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トヨタTF101 テストカーF1 2001
トヨタ初のF1マシンのTF101。設計はアンドレ•デ•コルタンツで01年3月23日にポールリカールに登場し、そのままシェイクダウンした。そして11のサーキットで8ヶ月に渡って3000ラップ以上のテストを行った。しかしここまで大規模なテストを行ったチームが過去に無かったため、他のチームから反発の声も出た。しかしTF101は明らかに古臭いデザインで結果が良くなくコルタンツは更迭された。結果、デビューマシンのTF102はグスタフ•ブルナーが設計することになった。
M・サロ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.2.27ゆーじ
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パナソニックトヨタレーシング TF102
サロは01年に翌年から参戦するトヨタのエースドライバーとして契約して様々なテストを担当した。02年開幕戦のオーストラリアGPでは予選14番手とまずまずの滑り出し。決勝のレース終盤にはミナルディのウェバーと5位を争うもスピンを喫して6位になるも初レースを入賞という結果で終えた。その後、第3戦ブラジルGPでは1ストップ作戦で6位入賞。だが入賞はこの2回のみだった。そして徐々に流れを失い、予選順位も信頼性も落としていった。またベルギーGPでは突然の解雇通告。チーム批判で自らの株も下げてしまった。
M・サロ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.10.3ゆーじ
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ティレル・ヤマハ024
F1フル参戦2年目のサロ。結果、右京がノーポイントに対して5ポイントを獲得し、予選でも11勝5敗だった。024はハーベイ・ポスルズウェイトの設計で開発コンセプトはコーナーリング重視でハイダウンフォースのマシンだったが、蓋を開けてみると高速コースでもダウンフォースを稼ぐために大きなウィングを必要とした。ドイツGPではドラッグを減らそうと幅の狭いフロントタイヤを後輪にも履かせ、グッドイヤーからのクレームでFIAから禁止された。エンジンのヤマハOX11A、V10は軽量コンパクトだが信頼性とパワーは不足していた。
M・サロ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2001.9.13ゆーじ
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ザウバー・ペトロナス C19 マレーシアGP
波乱の99年にBAR、そしてミハエルの代走でフェラーリのシートを掴んだサロ。2000年はザウバーのシートを手に入れたが迷走の年になる。結果は6ポイントで3度の入賞だったが、16戦中13戦の完走はさすがだった。C19はレオ・レスとセルジオ・リンランドの設計で、トレンドとなるツインキールはC20で実を結ぶ。その後サロはトヨタのF1デビューに関わるが、結局は不遇でF1から去ることになる。
M・サロ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.4.3ゆーじ
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ティレル・ヤマハ 023
F1デビュー前は全日本F3000に参戦していたミカ・サロ。95年はF1フル参戦1年目。予選ではチームメイトの右京に12勝4敗と圧倒していた。入賞は3回ながら完走は12回と安定感が抜群だった。
M・サロ ミニチャンプス 府中本町 店名不明のホビーショップ 2000.10.29ゆーじ
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アロウズ A19
A19はジョン・バーナードの設計。エンジンはヤマハの契約を解消してハートエンジンを買収して自社エンジンで参戦。サロはモナコGPで予選8番手から4位入賞。ディニスも6位とダブル入賞。エンジンパワーが必要としないサーキットという条件ならたたかえていたようだ。
M・サロ ミニチャンプス 名取市 テルミック 2000.5.1ゆーじ