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ジョーダン・ホンダ EJ12
忘れかけていたジョーダンEJ12の通常モデルが発売されたのは活躍した年から3年後だった。EJ12はエクバル・ハミディの設計だが、シーズン序盤に更迭されてゲイリー・アンダーソンが改良をしていった。当初は姿勢変化による空力特性の変化が大きいため、琢磨もあらゆる面でとんがったマシンと語っていた。その後の改良では少しずつだがやっと後半戦に戦闘力が上がってきた印象だった。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.11.17ゆーじ
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パナソニックトヨタレーシング TF105 ジャパンパワー京商別注
TF105はマイク•ガスコインとルカ•マルモリーノの設計。レギュレーションでフロントウィングの地上高が高くなり、リアウィングの本体は長くなり、ラウンチバージョンでは付いていなかったコックピット横のボーダーウィングは開幕までに付けられた。またシーズン中も各種デバイスの追加や変更が繰り返された。RVX-05エンジンの信頼性もパワーもトップクラスと言えた。日本GPではフロントサスを大幅に改良したTF105Bを投入し、開発のスピードの早さも感じられたシーズンだった。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.10.29ゆーじ
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BAR・ホンダ007 ジャパンパワー 京商別注
琢磨が苦しんだ05年。昨年は34ポイントでランキング8位だったが、コンストラクターズ6位だったが自身は1ポイントに終わる。第2戦マレーシアGPでは発熱で欠場。次戦バーレーンGPで復帰し、一時は3位を走行したがブレーキトラブルでリタイア。第4戦サンマリノGPでは5位入賞のはずが車両重量違反でバトン共にレースから除外され、その後の2戦は出場停止になった。波に乗る雰囲気がなかった。おまけにバトンには予選で1勝15敗と完全にやられたと言える結果だった。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.10.29ゆーじ
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BAR・ホンダ006 TSコレクションNo.5
ショーカーを含めて数多く買った006シリーズ。そしてそのグループのこれが最後の一台。TSコレクションだから買ってしまったイメージ。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.10.29ゆーじ
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ルノーF1チームSHOWCAR 2005
新車のR25は2005年2月1日に発表された。やはり個性の光るフォルムはリアウィングのフラップの下部が後方から切れている不思議な形と、そして排熱のスリットが目を引く。おまけにシェイクダウン後もすばらしいタイムを連発し、開幕前から快進撃は始まっていた。
F•アロンソ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.9.30ゆーじ
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BAR・ホンダ SHOWCAR 2005
2005年のSHOWCARは006に007のカラーリングを施したモデル。ジェフ・ウィリス設計の007は1月16日に発表され、印象的だったのはリア回りのボディワークで今までにない絞り込みになり、フロントウィングもレギュレーションに合わせて主翼のノーズ下部分が大きく湾曲していてノーズより前方に伸びていた。エンジンのRA005Eは軽量コンパクトだが、テストではトラブルが多発して不安視された。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.9.30ゆーじ
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BAR・ホンダ006 2004年日本GP
04年の18戦中17戦目が日本GPだったが、台風の接近で予選が順延になり、土曜日のセッションが中止になった。結果、日曜日に予選と決勝の同日開催として行われた。予選で琢磨はシケインでリアを滑らせたものの、4番手タイムを叩き出した。決勝ではバトンに先行されてペースが抑えられてしまう。またHANSのガタつきとドリンクが出ないトラブルで不運が続いた。4位でフィニッシュはしたものの、悔しくてしょうがないとコメントを残している。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.9.30ゆーじ
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ジョーダン・フォードEJ14 リージェントストリートパレード
50歳になったマンセルが久々にF1マシンをドライブした。これは2004年7月6日にロンドンのリージェントストリートパレードでのデモランだったが、なぜか現役時代のマシンではなくEJ14で、一応カーナンバーはレッドファイブになっていた。
N・マンセル ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.9.15ゆーじ
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パナソニックトヨタレーシング TF104
シーズン途中でルノーから放出されたトゥルーリはラスト2戦をトヨタで参戦した。日本GPでは幸先良く予選一回目ではトップタイムをマークし、04年最高グリッド6番手を獲得したが、いずれのレースでもノーポイントだった。
J・トゥルーリ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.8.1ゆーじ
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ジャガー・レーシングR5 モナコGP仕様
04年のモナコGPではジャガーがチームあげてハリウッドの映画「オーシャンズ12」の宣伝をした。R5にはタイトルロゴが描かれていて、専用のカラーリングで走った。そしてスポンサーのシュタインメッツが提供した280万円の本物のダイヤモンドをノーズに付けたのだが、決勝でクリエンがクラッシュしてリタイア。その時にダイヤモンドを紛失するトラブルが発生してしまった。
M•ウェバー ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.7.21ゆーじ
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ミナルディ・コスワース PS04B
2000~01年はチームは違うが琢磨とイギリスF3をたたかったブルーニ。03年はミナルディのテストドライバーを経験して04年にレギュラーシートを手に入れた。しかしチームメイトのバウムガートナーに予選で10勝8敗とリードしたが、入賞までは届かなかった。PS04BはPS02の改良型で3年落ちのエンジンだった。トップチームのエンジンから見ると200馬力ほど低いと言われ、さすがに勝負にはならなかった。
G・ブルーニ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.6.21ゆーじ
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BAR・ホンダ2004コンセプトカー TSコレクションNO2
005から006への過渡的マシン。バトンだけではなく琢磨もコースレコードを出すなどのパフォーマンスを見せた。ラッキーストライクロゴに変えたことでまたかっこよく見える。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.6.3ゆーじ
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マクラーレン・TAG MP4/2 ワールドチャンピオンコレクション
マクラーレンが16戦12勝と圧倒した84年。チャンピオン争いはラウダとプロストが争った。ラウダは計算高くプロストが7勝に対して5勝だったが、結果0.5ポイント差で3度目のチャンピオンに輝いた。またP•Pを獲得せずにチャンピオンになるという珍しい記録だった。モナコの雨のハーフポイントがなければチャンピオンが入れ替わるわけだが、あのセナやベロフの猛追がありながら赤旗終了というのもまたドラマだった。
N・ラウダ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.5.21ゆーじ
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マクラーレン・ランボルギーニMP4/8B 1993.9.28エストリルテスト セナコレNo.23
ホンダが92年限りで撤退したため、93年はフォードのカスタマーを使うしかなかったマクラーレン。シーズン途中でベネトンと同じワークス仕様を積んだが来シーズンに向けてエンジン探しが始まった。その時にエストリルテストで搭載したのがランボルギーニで、セナもハッキネンもパワフルで素晴らしいことを語っていた。だが実際は強力な冷却が必要など問題も多く、長いエンジンと燃費の悪さは拭えなかった。だがMP4/8Bは真っ白な車体でリア部分がV12エンジンの搭載で太くなっているなど、本選仕様と違っていた。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.5.21ゆーじ
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ジョーダン・フォード EJ14
ロン・デニスの秘蔵っ子もF1で5年目。ザウバーから流れ着いてジョーダンへ。EJ14はジョン・マクイラムの設計で、フロントサスはシングルキールでフロントウィングはハの字。エンジンはフォードのバッジを付けたコスワース製で、おまけに一年落ちでトップチームから100馬力以上低いと言われた。だが非力ながらニックはモナコ7位、カナダ8位と3ポイントを獲得。予選ではパンターノとグロックに対して15勝3敗と力を見せつけた。
N•ハイドフェルド ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.4.29ゆーじ