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PORSCHE 936-78
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.12 ポルシェ・936 FIAが1976年当時定めた2座席レーシングカー(競技車両B部門第6グループ)規定に合わせ1976年にデビュー。 エンジンはレギュレーションのターボ係数×1.4で3Lに収まるよう排気量2,142cc。空冷の水平対向6気筒エンジンにシングルターボで540馬力を発生。 ル・マン24時間レース成績 1976年 ジャッキー・イクス/ジィズ・ヴァン・レネップ組が優勝 1977年 ジャッキー・イクス/ユルゲン・バルト/ハーレイ・ヘイウッド組が優勝 1978年 2位 1980年 2位 1981年 ジャッキー・イクス/デレック・ベル組が936-81で優勝
プラモデル 1/24 TAMIYA 1970年代ts-r32
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CHEVROLET SS396
REVELL 1/25 シボレー シェベル 2代目 (1967年 - 1972年) SS396の名でシリーズ化されたシェベルSSは、ハイパフォーマンスモデルとして、327ci、350ci、396ciのV8エンジンを持っていました。 レベルのこのキットはスタンダードかカスタムを選択でき、カスタムで仕上げました。
プラモデル 1/25 Revell 1980年代ts-r32
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ZEXEL SKYLINE GT-R Gr.N
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.105 1990年のスパ・フランコルシャン24時間レースのFISA-Nクラスに参戦、福山/服部/A.C.ベルネイの55号車は2位の成績を収めました。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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CALSONIC SKYLINE GT-R Gr.A
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.102 1990 全日本ツーリングカー選手権 (JTC) No.12 日産・スカイラインGT-R BNR32 チームインパル 星野一義/鈴木利男 デビューイヤーである1990年シーズン、チームインパルは全6戦中、鈴鹿での2位を除く5戦で優勝、圧倒的な強さでチャンピオンを獲得しました。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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NISSAN SKYLINE GT-R
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.90 日産・スカイラインGT-R 3代目 BNR32型(1989年-1994年) 1989年8月21日発売。 KPGC110の生産終了より16年ぶりとなるGT-R復活であり、当時日産で行われていた901運動の集大成として開発されたR32型GT-Rは、ATTESA E-TS、Super HICASといった最新デバイスに加え、専用設計されたエンジン RB26DETTを搭載し、日本初の300PS車として発売される予定でしたが、自主規制により、カタログ上は280PSとされました。 RB26DETTの排気量は、2.6Lという中途半端な排気量設定がされていますが、これはグループA規格で行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)のレギュレーションに対応させたことが理由。 GT系標準モデルとの外見上の違いは、専用16インチアルミ鍛造ホイール、前後ブリスターフェンダーの幅拡大、アルミ製のフロントフェンダーとボンネット、スリット式フロントグリル、専用フロントバンパー、専用リアスポイラー等。内装も、シート、ステアリング、インストゥールメンタルパネル、センターコンソール等が異なり、乗車定員も4名とされました。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1990年代ts-r32
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TOYOTA SPRINTER TRUENO GT-Z
タミヤ1/24スポーツカーシリーズNO.72 トヨタ・スプリンタートレノ 5代目 AE92型(1987年 - 1991年) 1987年5月に登場。このモデルからFF化され、ボディは2ドアノッチバッククーペに1本化されました。 FF化は販売面では功を奏し、トレノとしては未曾有の販売台数を記録しました。 GT-Zはスーパーチャージャー付き4A-GZE型エンジン搭載で出力は145ps/6,400rpm、トルクは19.0kgm/4,400rpm。
プラモデル 1/24 TAMIYA 1980年代ts-r32
