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アメリカ合衆国/アメリカ・シリーズ 1989.10.12【World Topics Stamp Collection】
『新大陸発見以前のインディアン文化を紹介』 コロンブスが、地球の球形を信じて航海に発ち、原パナマ諸島に上陸したのは、1492年10月12日のこと。いわゆる「新大陸発見」の歴史的な日であった。この新大陸発見から500年を迎える1992年に向けて、これを記念する切手が早くも続々と登場している。そんななか、米国とスペイン、それに中南米の22ヵ国が、順次シリーズで記念切手を発行することを決めた。これらの国は、いずれも「アメリカ・スペイン郵便連合」(PUAS)に加盟する国で、シリーズにはPUASマークが入れられる。シリーズ名は。ずばり「アメリカ・シリーズ」、その第1弾として発行されたのが、上のアメリカ合衆国の切手だ。 このシリーズでは、コロンブスの新大陸発見以前の原住民の伝統文化や風俗が紹介されるが、米国といえば、先住民族はインディアン。上の切手の図案は、▷25㌣=ホピ族の儀式用カチナ人形(西暦1150-1350年)、▷45㌣=カナル族の木彫りのネコ「キーマルコ・キャット」(西暦700-1450年)だ。米国インディアンは、ヨーロッパ人が新大陸に上陸して以来、長い間迫害をうけ、19世紀末までにことごとく制圧され、多くは死亡し、残りは政府の設けた指定地に移され、厳重な統制下におかれた。その基本方針は、インディアンの「野蛮な風習と宗教」を撲滅し、代わりに白人の文明を強要しようとするものであった。しかし、第一次大戦後は、ニューディール政策の一環としてインディアンに対する方針が大幅に改善され、現在ではインディアンの完全自治権が認められている。それを反映するかのように、今回の切手には、米国南西地方のインディアンの工芸品が描かれ、独自のインディアン文う見直している。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 アメリカ合衆国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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東ドイツ/建国40年 1989.10.3【World Topics Stamp Collection】
『市民の大量脱出で揺らぐ体制』 東ドイツといえば、社会主義国のなかではソ連に次いで経済の豊かな国。その国章は、切手の図案にあるとおり、国の柱となる農民、労働者、知識人を象徴する「麦の穂」、「ハンマー」、「コンパス」をデザインしたもので、これらを軸にして東ドイツは、1949年の建国以来、40年間着実に国家発展の道を歩んできた。 ところが、今年8月に、社会主義改革に進むハンガリーを経由し、東ドイツ市民が西ドイツへ移住を求めて大量脱出した。今年5月に、ハンガリーが対オーストリア国境に張りめぐらせていた高圧電線の撤去を始めてから、東ドイツ市民の流出が増え始め、7月末までに、すでに約240人が越境に成功。その後も、西側に脱出する"ゲルマン民族の大移動"は後を絶たず、9月末で脱出者はついに2万人を超え、現在でもなお、1日500~800人のペースで市民の脱出が続いているという。 そんな中で迎えた建国40周年。-10月6日、東ベルリンの共和宮殿で開かれた東ドイツ建国40年記念式典で、ホーネッカー議長は。社会主義40年の成果を強調し、「重要なことは、発展した社会主義社会の、より一層の建設である」と述べ、ハンガリーや、"ペレストロイカ"のソ連などの社会主義改革には追随しないという東ドイツ独自の道を明確にした。しかし、その直後に、13年間東ドイツを指導してきたホーネッカー議長が辞任。上の切手の図案には、平和のハトと国旗、国章をバックに。▷自動、▷農民、▷知識人、▷労働者が描かれているが、果たしてこの体制がどうなるか、その成りゆきが注目されている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 ドイツ民主共和国(東ドイツ) 1989年お気に入り切手ミュージアム
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中国/建国40年 1989.10.1【World Topics Stamp Collection】
