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「セントビンセント/ベーブ・ルース 1988.12.15」「アメリカ/ルー・ゲーリック 1989.6.10」【World Topics Stamp Collection】
『今の野球人気の基礎を築いた大リーグ選手』 ニューヨーク郊外の、森と湖に囲まれた美しいクーパースタウンの街に、「野球殿堂(ホール・オブ・フェーム)」が創立されたのは、1939年のこと。以来、この町は野球人の心のふるさととして親しまれている。上の切手に描かれた二人は、野球殿堂入りを果たした第1回表彰者で、左はベーブ・ルース(1895~1948)、右はルー・ゲーリック(1903~1941)。発行国は異なるが、いずれもアメリカ大リーグの強打者選手として世界的に知られたスポーツ界のヒーローだ。 ベーブ・ルースは、1918年に本塁打17本を打ってその打力を認められ、20年ニューヨーク・ヤンキースに移り、年々本塁打記録を更新し、長打を中心とする野球戦術の流行を起こした。そして、彼を中心にチーム作りをしたヤンキースは、1923年初めて世界選手権を獲得した。1935年、彼はボストン・ブレーブスの助監督を最後に引退したが、1914年から22年間大リーグで、ホームラン通算717本、ホームラン王12回、1シーズン60ホームランの大記録を達成した。彼のフルスイングから生まれる豪快なホームランや、豪放な人柄が。国民に広く愛され、その人気が、野球をアメリカの国技にまで押し上げた・ 一方、ルー・ゲーリックは、2130試合連続出場で知られる選手で。ヤンキースの一塁手をつとめた強打者だ。ベーブルースとは、よきライバルとして活躍し、終身打率は0.341、ホームラン数494本という記録をもつ。1934年には一緒に来日して、18試合を行い、日本のファンを沸かせた・。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 セントビンセント 1988年お気に入り切手ミュージアム
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ラオス/1988年発行 エッセン切手展'88(鉄道創業期の機関車-2)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『レインヒルの機関車コンテスト』 建設を進めていたイギリス2番目の公共用の鉄道、リバプール・マンチェスタ鉄道では、主任技師ジョージ・スチブンソンの強力な主張により、その動力として蒸気機関車を採用することを決定し、開業の前年1829年に、レインヒルで一般の公募による機関車のコンテストを実施した。 実際に参加したのは下記の3台で、重量その他の測定と、試運転による牽引力や速度などの審査が実施された。 1.ハックワースの機関車<サンスパレール> ストックトン・ダーリントンの鉄道お主任技師ティモシー・ハックワースが製作した自信の機関車であったが、試運転中にボイラの給水ポンプが故障のため運転不能となり、失格となった。 2.ブレイスウェイトとエリクソンが共同で製作した機関車<ノベルティ> 奇妙な外形だが、外部の仕上げが美しく、前評判の高い機関車で、指定の最高速度36km/hを軽く突破したが、試運転の途中で独特の火床への空気強制導入装置の故障で動けなくなり、これも失格となった。 3.スチブンソン父子の機関車<ロケット> 重量わずか4.5トンの小型ながら、外形もすっきりしており、性能も極めて優秀で試運転では12.5トンの貨物を牽引して平均速度24km/hで走り、最高速度も36km/hを軽く突破したので、最優秀機関車として500ポンドの賞金を獲得すると共に、リバプール・マンチェスタ鉄道の最初の指定形式となって、翌1830年には、開通初列車を牽引した。 ※発行当時の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 乗り物 鉄道お気に入り切手ミュージアム
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ソ連/アルメニア大地震被災者救助 1988.12.27【World Topics Stamp Collection】
