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マクラーレン・ランボルギーニMP4/8B 1993.9.28エストリルテスト セナコレNo.23
ホンダが92年限りで撤退したため、93年はフォードのカスタマーを使うしかなかったマクラーレン。シーズン途中でベネトンと同じワークス仕様を積んだが来シーズンに向けてエンジン探しが始まった。その時にエストリルテストで搭載したのがランボルギーニで、セナもハッキネンもパワフルで素晴らしいことを語っていた。だが実際は強力な冷却が必要など問題も多く、長いエンジンと燃費の悪さは拭えなかった。だがMP4/8Bは真っ白な車体でリア部分がV12エンジンの搭載で太くなっているなど、本選仕様と違っていた。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.5.21ゆーじ
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ロータス・ルノー97T 初優勝 ポルトガルGP
F1で2年目のセナ。トールマンからロータスに移籍してきた。この年P•P7回で、ポルトガルGPでは16戦目での初P•Pを獲得した。雨の中のレースでは際だった走りで、2位のアルボレートには1分以上の差をつけてのポールトゥウィンで初優勝だった。さらに雨のスパでも勝利し38ポイントでチームメイトのアンジェリスより一つ上のランキング4位だった。予選でもアンジェリスを13勝3敗と圧倒した。圧巻は第10戦から5連続ポディウム。しかし運もなくイモラとシルバーストーンではトップ走行中にガス欠。その他のレースでもマシントラブルで多くを失った。この年のチャンピオン、プロストのリードラップが841キロに対してセナは1325キロといかに失ったものが多かったかはこの数字でうかがえる。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2005.2.21ゆーじ
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マクラーレン・ホンダMP4/6 ブラジルGP初優勝 セナ展別注
母国ブラジルで勝てないセナの91年のレースも楽なものではなかった。予選ではウィリアムズ2台を相手に終了間際のアタックで逆転P•Pを獲得。決勝でもホールショットを決めてリードをキープする。しかしマンセルが徐々に間隔を縮める勢いを見せるが、25周目のピットインで1速に入らず大きくタイムロスした。その後マンセルが迫ってくるがパンクでピットインした頃、セナはトランスミッションの不調が発生する。追うマンセルは結局残り10周でセミオートマのトラブルでリタイア。セナが楽になるはずが6速にスタックし、雨も降り出した。だが追うパトレーゼもセミオートマの不調でジエンド。セナがなんとか逃げ切り、悲願の母国初優勝を手にした。泣きながらのウィニングランとポディウムでトロフィーを突き上げた姿が印象的だった。
A•セナ ミニチャンプス Mr.クラフト通販 2004.12.18ゆーじ
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ブラバム・BMW BT52B ポールリカールテスト 1983.11.14 セナコレクション
83年のセナはイギリスF3で年間11勝でチャンピオンに輝いた。そしてオフにはいくつかのF1マシンでテストをした。その時に乗ったのがブラバムBT52Bで、この後もブラバムのマシンに乗ったのはこの時だけである。当初はセナのF1デビューはブラバムという流れのようだったが、ピケの反対もあってトールマンからデビューしている。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.12.18ゆーじ
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マクラーレン・ホンダMP4/4 ファーストワールドチャンピオン1988鈴鹿レジェンド
セナが亡くなって10年。その日本GPで発売された鈴鹿レジェンドがこれ。セナとプロストの関係は良好に見えたが、亀裂がハッキリ見えたのが第13戦ポルトガルGPでのセナの幅寄せだと記憶している。そしてプライドが激突したのが日本GPだった。スタートでセナがエンジンストールし、下り坂で生き返って後の追い上げも手に汗握りました。鈴鹿のポディウムで二人は握手をしたが、真の和解だと感じるのは93年最終戦オーストラリアGPのあの握手まで争いは続いていった。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2004.11.26ゆーじ
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ウィリアムズ・ルノー FW16