『中国民主化運動の舞台「天安門」』 中国では、今年、民主化要求の運動が一段と高まった。そして、この運動を阻止しようとして、6月3日~4日に天安門広場で起きた"血の弾圧"はまだ記憶に新しい。そんななかで、中国は10月1日、建国40年を迎えた。上の建国40年記念小型シートには、この事件の舞台となった「天安門」が描かれている。 天安門広場には、首都北京の中心「天安門」の前に広がる広場で、面積は40ヘクタールあまり。世界最大の広場として「ギネスブック」にものっている。ここには100万人もの集会が可能で、1976年にも、やはりこの広場で騒乱が起きている、この「第1次天安門事件」は、当初は反革命事件とされ、鄧小平副首相が失脚したが、のちには革命的行動という評価を受けるに至った。この流れをくんで、1986年末ころから再び、学生の民主化要求デモが広がり、今回の第2次天安門事件へと発展した。 いわば、「天安門」は中国の「顔」であると同時に、中国の民主化運動の舞台でもある。新旧の価値観が衝突し、摩擦を生じるのも無理からぬこと。しかし、それが日本を含む他国に影響を及ぼす影響は計りしれない。いま、近隣諸国の目は、中国の政情が安定軌道にのるかどうかに注がれている。それは中国政府の出方次第であり、中国政府も平和的な解決方法を模索しているに違いない。それを象徴するかのように、上の小型シートのシート地には、世界各国の人々が天安門を囲んで楽しく踊る姿が描かれ、中国の「顔」が暖かく見守っている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 中華人民共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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アメリカ合衆国/古代生物 1989.10.1【World Topics Stamp Collection】
『ジュニア層の拡大をめざして』 これまでアメリカ合衆国では、トピカル図案の田型切手がよく発行されてきたが、今回の田型切手は、従来よりもひと回り大型サイズで、これまでの、イヌ、ウマ、カモ、ネコなどの身近な動物から、一挙に「古代生物」へと飛躍している。その古代生物の代名詞「恐竜」は、地質時代の中生代(2億2500万年前から6500万年前)に地球上に栄えた爬虫類であるが、遠い昔に遡る「未知」と「冒険」をかきたてる動物として、いつの時代にあっても世界中の子供たちの人気の的。今回の切手は、そのへんのことを意識して発行されている。 したがって、この切手のターゲットには、ジュニア層もかなり含まれているとみていい。近年、日本はもとより、アメリカ合衆国でも、ジュニアの収集家人口は減少の一途をたどり深刻化しているが、そのした状況のなかでも、ジュニアに対する配慮を忘れないという態度は、郵趣の普及のためには大切なこと。合衆国では、この11月に《World Stamp Expo 89》が開かれるが、この切手展でもジュニアの郵趣に力を注いでおり、会場内には「ユース・エリア」が設けられ、上の恐竜切手の発行に合わせて、先史時代の動物にテーマを合わせた展示が行われえる。切手の図案はいずれも北アメリカに生息していた恐竜である。 ▷左上 ティラノザウルス=大きな頭と鋭い歯をもつ最大の肉食恐竜(白亜紀) ▷右上 テラノドン=長く後ろに伸びた頭骨をもつ巨大な翼竜(白亜紀) ▷左下 ステゴザウルス=スパイクのようなトゲをもつ草食恐竜(ジェラ紀) ▷右下 ブロントサウルス=沼沢地や湿地に棲む大型の草食恐竜(ジェラ紀) ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 アメリカ合衆国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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中国/孔子生誕2540年 1989.9.28【World Topics Stamp Collection】