『地震から切手発行まで、わずかに20日間』 1988年12月7日、アルメニア共和国の北部を襲った大地震は。一瞬にして数々の村落を崩壊させた。一時の報道では死者10万人におよぶ、と伝えられるほどの大惨事となり、コーカサス地方では過去80年間で最大規模、世界的にも今世紀有数の被害を出した大震災となった。しかし、地震自体の規模は、マグニチュード6.8~7.0、震源の深さ3キロと、過去の大地震と比べて決して大きくはなく、政府が建設した住宅などの構造のずさんかが、被害を増幅させた。 被災地のアルメニアへの救援は、各国の赤十字社その他を通じて続々とよせられているが、ソ連国内での対応も早く、地震発生の7日、ソ連指導部は異例の措置として、ルイシコフ首相を議長、ヤゾフ国防相らをメンバーとする対策委員会を設置している。そんななか、ソ連郵電省が事故発生からわずか20日後に発行したのが、上の付加金つきの救助切手。旧切手への加刷ではなく、アルメニア地方ゆかりの文化財などを図案に採用したもので、その迅速な発行には世界中の収集家が驚いている。 それぞれの図案は。 ▷20+10コベイカ: アルメニアのてぃぐらねす大帝を描く金貨(前1世紀のもの) ▷30+15コベイカ: アルメニアの聖リプシメ寺院(618年建築) ▷50+25コネイカ: エチミアジン大聖堂のフレスコ画「聖母子」(18世紀の作品) ▷タブ: 祖先敬慕のシンボルを彫刻した墓石に、ロシア語とアルメニア語で、「アルメニア地震被災者のために」 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 ソビエト社会主義共和国連邦 1988年お気に入り切手ミュージアム
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ラオス/1988年発行 エッセン切手展'88(鉄道創業期の機関車-1)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『トレビシックが作った世界最初の蒸気機関車<ペニーダーラン>』 世界の鉄道の歴史の中で、蒸気の力で貨車や客車を牽引して路線の上を走る"蒸気機関車"が製作されたのは1804年(公開実験は1808年)のこと。 イギリスの天才的な機械技師リチャード・トレビシックが、ペニー・ダーランの炭鉱用として製作したのが最初である。 大きなハズミ車や複雑な歯車装置など、現代の機関車と比べるとずいぶん変わった形をしているが、シリンダーからの排気を煙突の下から噴出させ、その勢いで火床へ空気を吸いこむブラスト装置や、ピストンからクランクを通して動輪へ動力を伝達する装置などは、現代の機関車にまで引き継がれている不滅の原理である。 その頃、各地の鉱山や炭鉱などでぼつぼつ使い始めていた鉄道は、すべて馬がひっぱる馬車鉄道であたので、この"機械の馬"蒸気機関車の出現は、陸上交通機関にとっては一大革命であったはずだが、世間一般の反応は意外と厳しかったようだ。 彼はその後も改良を加え、1808年には、新作の機関車に<つかまえてごらん>というふざけた名前をつけて、ロンドン市内の広場に特設した円形の路線を走って見せ、蒸気機関車が交通機関として立派に実用になることを証明しようとしたが、世間からは十分に理解されないまま、余り恵まれない一生を送った。 ※発行当時の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 乗り物 鉄道お気に入り切手ミュージアム
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イタリア/切手の日 1988.12.9【World Topics Stamp Collection】
『「小判切手」をつくったイタリア人』 イタリアで毎年、「切手の日」に発行される切手には、郵趣界で活躍した人物が登場しているが、1988年の切手には、切手の原画彫刻家として知られるエドアルド・キオソーネ(1832-98)が日本の着物姿で描かれ、さらに日本の2銭小判切手が再現されている。というのも、彼は日本切手と実に深いかかわりのある人物だからだ。 1876年(明治9)5月17日に発行された最初の小判切手3種(5厘、1銭、2銭)はキオソーネの指導のもとに、新しい方式による凸版印刷で製造されたもの。従来の手彫切手では、急増する郵便量に対して印刷効率が悪かったことや、国際的にみて図案に不備があることもあって、当時は早急に手をうたなければならない状況にあった。その頃キオソーネは、イタリア政府の委嘱により銅版画家として、紙幣改良のためドイツに赴いていたが、1875年に日本政府が自国の紙幣製造のための機械をドイツから購入したときに、銅版彫刻家として招かれ来日した。そして、日本の紙幣寮(現在の大蔵省印刷局)で切手や公債の図案とその製作に力を注いだ。彼はまた、1898年に鎌倉で亡くなるまで、明治天皇、西郷隆盛、三条実美、大久保利通、岩倉具視らの銅版肖像画をつくったことでも知られている。 現在の「小判切手」ができたのは、キオソーネのおかげであり、日本切手が国際的にも通用する切手としての第一歩を踏み出すのに彼は大きく貢献した。日本の初期の郵便史を語るうえで、キオソーネは欠くことのできない人物で、その功績が今回の母国イタリアの切手で称えられたというわけだ。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 イタリア共和国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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グレナダ/芸能スター 1988.12.5【World Topics Stamp Collection】