マクラーレンからウィリアムズに移籍をしてきたセナ。しかし94年はたった3レースで天国に旅立ってしまった。開幕戦は地元ブラジル。2回目のピットストップまで独走だったが、2位からミハエルを追ってスピンしてそのままリタイアした。第2戦はTIサーキット英田でのパシフィックGP。これが日本で最後の勇姿で、鈴鹿に帰ってくることはなかった。決勝は1コーナーで攻めすぎたハッキネンに追突され、直後にラリーニに突っ込まれて去った。そして悪夢のイモラ。金曜日のフリー走行でバリチェロがクラッシュ。土曜日にはラッツェンバーガーがヴィルヌーブコーナーを曲がりきれず帰らぬ人となるが、モノコックが割れて隙間から体が見えるほど痛ましかった。そして決勝まで笑顔のないセナ。7周目のタンブレロでコントラストを失ってそのままコンクリートウォールに向かっていった。セナがレースで死ぬ。しばらく受け入れようにもあまりに深い傷に苦しんだファンも多かっただろう。しかしそれでもF1は続いていくのです。今宮さんの言葉は忘れようにも忘れられない一言でした。
A•セナ ミニチャンプス 東京駅八重洲地下フォルツァ 2003.3.30ゆーじ
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ロータス・ルノー98T セナコレNo.12
チームのエースになったセナ。チームメイトはワーウィックになる予定だったがセナの反対でダンフリーズになる。予選ではチームメイトに対して全勝。2勝でP•P8回、55ポイントでランキング4位だった。シーズン初勝利は第2戦スペインGPで、マンセルと0.14秒差でゴールラインを通過した。しかしシーズンが進むにつれて信頼性が低下していく。特に低ライドハイトのため油圧ジャッキシステムを搭載したギアボックスのトラブルにセナは悩まされ続けた。
A•セナ ミニチャンプス 恵比寿 Mrクラフト 2002.2.20ゆーじ
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マクラーレン・フォードMP4/8 オーストラリアGP 41GP WIN
ホンダエンジンを失ったセナはオフにCARTのペンスキーをテストするなど話題になり、結果1レース毎の契約とマシンの進歩などを要求していた。ライバルのプロストはハイテクマシンのFW15Cを手にして圧倒的有利だった。結果5勝、1P•P、73ポイントでランキング2位。1勝目は地元ブラジルで雨が降ってから止んでスリックに履き替えてヒルをぶち抜いた。続くドニントンのヨーロッパGPのオープニングラップは伝説になる。93年のセナの輝きはホンダ時代とは違う興奮をもたらしてくれたことは忘れられない。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2001.12.24ゆーじ
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マクラーレン•ホンダMP4/6 ワールドチャンピオンセット
91年のセナは苦戦する。ブラジルGPで母国初優勝を飾るとモナコGPでは史上初のモナコ4連勝を達成するが、ここからウィリアムズFW14の猛攻にあって5レースも優勝とP•Pから遠ざかる。だがハンガリーGP前に本田宗一郎が亡くなり、軽量シャシーとパワーが上がったホンダエンジン、シェルがスペシャルガソリンを持ち込み復活。結果、鈴鹿の10周目の1コーナーでマンセルとのたたかいに終止符。セナは3度目のチャンピオンを手にした。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.11.2ゆーじ
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マクラーレン・ホンダMP4/5B ワールドチャンピオンセット
前年からのバレストルとのスーパーライセンス問題が2月に片付いてなんとか参戦にこぎつけたセナ。開幕戦フェニックスでは純粋なバトルをアレジと楽しんだ。そして641/2の進化でプロストとの争いが激化。そして爆発したのが鈴鹿のスタート直後の激突だった。手に汗握ったが複雑なシーズンでニール・オートレイ設計のMP4/5Bはチャンピオンマシンだが不運なマシンになってしまった。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.11.2ゆーじ
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マクラーレン•ホンダMP4/4 ワールドチャンピオンセット
言わずと知れたセナの初チャンピオンマシン、MP4/4。設計はゴードン・マーレーとスティーブ・ニコルズ。まるで前年にマーレーが設計したブラバムBT55のような低重心なマシン。マクラーレンは16戦15勝と圧倒的な成績を収める。セナは8勝でP•P13回だったが、プロストと3ポイント差で辛くも逃げ切った。
A•セナ ミニチャンプス 仙台市 オールージュ 2000.10.2ゆーじ