『中国切手に初登場の孔子』 上の切手は、孔子の生地である山東省曲阜県と南京の紫金山天文台が共同で調査し、孔子の新暦による誕生日を9月28日と確定したことを記念して発行されたもので、図案は ▷8分=門弟の教育 ▷1.60元=諸国遊節 ▷小型シート=全身像 である。 孔子が中国切手の図案となるのは、この切手が初めてというと意外に思う人は少なくないだろう。孔子といえば、中国春秋時代の思想家で、儒教の始祖。中国伝統の道徳政治中心の立場から「仁」を説き、その教えは彼とその弟子たちによる問答集「論語」によって広く知られている。漢の武帝の時代には儒教が国教として指定され、以来清代末期に至るまで、約2000年間、歴代の学識者の必須教養となった。日本に及ぼした影響も大きく、江戸時代には儒教が官学として受け入れられ、数多くの優れた儒学者を輩出している。このように、孔子はまぎれもなく東洋を代表する思想家であるが、本国の中国では、かつて孔子が切手の図案に描かれたことはなかった。 というのは、中華民国の革命後、五四運動(1919)により啓蒙主義的立場から、儒教の封健的な性格が攻撃されたからである。されに、中華人民共和国の成立後は、唯物史観により、孔子の階級的立場を焦点に論争が起こり、孔子は奴隷主貴族の反動的思想を説くものと論ぜられてきた。しかし今回の切手の登場で、孔子は復権を果たしたわけで、その思想も普遍の真理として見直されるるあると言えるかもそれない。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 中華人民共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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ベルギー/ユーロパリア日本祭 1989.9.16【World Topics Stamp Collection】
『ヨーロッパで開催される「日本」の祭典』 ユーロパリアとは"Europe(ヨーロッパ)"と"Opalia(古代ローマの収穫祭)"の合成語で、「ヨーロッパの祭典」を意味する。その起こりは、1985年、ベルギーの首都ブリュッセルで科学技術に関するワールド・フェアが開かれ、その呼びものとして組織された参加諸国によるアート・フェスティバルが大変な評価を呼んだことに始まり、そこに醸された高揚感、一体感が、ユーロパリア誕生のきっかけとなった。以来、1969年のユーロパリア・イタリア祭を皮切りに、2年に1度定期的に開催されてきた。毎回テーマ国を決め、90日間の会期に500種にのぼる文化・芸術イベントがベルギー各地で催され、現在では世界中の注目を集めるヨーロッパ最大の文化・芸術祭として知られている。 そして1989年のユーロパリアのテーマ国に「日本」が選ばれた。ユーロパリアは今回が10回目だが、ヨーロッパ以外の国が指名されるのは「日本」が初めてのこと。ベルギー王室と日本の皇室の親交が深いことも、日本が選ばれた理由のひとつで、日本の皇太子さまも日本を代表して、開会式に出席された。会期は9月26日から12月17日までで、歌舞伎、能、文楽などの伝統芸能から、演劇、映画、音楽などの現代文学に至るまで、日本の文化全般が紹介され、西欧に「日本」に対する理解を深めてもらうことを狙いとしている。 上の切手は、主催国ベルギーがこれを記念して発行したもので、期間中「日本美術における日本像展」に出品される「上杉重房坐像」(鎌倉時代)が図案。日本も同展の出品物から「紙本金地著色阿国歌舞伎図」を図案にした切手を同時発行している。日本では発行日は9月18日だが、ベルギーでは9月16日と17日に事前販売された。したがって、初日カバーには9月16日の日付印が押されている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 ベルギー王国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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モンゴル/チンギス=ハン即位800年(加刷) 1989.7.1【World Topics Stamp Collection】