『切手の中で歌う世界の人気歌手』 思い出の映画スター、懐かしのシンガーなどとともに、いまをときめく現役の人気歌手たちもまた、切手図案の対象になりはじめた。これらの切手の多くは、郵便に使うことを目的としたものではなく、収集家はもちろん、一般の人たちのウケをねらったものがほとんどだ。今回のカリブ海の小国グレナダから発行された、上の芸能スター切手も、その仲間といえる。したがって図案に登場している芸能人たちは、世界を沸かせるトップスターである。切手の各図案は以下のとおり。 ▷10セント:ティナ・ターナ アメリカの女性シンガーで、「プライベート・ダンサー」や、映画「マッド・マックスⅢ」のテーマ曲「ウィー・ドント・ニード・アナザー・ヒーロー」なんどのヒット曲で世界的に知られる。 ▷75セント:マドンナ 派手な衣装とセクシーな歌声で、日本でもよく知られるアメリカの女性シンガー。公演のために来日し、日本中を熱狂的なファンで沸かせた。ヒット曲「ライク・ア・バージン」などは、世界中で高い売り上げを記録した。 ▷1ドル:エルトン・ジョン 世界的に知られるイギリスのアーチストで、1970年の同名の最初のアルバム「エルトン・ジョーン」以来、すでに28枚のアルバムを世に出し、世界中の根強いファンをもつ。 ▷3ドル:ブルース・スプリングスティーン 若者に人気のあるアメリカのシンガーの一人で、人権擁護組織「国際アムネスティ」にレコードの売り上げを寄付するなどの慈善活動でも知られる。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 グレナダ 1988年お気に入り切手ミュージアム
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台湾/年賀 1988.12.1【World Topics Stamp Collection】
『可愛いヘビにもあふれる個性』 12年間続く台湾の年賀切手は、統一パターンのユニークなデザインで知られ、今回の「ヘビ」はシリーズ2次の9回目に登場。シリーズ2次は、いずれもデザイナー荘珠妹さんの作品で、円形の干支を描き、バックに漢字で干支の名前が書かれている。円形の動物は、古来中国ではよく格言、諺、故事に登場するが、なかでも「ヘビ」はその回数が多い。これは「ヘビ」が賢い動物として特異なな存在感をもち、人間に与える印象が一番強いからだろう。そもそも、蛇以外の12支の動物は、直接文字とは関連がなく、例えば"子"が12支以外で「ネズミ」の意味になることはなく、丑、寅、卯以下すべて同様であるのに、"巳"だけは「ヘビ」そのものを表わす象形文字であるところなどは、自己主張の強い「ヘビ」らしいと言える。また日本では、ネ(ズミ)、ウシ、トラ、ウ(サギ)・・・と動物を実名で呼んでいるが、巳だけは「ヘビ」と呼ばす、「ミ」と呼んでいるのも特殊だ。「ミ」は、「ヘビ」が平安期のころまで「ヘミ」と呼ばれていて、その「ヘミ」が略されたものだという。いずれにしても、日本でも中国でも、「ヘビ」は独特の存在感をもつ、個性の強烈な持ち主であることには変わりなく、そんな中で発行された今回の切手は、カワイイ図案が妙にアンバランスで面白い。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 中華民国(台湾) 1988年お気に入り切手ミュージアム
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メキシコ(1988.8.16)・日本(1988.11.30)/「日墨修好条約署名100年」【World Topics Stamp Collection】
『お互いの国を表敬する100周年切手』 日墨修好条約は、1888年11月30日、ワシントンにおいて、日本の陸奥宗光とメキシコのマティアス・ロメロ両国特命全権公使の間で署名された。この日の日墨修好条約は、日本にとって初めて。外国から日本の絶対主権を承認された平等条約であり、外国人に対する裁判権、租税賦課権、両国民の自由な居住権などを相互に認めたものであった。また、メキシコにとっては初めてアジアの国と結んだ条約だ。 この条約署名を記念して。一足先にメキシコは1988年8月16日に記念切手を発行したが、これを追う形で、日本側も、切手発行計画外の臨時発行を決め。署名当日の11月30日に、記念切手を発行した。したがって、いずれの切手も両国独自のデザインで。ジョイント発行とはならなかった。 