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ウィリアムズ・ルノーFW17 1995.8.1 シルバーストーンテスト
95年のジャックはインディシリーズを最年少24歳でチャンピオンになり、インディ500も制した。そのシーズン中の8月1日にシルバーストーンでFW17をドライブして好タイムをマークしてみせた。しかし契約がまだ未了だったため、マシンやレーシングスーツなどにスポンサーのロゴはまったく入っていなかった。そしてこのテストの後、ジャックのマネージャーのクレイグ・ポロックが96年からの2年間のウィリアムズとの契約を結んでいる。
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ウィリアムズ・ルノー FW19 ワールドチャンピオンコレクション
ジャックのF1での2年目。チャンピオンを獲得したが、7勝で10P•Pはすばらしいが内容は正直イマイチだった。開幕戦はスタートで出遅れてアーバインに押し出されリタイア。モナコではスリックスタートで大失敗。カナダではシケインで壁に刺さってリタイア。ドイツでもブレーキロックの単独スピンなどミスが目立った。結果、最終戦ヨーロッパGPでミハエルの故意と言えるタックルを凌いでのチャンピオン獲得だった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.2.16ゆーじ
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ウィリアムズ・ルノー FW18 ヨーロッパGP
95年インディカーチャンプがF1デビュー。まさかの開幕戦でのP•P獲得。決勝後半でオイル漏れがあったが、初レースで2位フィニッシュは立派だった。そして第4戦ヨーロッパGPではミハエルの攻めを終始抑えてF1初優勝を飾った。そしてルーキーながら4勝で11回ポディウムに登った。結果、最終戦日本GPで右後輪が外れてリタイアし、ヒルのチャンピオンが決定したもののシーズンを盛り上げた。まだレース中のミスが多く、予選ではヒルに対して3勝13敗とリードされたのもちょっと残念だった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.1.31ゆーじ
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BAR・ホンダ 005 鈴鹿サーキット限定ブリヂストン別注
ジャックは前年からデビッド•リチャーズとの不仲が表沙汰になっていた。そして03年の最終戦日本GPを前に来シーズン佐藤琢磨の起用が発表されて、自らこのレースの欠場を決めてチームを去った。全戦出場ではないがバトンに対しての6対17とポイントも離され、予選でも7勝8敗だった。たしかに不運がつきまとい、15戦中8戦でマシン側のトラブルでリタイアしていた。モデルカーはフランスGP仕様に変えている。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.12.4ゆーじ
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BAR・ホンダ SHOWCAR2003
03年のショーカーは02年に004がなぜか発売されなかったので、01年の03からバージボードとフィンを外して04年のカラーリングにしたもの。それにしても03はやっぱりかっこ悪く古くさい。一応、サイドポンツーンはラッキーストライクに変更したが、愛着もなくそれ以外は手を付けなかった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2003.10.11ゆーじ
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BAR・スーパーテック 01
BAR01は2台目の購入。ハーフ&ハーフカラーで555側も欲しくなって買ったが、やはりゾンタやサロじゃなくジャックを買った。いつかは555ロゴに変えたいと思っているが手を付けていない。
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BAR・ホンダ 003
ホンダエンジン第3期の2年目で周りもいよいよ期待が高まったシーズンだったが失望のシーズンだった。ジャックはスペインとドイツで3位表彰台を獲得したものの、両レースともリタイアが多く棚ぼたの印象が強かった。ジャックは12ポイントでチームでも17ポイントと期待外れだった。003はマルコム・オスラー設計で、ハンドリングの問題やセットアップで苦労し、シャシー剛性不足やエンジンが重くパワー不足で課題は山積みだった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.2.4ゆーじ
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BAR•スーパーテック01 1999テストカー
BAR01は98年12月15日の合同テストでシェイクダウンされた。本選のカラーリングが未定のため青と灰色中心のBARカラーで走った。しかしジャックがドライブするもギアボックスや電気系のトラブルでわずか3周で走行を終えている。その後発表されたラッキーストライクと555の2台のカラーリングで披露されたが、レギュレーションで1チーム別々のカラーリングが認められずご存じのハーフ&ハーフカラーで走ることになった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.2.4ゆーじ
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ウィリアムズ•ルノー FW19 ワールドチャンピオンセット
ジャックの2年目。開幕戦のオーストラリアGPではポールを獲得もスタートに出遅れてアーバインなどとクラッシュ。モナコでは雨の中でスリックの賭けに大失敗。母国カナダではポールのミハエルを追って最終シケインでクラッシュなど様々ネタを提供してくれた。そしてチャンピオンを手にしたもののジャックの存在はどんどん薄くなっていくことになる。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 アベ模型 2001.4.29ゆーじ
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BAR•ホンダ 02
8年ぶりにF1に帰ってきたホンダ。そこを救ったのがジャックで17ポイントを稼いだ。しかし同じく復帰したBMWから見るとだいぶ地味な成績で、序盤はトラブルが多かったのは痛かった。だが当時はホンダが帰ってきただけで喜んでいた自分だったが、その後の浮き沈みの第三期の成績はやっぱりホンダらしさに欠けていて寂しかった。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.4.3ゆーじ
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BAR•スーパーテック01
ティレルを買収して誕生したBARだが、後にブラウンGPの後にメルセデスになる。99年1月の発表会ではラッキーストライクと555のカラーリングのマシンを披露する。しかしレギュレーションでチームの2台のマシンは同じカラーリングでなくてはならないに違反するのでハーフ&ハーフカラーとして出場した。個人的に555側が好きだったのでこの向きにしたと思われる。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2000.6.27ゆーじ
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ウィリアムズ・メカクローム FW20
98年はニューウェイが去り、青いロスマンズから赤いウィンフィールドになり、エンジンはルノーが撤退でカスタマー仕様のメカクローム、レギュレーション変更でマシンのサイズやタイヤが変わったことの影響を一番受けたのがウィリアムズだった。ジャックはいよいよ迷路に突入していく。
J・ビルヌーブ ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2000.3.10ゆーじ