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BBM2014 1st ブランドン・ディクソン
オープン戦期間中、神戸での居残り組練習終了後に書いていただきました。
ほっともっとフィールド神戸 2015年2月28日さまちん
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BBM2014 1st 山崎勝己
オープン戦期間中、神戸での居残り組練習終了後に書いていただきました。
ほっともっとフィールド神戸 2015年2月28日さまちん
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BBM2014 1st アレッサンドロ・マエストリ
パリーグ公式戦 楽天VSオリックス戦にて。 米マイナーから米独立Lを渡り歩いて四国アイランドリーグの香川と契約し来日。香川での活躍がNPBスカウトの目に留まりオリックスに途中入団という異色の経歴を持つ助っ人。 NPB史上初のイタリア出身選手となった。 オリックス入団当初は先発だったが、次第に中継ぎやロングリリーフとしての登板が多くなった。 オリックスには4シーズン在籍し2015年限りで退団。 2016年は韓国・ハンファ、BCリーグ・群馬でプレー。 2017年はメキシカンリーグ・ベラクルス、2018年はイタリアリーグ、2019年以降はオーストラリアでプレー。 各国を渡り歩き2021年にお現役引退。 NPB通算96試合、14勝11敗1セーブ、防御率3.44。 WBCイタリア代表4回。
ほっともっとフィールド神戸 2014年4月26日さまちん
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プロ野球OBクラブオフィシャルカードセット 野田浩司
パリーグ公式戦 楽天VSオリックス戦にて。 CS放送の解説者として来場された野田さんに書いていただきました。 1987年ドラフト1位で阪神に入団。 ルーキーイヤーから先発もリリーフもこなす活躍を見せ、1990年には初の二けた勝利を記録。 1992年オフに松永浩美との大型トレードでオリックスに移籍。 移籍初年度から17勝の活躍で最多勝のタイトルを獲得。3年連続二けた勝利を記録するなどオリックスの右のエース投手として君臨し、リーグ2連覇にも貢献。 1995年には1試合19奪三振の日本記録。 その後は肘のケガに泣き満足に投げることもできず、2000年に現役引退。 通算316試合登板、89勝87敗9セーブ、防御率3.50。
ほっともっとフィールド神戸 2014年4月26日さまちん
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BBM2009オリックス20周年 野田浩司
パリーグ公式戦 楽天VSオリックス戦にて。 CS放送の解説者として来場された野田さんに書いていただきました。 1987年ドラフト1位で阪神に入団。 ルーキーイヤーから先発もリリーフもこなす活躍を見せ、1990年には初の二けた勝利を記録。 1992年オフに松永浩美との大型トレードでオリックスに移籍。 移籍初年度から17勝の活躍で最多勝のタイトルを獲得。3年連続二けた勝利を記録するなどオリックスの右のエース投手として君臨し、リーグ2連覇にも貢献。 1995年には1試合19奪三振の日本記録。 その後は肘のケガに泣き満足に投げることもできず、2000年に現役引退。 通算316試合登板、89勝87敗9セーブ、防御率3.50。
ほっともっとフィールド神戸 2014年4月26日さまちん
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BBM2013 1st 岸田護
ほっともっとフィールド神戸で行われていたオリックスの秋季練習にて書いていただきました。
ほっともっとフィールド神戸 2013年10月30日さまちん
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BBM2012 1st 海田智行
ほっともっとフィールド神戸で行われていたオリックスの秋季練習にて書いていただきました。
ほっともっとフィールド神戸 2013年10月30日さまちん
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タカラ56年度南海 黒田正宏
12球団合同トライアウト会場にて、当時阪神の編成部長を務めていた黒田さんに書いていただきました。 普段はなかなかお目にかかれませんでしたが、念願のサインをいただけました。 1970年ドラフト6位で南海に入団。 70年代後半から出場が増加したが、片平晋作と共に1982年に西武にトレード。 正捕手とはならなかったが、一軍に帯同し黄金時代の西武の日本一に貢献した。 1985年にコーチ兼任となり、同年現役引退。 引退後は西武、ダイエー、阪神でコーチを歴任。 通算586試合出場、16本塁打69打点、打率.197。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん
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BBM2009BACK TO THE80s 柏原純一