メキシコから発行された切手は、日本・メキシコ両国の国旗に、当時の通商に使われていた船、そして日本に敬意を表して「菊の紋章」をあしらった簡単なものだが、メキシコ伝統の精巧なグラビア印刷で製造されている。一方日本の切手は、メキシコに敬意を表する意味で、メキシコ国旗の中央部に描かれている紋章をとりあげた。紋章はアステカ隆盛の前兆となったこの国の建国の故事をデザインしたもので、サボテンの上で蛇をくわえているワシが描かれている。このワシは、アステカ族の神ウイツィロポチトリの象徴で、ウイツィロポチトリは、アステカ族を率いて、のちにこの地方に強大な帝国を建設しおた歴史上の人物でもある。彼はアステカの一戦士であったが、戦いのワザに優れていたために尊崇をあつめ、偉大化されて神にまで祀り上げられたという。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 メキシコ合衆国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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中国/「三国志演義」 1988.11.25【World Topics Stamp Collection】
『切手に蘇る中国古典ロングセラー』 「三国志演義(原名:三国志通俗演義)」は「水滸伝」、「西遊記」、「金瓶梅」と並ぶ中国4大奇書のひとつとされる長編歴史小説である。作者は、元末・明初(14世紀)の小説家であり戯曲作家である羅貫中。生没年ほか、伝記的事実はほとんど不明だが、師である施耐庵とともに「水滸伝」を書いた言われる人物だ。 三国時代(221~265)の波瀾にとんだ史実を語る三国志は、唐代に始まり。三国志語りの講釈師に受け継がれてきた。それが、娯楽を求める大衆に受け、巷で面白おかしく口演されているうちに創作され。虚構の部分がふえていったという。羅貫中は、このように民間で継承されてきた講釈としての三国志から非現実的な部分を削除して、正史である「三国志」によってなるべく史実に近づけるとともに、文学的にも高度なものに改作した。こうしてできあがった「三国志演義」は、全24巻、120回からなり、登場人物は4,000人を超える。魏・蜀・呉の三国分立の世を舞台とし。劉備玄徳、関羽、張飛の3人の義兄弟と諸葛孔明、それと対立する曹操らを中心とする戦闘の記述が物語の大半を占めるが、武勇と知謀が錯綜するところに面白味があり、テンポのある物語の展開によって読者の興味をつなぎとめている。 各図案は、 ▷8分(上) 「桃園での3人の契り」-桃の下で卓を囲む劉備、関羽、張飛 ▷8分(右) 「3人の英雄と呂布の戦い」-劉備、関羽、張飛に囲まれる、呂布 ▷30分 「鳳儀亭にて」-春の香りにむせかえる鳳儀亭で密会する呂布と貂蟬 ▷50分 「酒を煮て、英雄を論ず」-曹操の招きをうけて梅園の酒席につく劉備 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 中華人民共和国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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ノルウェー/クリスマス 1988.11.15【World Topics Stamp Collection】
『ユニークな漫画のクリスマス切手』 各国から例年発行されるクリスマス切手には、キリスト教関連図案が多いが、最近は夢のある、ユニークな図案のものが増えてきた。この切手は、クリスマスには直接関係はない、ノルウェーで人気の漫画家ヒエル・アウクルストの漫画主人公「ルドビク」が描かれている。 ノルウェーは。ヨーロッパ諸国中、キリスト教に改宗するのが最も遅かった国のひとつである。10世紀頃から、ノルウェーの王族が国外に留学して洗礼をうけ、帰国して即位したのちに、率先してキリスト教の布教につとめたが、北欧神話に見れれるような、民衆の古来の信仰は根絶されなかった。したがって、ノルウェーでは、古代北欧のユール(Jul)の祝日をクリスマスとしている。 このユールは、広くゲルマン人全般にあったろも言われているが。その実態は不明で、キリスト教定着以前の北欧では、個々の家庭や血族集団がかかわる収穫祭、豊穣祭の性格をもつ私的祭儀だったという。祝祭は、干し草作りや放牧家畜の囲込みなど、収穫作業を完了したあとの、冬至の前の時期(10月中旬から11月中旬まで)に行われた。人々は、この祭りで、豊穣神への感謝と祈願、血族構成員間のきずなの強化をはかり、古代北欧人の代表的な豊穣神フレイの聖獣である雄豚を供養したあとに、ビールを飲み、ご馳走を食べる風習をもっていたらしい。それが、16世紀の宗教改革以後、次第にキリスト降誕を祝う日になっていったが、今でも、ノルウェーのクリスマスは、他のヨーロッパ諸国と多少異質で、このクリスマス切手にもその伝統が見れれ面白い。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 ノルウェー王国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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トルコ 1988.10.5・スリナム1988.11.1/ソウル五輪優勝者【World Topics Stamp Collection】