『日蒙合同プロジェクトで注目されるチンギス=ハン』 13世紀、北アジアの草原に一大遊牧国家を築いたモンゴル帝国の始祖、チンギス=ハン(1167-1227)。その帝国の広さは、東は中国から西はヨーロッパに至り。史上空前だ。チンギス=ハンは、それまで小部族に分かれて相争っていたモンゴル民族を統一し、20年のうちに、黄河以北の中国大陸や中央アジアの諸王国を征服してヨーロッパを震えあがらせた。日本にも古くから、奥州平泉を逃れた源義経が大陸に渡り、チンギス=ハンになったという英雄伝説があり、また井上晴の小説「蒼き狼」の主人公として、チンギス=ハンはわれわれにも馴染み深い存在だ。 そのチンギス=ハンが、いま大きくクローズアップされている。チンギス=ハンは1227年、狩猟中の落雷がもとで死んだとされているが、没後760余年たった今も、その陵墓が見つかっておらず。今世紀に残された世界市場最大の謎となっている。これに向けて、来春、チンギス=ハンの陵墓探索の日本・モンゴル合同学術調査が発足する。調査にあたっては観測衛星の地表画像をコンピュータ解析したり、ハイテク装備の特殊な地下探査車を走らせたりする。しかも今年は、チンギス=ハンがモンゴル王に即位してちょうど800周年にあたることもあり、チンギス=ハンは一層注目を浴びている。上の切手は、即位800年を祝う記念加刷切手で、台切手は1962年に発行された「チンギス=ハン生誕800年記念」切手4種。 ▷20ムング:白軍の紋章 ▷30ムング:身分証明の銘版 ▷50ムング:記念石碑 ▷60ムング:チンギス=ハンの肖像 が図案の各切手に「チンギス=ハン即位・1189」と英語で加刷されている ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 モンゴル人民共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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モナコ/セザンヌ生誕150年 1989.9.7【World Topics Stamp Collection】
『造形世界を創造した後期印象派』 19世紀末フランス人画家ポール・セザンヌは、絵画に対する制作態度をこう語っている-「印象派から美術館の作品のような確かなものを作り出す」と。すなわち、セザンヌは印象派から学んだ自然を見る目と明るい色彩現実に基づいて、確かな造形性を保つ世界を実現しようとしたのである。絵の主題はごく初期の作品を除いて、ほとんど風景、人物、静物に限られているが、上の切手に再現された作品『オーベル農園』(パリ・オルセー美術館所蔵)を見ても分かるとおり、緊密な構成と的確な色調とによって、現実のもつ実在感が二次元の画面に実現されている。 この作風は、のちに印象派の画風を発展させたものとして、ゴッホやゴーガンと並び、後期印象派と呼ばれ、近代絵画に大きな影響を与えた。事実、ピカソが創始した「立体派」という20世紀最大の造形革命は、セザンヌの有名な言葉「自然を円錐と、円筒と、球体として扱う」ことから始まった。立体派の出発点ともいえるピカノの『アビニョンの娘たち』は、セザンヌの『水浴図』を直接受け継いだものであるし、また同じく立体派の画家ブラックが南仏で描いた風景画も、セザンヌの風景画の落とし子といっていい。風景にしても、人物にしても。対象をその対象自体のためでなく、造形世界を作り出すための手がかりとして主題にするという、彼の制作態度こそ、立体派の画家がセザンヌから学んだものであった。 そして、ピカソやブラックにとどまらず、「野獣派」の画家、さらには抽象画においても、セザンヌの絵画は、20世紀造形運動の基本理念として生きている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 モナコ公国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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イギリス/「無額面」普通切手 1989.8.22【World Topics Stamp Collection】
『現代版「ペニーブラック」の登場』 1989年10月2日からイギリスの郵便料金改正に向けて、4種類の新普通切手が発行された。図案は従来と同じく、エリザベス女王の横顔だが、この切手には「1級」と「2級」の区別が記されているだけで、額面は表示されていない。イギリスの書状料金は、取扱いの速さで2段階に分けられていて、優先して扱われ、速く配達されるのが1級便で、優先されないかわりに料金が安いのが2級便である。 イギリスでは、来年、世界最初の切手「ぺ二-ブラック」の発行から150周年を迎え、上の切手は、これに向けたイベントのひとつとして発行されるもの。そのため切手の刷色は、「ペニーブラック」と「ペンスブルー」を意識し、「1級」用が黒(=ペニーブラックと同色)、「2級」用が青(=ペンスブルーと同色)となった。