鉄道の評論家活動に力を入れており、現在はこちらの方がメインとなっているよう(笑) 通算1628試合出場、58本塁打375打点、327盗塁、打率.269。 盗塁王3回、ゴールデングラブ賞5回。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ1988巨人 山田武史
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた山田さんに書いていただきました。 現役時代発行された唯一のカードです。 1986年ドラフト外で巨人に入団。 社会人野球からの入団で即戦力として期待され、層の厚い巨人軍の投手陣だったがルーキーイヤーに一軍で10試合に登板。 しかし翌年以降は二軍暮らしが続き、1990年シーズン中にダイエーにトレード移籍。 翌1991年オフに戦力外となり現役引退。 通算30試合登板、0勝1敗、防御率4.89。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ62年度日本ハム 大宮龍男
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた大宮さんにいただきました。 1976年ドラフト4位で日本ハムに入団。 捕手というポジションであるが故、正捕手加藤には及ばずなかなか出場機会が増えなかった。 1980年にはサイクルヒットを達成。 優勝した1981年からはレギュラー捕手として活躍。 1988年、2対2の交換トレードで中日に移籍。 さらに1990年にも2対2のトレードで西武に移籍。1992年限りで現役引退。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ59年度日本ハム 大宮龍男
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた大宮さんにいただきました。 1976年ドラフト4位で日本ハムに入団。 捕手というポジションであるが故、正捕手加藤には及ばずなかなか出場機会が増えなかった。 1980年にはサイクルヒットを達成。 優勝した1981年からはレギュラー捕手として活躍。 1988年、2対2の交換トレードで中日に移籍。 さらに1990年にも2対2のトレードで西武に移籍。1992年限りで現役引退。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ1989日本ハム 大川章
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた大川さんに書いていただきました。 現役最終年に所属した日本ハム時代のタカラ野球カードです。 1979年ドラフト2位でヤクルトに入団。 80年代中盤には貴重な中継ぎ左腕として一軍で活躍。1984年にはキャリアハイの65試合に登板、5勝3敗4セーブの成績だった。 1987年からは登板機会が激減したが、1988年にはイースタンリーグで最優秀防御率を獲得。そのオフにトレードで日本ハムに移籍。 1989年、日本ハムでは4試合の登板にとどまり、現役引退。 プロ通算177試合、8勝13敗5セーブ。
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BBM1996日本シリーズセット 本西厚博
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた本西さんに書いていただきました。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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BBM1996 本西厚博
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた本西さんに書いていただきました。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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BBM2008BACK TO THE70's 斉藤明夫
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた斉藤さんに書いていただきました。 1976年ドラフト1位で大洋に入団。 特徴のある風貌でヒゲの斉藤として親しまれた。 キャリアの前半は先発として活躍、80年代に入るとリーグを代表する救援投手となり、キャリア終盤は再び先発に転向。 大洋・横浜一筋で、1993年にはコーチ兼任となり、同年引退。 引退後は解説者としてもメディアに出る機会も多く、特に関東地区では知名度高い。 また、古巣の横浜のほか、ロッテでも投手コーチを務めた。 通算601試合登板、128勝125敗133セーブ、防御率3.52。 タイトルは新人王、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、最優秀救援2回。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん
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タカラ1997横浜 宮川一彦
プロ野球マスターズリーグ 東京VS札幌戦にて。 当時東京ドリームスに所属していた宮川さんに書いていただきました。 1990年ドラフト2位で大洋に入団。 全日本代表として日米野球にも出場していた実績から即戦力として期待されたが、一軍では目立った成績を残せず。 1999年に戦力外通告を受け、翌年はアメリカの独立リーグ ニューアーク・ベアーズでプレーした。 守備は一級品であり、試合終盤の守備固めとしての出場が多かった選手。 通算99試合出場、2本塁打11打点、打率.217。
市原臨海球場 2009年5月23日さまちん