12球団合同トライアウト会場にて、当時日本ハムの西日本統括スカウトを務めていた柏原さんに書いていただきました。 1970年ドラフト8位で南海に入団。 1976年にレギュラー定着。 南海から日本ハムにトレード移籍後の1978年には4番に。1980年~1984年までの5年連続フル出場。ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ賞4回。 1981年のリーグ優勝にも貢献した。 1986年から阪神に移籍し1988年に引退。引退後は阪神でコーチ、関西の放送局の解説者などを務めた。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん
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BBM2003日本ハム 柏原純一
12球団合同トライアウト会場にて、当時日本ハムの西日本統括スカウトを務めていた柏原さんに書いていただきました。 1970年ドラフト8位で南海に入団。 1976年にレギュラー定着。 南海から日本ハムにトレード移籍後の1978年には4番に。1980年~1984年までの5年連続フル出場。ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ賞4回。 1981年のリーグ優勝にも貢献した。 1986年から阪神に移籍し1988年に引退。引退後は阪神でコーチ、関西の放送局の解説者などを務めた。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん
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カルビー1979 柏原純一
12球団合同トライアウト会場にて、当時日本ハムの西日本統括スカウトを務めていた柏原さんに書いていただきました。 1970年ドラフト8位で南海に入団。 1976年にレギュラー定着。 南海から日本ハムにトレード移籍後の1978年には4番に。1980年~1984年までの5年連続フル出場。ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ賞4回。 1981年のリーグ優勝にも貢献した。 1986年から阪神に移籍し1988年に引退。引退後は阪神でコーチ、関西の放送局の解説者などを務めた。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん
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BBM2010阪神タイガース75周年 野田浩司
パリーグ公式戦 西武VSオリックス戦にて。 CS放送の解説者として来場された野田さんに書いていただきました。 1987年ドラフト1位で阪神に入団。 ルーキーイヤーから先発もリリーフもこなす活躍を見せ、1990年には初の二けた勝利を記録。 1992年オフに松永浩美との大型トレードでオリックスに移籍。 移籍初年度から17勝の活躍で最多勝のタイトルを獲得。3年連続二けた勝利を記録するなどオリックスの右のエース投手として君臨し、リーグ2連覇にも貢献。 1995年には1試合19奪三振の日本記録。 その後は肘のケガに泣き満足に投げることもできず、2000年に現役引退。 通算316試合登板、89勝87敗9セーブ、防御率3.50。
ほっともっとフィールド神戸 2011年9月11日さまちん
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BBM2011ソフトバンク 大城祐二
合同トライアウト会場にて。 2006年大学・社会人ドラフト5巡目で阪神に入団。 社会人時代の都市対抗での活躍が評価されての即戦力の期待だったが、プロ入り後はケガに悩まされ一軍出場はならず。 2010年に阪神を戦力外になり、ソフトバンクに育成選手として入団。 しかし1年で再び戦力外となり、BCリーグの福井に入団。 2012年限りで現役引退。2016年より社会人野球・エナジックのコーチ。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん
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BBM2011阪神 高田周平
合同トライアウト会場にて。 2009年育成ドラフト1位で阪神に入団。 2年間在籍したが、ウエスタンリーグでも通算13試合の登板にとどまり戦力外通告。 翌年は古巣のBCリーグ・信濃グランセローズに復帰した。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん
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BBM2011巨人 福泉敬大
合同トライアウト会場にて。 関西独立リーグでは最多セーブを挙げるなど活躍し、2010年育成ドラフト3位で巨人に入団。 しかし2軍での登板もないまま1年で戦力外通告。 翌年からBCリーグでプレーし現役を続けた。
ほっともっとフィールド神戸 2011年11月24日さまちん