『記念すべき"金メダル"を受賞した小国』 ソウル五輪は、過去最高の160ヶ国、13,626人の選手の参加で9月17日に開幕、10月2日にその幕を閉じた。例年どおり、開会前から各国で五輪切手の発行が相次いだが、閉会後のメダル受賞者を称えた切手も見逃せない。上の2種は、それぞれ図案は素朴だが、"金メダル受賞"を、小国にとって祝福すべき大事件として記念すえう1枚である。 トルコの切手(左)に描かれているのは、重量挙げ60キロ級で金メダルを受賞したナイム・スレイマノグル(21歳)。ブルガリア生まれの彼は、人口の6%を占めるトルコ系住民として育ったが、非イスラム化を狙うブルガリア政府の政策に反発して、1986年暮れ、オーストラリア遠征中にトルコへ亡命した。今大会では、当初から、かつての同僚ブルガリアのステファン・トプロフとの対決が注目されたが、結果は、スレイマノグルが2位トプロフに30キロの大差をつけて圧勝、見事に世界新記録を樹立した。 一方、スリナムの切手(右)に描かれているのは、水泳男子100メートルバタフライで優勝したアンソニー・ネスティ(20歳)。人口約40万人の南米の小国スリナムから代表団わずか6人、中でも"伏兵"ネスティの登場は五輪の大きな話題のひとつであった。スリナムは50メートルプールがひとつしかないという水泳不毛の地。ネスティはそのプールで父親から水泳の手ほどきをうけた。今回は、スリナム発の金メダル受賞であるばかりでなく、黒人スイマーとしても初の水泳メダル受賞となり、ビオンディ(米)、グロス(西独)を制した気迫は見る側を圧勝した。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 スリナム共和国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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1986年アメリカ大統領切手(第15代大統領 ジェームス・ブカナン) 初日カバーコレクション
「北部諸州の政治的強みが我が国全体にとっていくら優れたものであっても、南部同盟支持者15名の身の安全が確かなものにならない限りは、すべて無に帰ってします。これら諸州すべての家庭の平和が侵害されるなら、北部諸州から彼らにもとらす政治的利益を彼らに詳しく説明するのは無駄なことである。自衛本能は第一の本能であり、剣が人々の頭上にぶらさがっているような社会は耐えがたいものである。」 (1859年 第3回年次教書より) ジェームス・ブカナンは過去3回、政党の大統領補佐官に選ばれたにもかかわらず、1856年に指名されたとき、任期中に内戦が起こることを怖れ、ためらった。彼の判断は正しかった。彼は外交の経験から、和解は最大の解決法であると知っていた。しかし奴隷問題が内戦をもたらすような状況になるとブカナンの和解姿勢はかえって紛争の火種をあおっているようなものであった。1860年までに状況は彼の手に負えなくなり再選をあきらめた。 1986年当初の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
切手 アメリカ合衆国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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ニュージーランド/丸形切手 1988.10.19【World Topics Stamp Collection】