そして、英国郵政はそのときの料金で発売し、「1級」、「2級」の郵便物に永久的に使用できるという、ユニークな"永久保証"をしている。 「無額面」切手といえば、アメリカの<A>~<E>切手もように、料金改正時期に暫定的に使われるのが一般的で、最近では、インフレの進行で郵便料金が目まぐるしく変わるブラジルやアルゼンチンなどでも無額面切手が発売されている。上の切手は、こうした事情とはちょっと違うが、基本的には、各国の無額面切手と同じ使い方ができるわけで、今後郵便料金の改正があるときには、値上げ前の料金で購入し、値上げ後に使用すれば、その差額分だけ得する計算になる。しかし、今回はあくまでも、ペニーブラックにちなむ発行といういきさつがあるため、今後も引き続いて無額面切手が発行される可能性はあまりなさそうだ。 今回の切手は、すべて切手帳で発売されえ、「1級」「2級」ともに、ウォルソース社製造の平版印刷とハリソン社製造のグラビア印刷の2種ずつある。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 イギリス 1989年お気に入り切手ミュージアム
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中国/「水滸伝」(2次)1989.7.25【World Topics Stamp Collection】
『108人の豪傑の痛快ドラマ』 『水滸伝』は、時代(1368-1645)の長編小説で、『三国志演義』とならび、近世の中国で最もひろく読まれた口語小説だ。「悪をこらして正義を助ける」英雄物語は、古くから多くの人々に愛読されてきたが、『水滸伝』は、日本でも幅広く親しまれてきた物語のひとつである。 この物語は、明代初期に、施耐庵(したいあん)と羅貫中(らかんちゅう)によってまとめられたもので、北宋末年、山東省の湖「梁山泊」の水辺(水滸)に集まった、実在の群盗をモデルにして生まれた。その後、物語の数多くのエピソードを付け加えながら、史実が物語の中にデフォルメした形でで入り、やがて庶民の英雄物語に成長する。ストーリーは、官史や土豪に圧迫され、梁山泊に集まって義兄弟となった108人の豪傑たちが、悪をこらし、正義を助けるという痛快な展開で、表現力ゆたかな口語で、豪傑たちひとりひとりを個性的に描いている。切手は、1987年に発行された第1次に続くもので、物語はいよいよ佳境を迎える。 ▷8分「武松、トラを退治する」 20~30人を喰い殺したという、景陽岡にすむ大トラを、酒に酔った武松が、拳骨でなぐりつけて殺す武勇伝。 ▷10分「秦明、夜瓦礫場を走る」 気が短く怒りっぽいので、霹靂火(へきれきか)と呼ばれる秦明が、瓦礫場(焼野原)を走る場面。 ▷20分「花栄、梁山に雁を射る」 弓の名人、花栄が、遠くわたっていく雁の列の、先頭から3番目を、見事に射落す場面。 ▷1.30元「黒旋風、浪裏白跳と戦う」 あばれん坊で名高く、黒旋風とよばれる李逵と、浪裏白跳と呼ばれる張順。やがて仲間として結ばれる二人の闘い。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 中華人民共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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イラン/「ホメイニ師追悼」1989.7【World Topics Stamp Collection】
『ホメイニ師の肖像が切手に初登場』 イランの最高指導者ホメイニ師の死去が発表されてから一夜が明けた、1989年6月5日、同師の遺体は追悼集会の会場であるテヘラン市内北部のサモラ広場に移された。遺体はガラスの棺に納められ、さらに大きなガラスケースで覆われ、高さ10㍍以上のやぐらの上に安置された。最後の別れを告げるため、広場には100万人以上の市民が早朝から押し寄せ、ガラスケースに眠るホメイニ師を遠くから仰いでは涙を流していた。なかには、自分の頭や胸をかきむしりながら、「もう、お会いできないのか」と声をあげて泣く女性の姿もあった。40度近い炎天下、悲しみと興奮のため失神する人も相次いだというニュースは記憶に新しい。 そんな市民の嘆きと思慕をこめ、死後間もなく、ホメイニ師の肖像を図案にした上の切手が発行された。国の指導者や文化人が切手の図案に描かれるのは、よくあることだが、イランの場合、ホメイニ師がイランを指導していた10年間、切手や紙幣に自分の写真や肖像画を使うことを一切禁じていたため、師がイラン切手に登場するのは今回が初めてだ。 