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ザウバー・ペトロナス C23
ウィリー・ランプ設計のC23は明らかに前年のフェラーリ、F2003-GAに酷似していたことで周囲からは青いフェラーリと呼ばれた。バッシングを受けたが、実際にエンジンだけでなくギアボックスも借り受けていた。だがザウバーとしても独自にウィンドトンネルを稼働し、エアロダイナミクスの開発も行うことで成績も安定した。フィジコは22ポイントでランキング11 位。チームメイトのマッサとは予選で11勝7敗、ポイントも22対12としっかり実力を示すことができた。またシーズンのリタイアも1回と安定していて、05年のルノー加入を手に入れた。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.4.1ゆーじ
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ジョーダン・ホンダ EJ12
フィジコが5年ぶりにジョーダンに帰ってきた。しかしEJ12の開幕当初の出来は酷く、中盤戦には3連続の5位入賞もあったがトータル7ポイント。ランキング11位という結果だった。だが予選ではルーキーの琢磨に対して12勝4敗と力を見せたが、マシンの信頼性が低かったこともあり、完走率は50%だった。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.11.1ゆーじ
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ジョーダン・フォード EJ13 ブラジルGP初優勝
03年は8人の優勝者が出た混戦のシーズンだった。その中でもフィジコの初優勝は印象深かった。予選ではマシンのハンディがある中の8番手。決勝は雨のためスタートはセーフティカー先導が9周まで続いた。前半は雨が強くミシュラン勢が有利だったが、徐々に雨が弱まりブリヂストン勢に流れが傾く。序盤のピットインで一時は19位まで落ちたが、鬼の追い上げでトップのライコネンまで抜き去った。その直後に最終コーナーでウェバーがクラッシュし、アロンソがそこに突っ込んでレースが終了した。混乱で2位の判定が出たが、前のラップの順位確認で初優勝が決まった。そのトロフィーは次戦サンマリノGPでライコネンから渡された。110戦目の初優勝は意外な初優勝とも言えた。モデルカーはウェザリング処理されている珍しい一台だ。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.7.8ゆーじ
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ジョーダン・フォード EJ13
メインスポンサーのDHLを失い、人材の流出があったジョーダン。ホンダエンジンを失ってジャガーが使用したワークス1年落ちのフォードのカスタマーエンジンでたたかった。フィジコは入賞2回で12ポイントでランキングは12位だった。予選ではファーマンとバウムガルトナーに対し14勝2敗と圧倒。第2戦ブラジルGPでは後日優勝が発表されたが、110戦目での初優勝を決めている。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.5.2ゆーじ
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ベネトンフォーミュラ1 1999ショーカー
ベネトンの末期。1999年はロングホイールベースのB199で挑んだが、結局フィジコも史上最低のマシンと言うように酷い一年になってしまう。モデルカーはB198にお披露目のカラーリングになっていて、プレイライフの文字が赤になっている。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2002.8.14ゆーじ
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ベネトン・ルノースポーツ B201 アメリカGPインディアナポリス
ルノーワークス復活へ向けての第一歩はとても厳しいシーズンだったが、フィジコは時折輝く走りを見せていた。予選ではバトンに対し12勝5敗。ベルギーGPでは予選8番手からスタートし、直後にジャンプアップして3位表彰台を手に入れた。結局、8ポイントでランキング11位だったが健闘したと言えた。マシンはアメリカGP仕様で星条旗を付けている。実物はマイルドセブンロゴが入っているが、これを期に追加しようと思います。
G・フィジケラ ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2002.5.31ゆーじ
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ジョーダン・プジョー197
F1でフル参戦1年目は力を十分発揮したフィジコ。20ポイントでランキング8位。カナダで初ポディウムの3位。雨のスパでも2位に入り込む活躍っぷりだった。高速ホッケンハイムではフロントロウを獲得した。だがアルゼンチンGPではチームメイトのラルフの無理な仕掛けにより関係が悪化した。自分がラルフを嫌いになるきっかけになった。
G・フィジケラ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2001.5.9ゆーじ
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ベネトン・プレイライフB200
B199から一転オーソドックスなマシンになったB200。設計はすでにチームを離れたニック・ワースだったが、ティム・デンシャムとパット・シモンズの力も借りて完成した。シンプルゆえに信頼性は高かったが、後半戦は開発がほぼされず他チームに押された。フィジコは前半のブラジルGPの2位とモナコGPとカナダGPの連続3位が光ったが、後半戦はノーポイントに沈んだ。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.11.30ゆーじ
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ベネトン・プレイライフ B198
マネジメントディレクターにロッコ・ベネトンが就任なんて地味な話題が懐かしい。フィジコもブルツに押された98年。エンジンはルノーからカスタマーのプレイライフでは勝負にならなかった。いよいよベネトン消滅が近づく低迷のシーズンだった。B198もベネトンのマシンの中では本当に地味なカラーリングだった。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.5.1ゆーじ
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ベネトン・プレイライフ B199
チームメイトのブルツには差をつけたが地味なシーズンだった。波乱のヨーロッパGPでのトップ走行とリタイア後の悲しむ姿を見て、走りきってくれたらなぁと思ったものです。B199はチームも認める失敗作だった。B198から一気にホイールベースを伸ばした。独自のスタイルのマシンだったが、結果は散々でベネトンチームの消滅もいよいよ近づいてきた。
G・フィジケラ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.3.25ゆーじ