『"円い"切手の中におさまった国鳥キーウィ』 新切手としては、めったに見られなくなった円形切手が、伝統的に、四角形以外の変形切手を発行したことがないニュージーランドから発行され、話題を呼んだ。それがこの切手で、直径33ミリ、マオリ族伝統の植物模様が周囲を飾り、シダの繁みをバックに、国鳥キーウィ(キーウィ科)を描いている。同国では従来ほとんどの切手がグラビア印刷だが、この切手は凹版印刷で、凹版の良さを際立たせ、円形切手を」一層印象づけている。 円形という大胆な試みとうまくマッチしている図案のキーウィは、"キーウィー"と鳴くことが名前の由来とされている。ニュージーランド原産の原始的な鳥で、今年6月に発行されたオーストラリア200年の切手にも、コアラと一緒に描かれた。国の象徴として、切手のほか、コインや重要な産物の商標にも使われており、世界中から注目されたこの円形切手の図案としては、最もふさわしいといえよう。キーウィは、単独か、つがいで生活しているが、夜行性であるうえに非常に憶病な鳥なので、昼間は密林の朽木の下や地下の穴に身を潜めており、国鳥でありながら、ニュージーランド人でキーウィを見たことのある人はわずかだという。食用あるいは婦人の衣装用としてヨーロッパ人に乱獲されたり。原生林の農地化や。移入されたイタチやイヌなどの影響で、一時非常に減少したが、現在では、国の野生生物局が手厚い保護を実施しているため、一応絶滅のおそれはなくなった。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 動物 鳥類お気に入り切手ミュージアム
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レント/名画 1988.10.17【World Topics Stamp Collection】
『名作が生きる大型美術切手』 世界的に知られる名画がまた切手になった。美術切手は、一般に大型サイズで、原画のもつ魅力を余すところなく見せてくれるが、上の切手もまた、その例にもれない。図案はいずれも世界の一流美術館に収められた、4人に画家の代表作で、切手でちょっとした世界の美術館めぐりができる。 ▷40セント:ベラスケス画「腰元たち」 (1656年-マドリード・プラート美術館所蔵) ベラスケス(1599-1660)は、スペインの代表的宮廷画家。ルーベンスの勧めでイタリアに遊学し、ティツィアーノ等の傑作から多大の影響をうけ。その写実的な肖像画、宗教画は世界的に知られている。 ▷50セント:マネ画「笛吹き」 (1866年-パリ・ルーブル美術館所蔵) マネ(1832-83)はフランスの画家で印象派の創始者として知られる、彼の周囲にモネをはじめ、若い画家が集まり、そこから印象派絵画が生まれた。 ▷55セント:ゴッホ画「星月夜」 (1889年-ニューヨーク近代美術館所蔵) オランダの画家ゴッホ(1853-90)は、印象派の影響をうけながらも独自の画風を展開、代表作「ひまわり」をはじめ多くの傑作は、激しい色調と情熱的なタッチで後世の画家に影響を与えた。 ▷2マロナ:モネ画「睡蓮の池」 (1899年-ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵) フランスの印象派画家モネ(1840-1926)の作品はほとんどが風景がで、特に光によって変化する風景が多い。切手の図案は、有名な連作シリーズ「睡蓮」のひとつ。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 レント王国 1988年お気に入り切手ミュージアム
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アメリカ/メリーゴーラウンド 1988.10.1【World Topics Stamp Collection】
『手掘りの木馬が色鮮やかに蘇る』 動物園ならび、子供たちの夢を育てるプレイランド・遊園地。最近はコークスクリュー、ループなど"絶叫マシン"と呼ばれる機種がつぎつぎと開発され、人気を集めているが、いつの時代も、かわらない人気があり、遊園地には欠かせないものといえば、観覧車と木馬。この4種の田型連印切手には、民芸品としての木彫りの回転木馬(▷左上:シカ、▷右上:ウマ、▷左下:ラクダ、▷右下:ヤギ)が描かれ、木彫りの緻密な細工と鮮やかな彩りを再現している。 一般に使われる<メリーゴーラウンド>の名称はイギリスの呼び方で、アメリカでは<カルーセル(carrousel)>と呼ばれている。カルーセルは、イタリアやフランスで、17世紀にはやった馬上試合のことだが、その際、馬に派手な武具をつけていたので、回転木馬にもそれに似た装飾をほどこし、カルーセルと名付けたらしい。18世紀初頭には、フランスの玩具商が回転台の上に木馬を乗せ、人力または馬力で台をゆっくり動かすという見世物をはじめ、その後、イギリスのフレデリック・サベッジ(1828-1897)が蒸気機関によって円盤を回転させ、クランクで木馬を上下させる装置を開発した。20世紀初頭のドイツが回転木馬の黄金時代と言われ、1907年に制作された<エル・ドラド>は、当時の技術と芸術の結晶と称えらたほどの優美なもので、アメリカを経て、現在は東京・練馬区の豊島園で楽しまれている。日本に初登場したのは1903年、大阪の第5回内国勧業博覧会で、メリーゴーランドを「快回機」と訳していたという。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 アメリカ合衆国 1988年お気に入り切手ミュージアム