ホメイニ師は、1979年2月、パーレビ国王体制を倒し、絶対的な指導者としてイスラム教シーア派革命を指揮し、宗教と政治を一本化する特異な体制を現代史の一角に築いた。いわば彼は、イランという国の枠を超えた「イスラム教徒の指導者」であり、上の切手にペルシア語で英語で書かれている「高貴なるイスラム世界の指導者ホメイニ師を悼んで-神の祝福あれ」という言葉には、師の魂がアラーの神の御元に帰り、安らかに眠りについてほしいというイスラム教徒の願いが込められている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 イラン・イスラム共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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アメリカ合衆国/「月面着陸20年」1989.7.20【World Topics Stamp Collection】
『宇宙開発の意義のある「第1歩」』 米ソの宇宙開発競争は、ソ連リードのうちに始まった。1961年4月に打ち上げた「ボストーク1号」で、ユリ・ガガーリン空軍少佐は、1時間48分かけて地球一周に成功した。これが人類初の宇宙飛行であった。これに対してアメリカは後れをとったが、国威の発揚と優れた技術力の周知のため、1960年代の終わりごろまでに、月面に人類を着陸させようという有人宇宙飛行を計画。67年12月の試験・訓練衛星の初打ちあげに始まり、弾道地球周回、月周回飛行を経て、月の《静かの海》に着陸した。当時の、アームストロング船長の「ひとりの人間の小さな一歩も、人類にとっては大きな一歩である・・・」という言葉に、すべてが象徴されるような、歴史的な快挙であった。 それからちょうど20年目にあたる今年、月への第一歩を記念して発行されたものが上の切手だ。図案は、月に降りたった二人の宇宙飛行士を描くシンプルなものだが、図案を迫力あるものにするため、サイズは「速達切手」と同じく大型で、しかも、額面はアメリカ国内ならどこでも2~3日で配達されるという「プライオリティ・メール(最優先郵便)」に使われる2.40㌦だ。 現在、各国の科学技術は「宇宙」を目指し、各種の実用衛星や探査機が相次いで打ち上げられている。そして、切手に描かれた月着陸からたった20年で、宇宙開発は大きく進歩し、地球は新しい「宇宙時代」を迎えつつある。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 アメリカ合衆国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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台湾/「地下鉄建設」1989.6.27【World Topics Stamp Collection】
『近代都市に生まれかわる台北の地下鉄計画』 地下鉄が最初に生まれたのはロンドンで、1863年1月のこと。当時のロンドンには、すでに高架鉄道はあったが、道幅の狭い都市部では交通が混雑し、それ以上に高架鉄道を敷設するのは困難という判断から、線路が地下にもぐった。その後、世界の各都市で 地下鉄建設の気運が高まり、現在では約50都市に地下鉄が走っている。そして、台湾の台北市でも、この6月、地下鉄計画が具体化した。 台湾では、鉄道および自動車道路は、西部平野を中心に発達している。しかし、首都の台北市では人口が急増し、高層ビルが立ち並び、ビジネスの拠点として都市化が進むにつれて、線路と道路がぶつかり合い、著しい交通渋滞を招いている。こうした状況から、台湾政府は、台北市中心部の鉄道の地下鉄化計画を進めることを決めた。上の2枚の切手は、この地下鉄工事計画を記念するものだ。 地下鉄には、都市交通機関としては最も重要な、大量輸送が高速度で実施できるという利点があり、都市の美観を妨げず、騒音などの公害を及ぼさないという、都市部の交通機関としては最適の条件を備えている。今回の台湾の地下鉄計画も、こうした諸条件をふまえたうえで決定されたが、一方で、この計画がかかえる問題も多い。というのは、台北市では地質が悪いため、地下の開削工事はむずかしいといわれてきた。これに加えて、莫大な工事費がかかるうえ、着工から完成までの工事の期間も長い。したがって、台北市が地下鉄で交通網を整備できるのは、まだ数年先の話だが、地下鉄が完成した日には、立派な都市機能を備えた近代都市に生まれかわることは違いない。 ※1989年当初の説明です。 #切手 ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1250060764368568324