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McLAREN HONDA MP4/4
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.22 マクラーレン・MP4/4 マクラーレンが1988年シーズンに投入したマシン。 MP4/4の設計は1987年夏の終わりごろから本格的にスタート。エンジンをTAG(ポルシェ)からホンダに変更しましたが、これが明らかにされるのが遅かったため、6か月でデザインを完了させ、シェイクダウンは開幕戦の11日前でした。 開発着手の遅れの影響が懸念されていましたが、開幕当初から他チームを圧倒する速さと高い信頼性を発揮、全16戦中、イギリスGPを除く15回のポールポジションと、イタリアGPを除く15回の勝利、ワンツーフィニッシュは10回を数え、獲得したコンストラクターズポイントは199点で、2位フェラーリ(65ポイント)の3倍以上の、F1史上でも類を見ない記録を打ち立てました。 アラン・プロストとアイルトン・セナの両マクラーレンドライバーによって争われたドライバーズチャンピオン争いは、7勝のプロストに対し8勝を挙げたセナが自身初のドライバーズタイトルを獲得しました。 ターボエンジン最終年のこの年、燃料搭載量が195Lから150Lに引き下げられ、ターボエンジンに求められる燃費性能はより厳しくなりましたが、ホンダは低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使して他のエンジンメーカーを圧倒しました。 エンジン:ホンダRA168E 1,494cc 80度V6ターボ ホイールベース:2,875mm 前トレッド:1,824mm 後トレッド:1,670mm
プラモデル 1/20 TAMIYA 1988年ts-r32
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BENETTON FORD B188
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.21 ベネトン・フォードB188 ベネトンが1988年シーズン用に開発したマシン。設計はロリー・バーン。 1988年を最後にターボエンジンが禁止され、1989年からは自然吸気エンジンのみで争われることになり、ベネトンチームは1年早く自然吸気エンジンを搭載することとし、DFZの改良モデルとなるDFRを搭載しました。このエンジンは1988年シーズン、ベネトンだけに供給されました。 派手なカラーリング、ペンシルノーズ、サイドポンツーン上のエアインテーク、大きなフロントウイングと小さなリアウィングが特徴。 1988年シーズンは最上位は3位でしたが、3位をブーツェンが5回、ナニーニが2回記録し、コンストラクターズランキングは3位の成績でした。 エンジン:コスワース・DFR V型8気筒・90度 3,500cc ホイールベース:2,692mm 前トレッド:1,816mm 後トレッド:1,682mm No.19はアレッサンドロ・ナニーニのマシンです。
プラモデル 1/20 TAMIYA 1988年ts-r32
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LOTUS HONDA 99T
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.20 ロータス・99T 1987年シーズンのマシンで、設計はジェラール・ドゥカルージュ。 ドライバーはアイルトン・セナと中嶋悟。 1987年シーズン、ロータスはエンジンをルノーV6ターボから、ホンダV6ターボに変更し、セカンドドライバーには日本人初のF1レギュラードライバーとなる中嶋悟を迎えました。メインスポンサーは長年のパートナーだったJPSからキャメルに代わり、ボディーはキャメルイエローになりました。 モナコGPとアメリカGPで、セナが2連勝。イギリスGPでは、セナが3位、中嶋が4位に入賞し、1位のナイジェル・マンセルと2位のネルソン・ピケのウィリアムズ勢とともにホンダエンジンの1-2-3-4フィニッシュを成し遂げました。このレースの興奮は今でも鮮明に覚えています。 エンジン:ホンダRA167E 1,494cc 80度V6ターボ ホイールベース:2,730mm 前トレッド:1,791mm 後トレッド:1,641mm
プラモデル 1/20 TAMIYA 1987年ts-r32
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WILLIAMS FW11 HONDA
タミヤ1/20グランプリコレクションNO.19 ウィリアムズ・FW11 1986年シーズンに投入された車両で、設計者はパトリック・ヘッド。 エンジンはホンダのRA166Eを搭載、RA165Eよりもスモールボア・ロングストローク化されました。 このマシンから、ホンダによるテレメトリーシステムが導入されました。 全16戦のうち9勝を挙げ、コンストラクターズタイトルを獲得。ドライバーズタイトルは、ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルというチームメイト同士にマクラーレンのアラン・プロストを加えた激しい争いが最終戦にまでもつれ込み、結局プロストが漁夫の利をさらう格好になりました。 エンジン:ホンダRA166E 1,494cc 80度V6ターボ ホイールベース:2,845 mm 前トレッド:1,829 mm 後トレッド:1,676 mm 車体重量:540kg
プラモデル 1/20 TAMIYA 1986年ts-r32
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NISSAN SKYLINE GT-R(BNR32)
フジミ製1/12スケール 日産・スカイラインGT-R 3代目 BNR32型(1989年 - 1994年) 1989年8月21日発売。 KPGC110の生産終了より16年ぶりとなるGT-R復活であり、当時日産で行われていた901運動の集大成として開発されたR32型GT-Rは、ATTESA E-TS、Super HICASといった最新デバイスに加え、専用設計されたエンジン RB26DETTを搭載し、日本初の300ps車として発売される予定でしたが、自主規制により、カタログ上は280psとされました。 RB26DETTの排気量は、2.6Lという中途半端な排気量設定がされていますが、これはグループA規格で行われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)のレギュレーションに対応させたことが理由。 GT系標準モデルとの外見上の違いは、専用16インチアルミ鍛造ホイール、前後ブリスターフェンダーの幅拡大、アルミ製のフロントフェンダーとボンネット、スリット式フロントグリル、専用フロントバンパー、専用リアスポイラー等。内装もシート、ステアリング、インストゥールメンタルパネル、センターコンソール等が異なり、乗車定員も4名とされました。
プラモデル 1/12 FUJIMI 9800円ts-r32
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FORD MUSTANG MACH1
オオタキ製1/12スケール フォード・マスタング 2代目 (1969年 - 1973年) 1971年モデルのマッハ1のエンジンは、標準で351クリーブランド、オプションで429ciCJ(コブラジェット)とCJ-R(コブラジェット-ラムエア)。さらにオプションで、鍛造ピストンを備えた特別な回転アセンブリが組み込まれたスーパーコブラジェットがありました。 1971年~1973年のマッハ1を特徴づけるデザインの1つとして、デュアルスクープを備えたNASAフードがあります。 標準ではデザインのみで、実際には機能しないアイテムでしたが、ラムエアオプションでは、各スクープ内の真空制御ドアと、エアフィルターハウジングを通ってキャブレターに外気を導入する機能になります。外観上では、クロームツイストフードロックが付き、マットブラックまたはマットシルバーの2トーンカラーのフードとなり エンジンに応じて、フードの両側に351 RAM AIRまたは429 RAM AIRのステッカーが付いています。
プラモデル 1/12 オオタキ 1970年代ts-r32
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DATSUN 240Z SAFARI CAR
タミヤ1/12ビッグスケールNO.8 1971年 東アフリカサファリラリー優勝車 ハーマン/シュラー組 小学生の時に作製 https://youtu.be/21u7XheoFNk
プラモデル 1/12 TAMIYA 3000円ts-r32
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LOTUS J.P.S. Mk.Ⅲ
タミヤ1/12ビッグスケールNO.20 ロータス78 コーリン・チャップマンの革新的なアイデアによる元祖グランド・エフェクトカー。1977年シーズン、マリオ・アンドレッティとグンナー・ニルソンのドライブでコンストラクターズ2位を獲得、F1界にグランド・エフェクト革命を捲き起こしました。 中学生の時に作製。当時、このキットを作りながら、サイドポンツーン内の形状と構造がよく分かり、ボディ全体でダウンフォースを得るメカニズムにやたら感心した記憶が。 7枚目のモノクロ写真は、作製当時撮影。ロータスチームのメカニックさんが、せっせとメンテしてるの図です(^^)
プラモデル TAMIYA 1970年代 1970年代ts-r32
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FERRARI 312T
タミヤ1/12ビッグスケールNO.17 フェラーリ312T 1975年シーズンの第3戦から投入され、ニキ・ラウダは5勝を挙げドライバーズ・タイトルを獲得、フェラーリは1964年以来のコンストラクターズタイトルを獲得。 エンジンは、312Bの水平対向12気筒の構成を引継いだ改良型。"T"は、「横」を意味するTrasversale(イタリア語)の頭文字で、横置きのギアボックスを採用したことから付けられました。横置きギアボックスの採用により、ハンドリング特性が大きく改善しています。 No.12はニキ・ラウダのマシン。中学生の時に作製、モナコGP優勝車に仕上げました。
プラモデル 1/12 TAMIYA 1970年代ts-r32