切手 郵趣サービス社 乗り物 鉄道お気に入り切手ミュージアム
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イギリス「産業革命の遺産」1989.7.4【World Topics Stamp Collection】
『切手にみる機械時代の幕開け』 英国郵政が発表した上の切手のタイトルは"Industrial Archaeology"、直訳すれば「産業考古学」となり、何のことだかわからないが、考古学といえば、切っても切れない関係にあるのが博物館だ。実は、1989年はイギリスが定めた「博物館の年」であり、これにちなんで、イギリスの各博物館が手厚く保護している「産業革命」の遺産を図案にしたのがこの切手だ。 18世紀中頃、世界に先駆けて、イギリスに始まった「産業革命」は、「農業革命」と並び、人間社会を根本を変革した。新石器時代にメソポタミア地方で農業を始めた「農業革命」は、人類を長い狩猟・採集経済から解放して農業を中心とする「農業社会」をもたらしたが、産業革命は「農業社会」から工業を中心とする「産業社会」への移行を明確に位置づけた。そして生産技術の「道具」から「機械使用」への変化にともなう産業・経済・社会上の大変革をもたらし、現在の高度機械文明に至っている。 切手には、当時をしのばせる橋や工場が、昔のままの姿で再現されている。 それぞれの図案は ▷19ペンス=シェロプシャーの世界初の鉄橋(1799) ▷27ペンス=セントアグネスの錫工場 ▷32ペンス=ニューラナークの貿易工場(1786) ▷35ペンス=ポンチシルト水道橋(1805) ※1989年当初の説明です。 #切手 ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1248919526239907844
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ウガンダ「日本の美術」1989.5.4【World Topics Stamp Collection】
『史上空前のジャポニカ』 外国が発行した日本にちなむ図案の切手を、「ジャポニカ」とか「ニッポニカ」とか呼び、ひとつの収集テーマになっている。このジャポニカ切手を英領17ヵ国が、いっきに発行することで、いま話題になっている。その先陣をきって、ウガンダが発行したのが上の切手だ。図案は、葛飾北斎の浮世絵「富士三十六景」より、▷10シリング=「神奈川沖浪裏」、▷15シリング=「信州諏訪湖」、▷120シリング「山下白雨」、▷200シリング=「下目黒」で、典型的なジャポニカ切手だ。 ジャポニカブームを呼んだのは、1970年の大阪万国のときのことで、各国から100種以上発行された。図案はバラバラで、今回のように17ヵ国が「日本の美術」を共通テーマに、大阪万博を上回る143種もの切手を発行するのは初めてだ。しかも、切手の製造元が同じために、統一のとれたオムニバス形式になっている。 これだけ大量の切手が、この時期に出た理由のひとつは、昭和天皇の逝去にともない、世界中が日本の新しい時代の門出を祝ってくれたことにある。そのため、切手のまわりの耳紙(マージン)などに、「昭和」や「平成」の文字が感じで入れられている。だが、これは今回の一連のジャポニカ切手を発行するための建て前にすぎず、本音は、金持ち日本をターゲットにした「金モウケ」というのが、一般的な見方である。したがって、切手の図案も、先にグレナダから発行されて人気を呼んだ「南野陽子」と同じく、明らかに日本の収集家の"ウケ"を考え、人気の高い「文通週間」と同じ図案があったりする。しかし、日本の切手が精巧なグラビア印刷なのに対し、上の切手はオフセット(平版)印刷で、その差は埋めようがない。 ※1989年当初の説明です。 #切手 ■Twitter https://mobile.twitter.com/nLiqdpKI2RDGIuY/status/1247499214122143744
切手 郵趣サービス社 ウガンダ共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム