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アメリカ/1987年10月1日発行 切手収集月間(アメリカの初期の機関車-2)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『2軸ボギー先台車の登場-<ブラザ・ジョナサン>と<ゴーワン・マークス>』 ヨーロッパ各国の初期の鉄道建設は、ほとんどすべて2つの都市の間を連結するというやりかたであったが、アメリカではこれと違って、大西洋岸の港湾都市から西へ向かって進め、平坦な路盤を作るとまず枕木とレールを並べて、1kmでも先へ路線を延ばしていく方法をとった。そのため出来上がった路線は軟弱で急カーブも多く、列車は横揺れと上下の振動で、いつも脱線の危険にさらされていた。 ニューヨークのウエスト・ポイント機械工場では、1832年、この路線の不良による列車の上下左右の振動を防止する方法として、2軸ボギー先台車を考案し、早速モホーク・ハドソン鉄道注文の機関車<ブラザ・ジョナサン>にこの新方式を適用した。2軸ボギー先台車はバネ装置で上下の振動を吸収し、台車はピボット構造で機関車本体に連結されているので、左右の廻転が出来、車両の横揺れが吸収できるわけである。結果は大成功で、アメリカでそれまでにない96km/hもの猛スピードを出したと言われている。続いて1839年には、イーストウィック・ハリソン社で、フィラデルフィア・レディング鉄道の貨物列車用として、列車重量の増大とスピードアップの要請にこたえて、4-4-0形の機関車を製作し、出資銀行の名をとって<ゴーワン・マークス>と名付けた。比較的に平坦な線区ではあったが、1840年には総重量423トンの貨物列車の運転に成功した。 4-4-0の車両配列はアメリカの鉄道の条件に大変よくマッチして大評判となり、各鉄道ではこぞってこれを採用したので、19世紀後半の50年間にアメリカで製造された機関車の85%を占め<アメリカン形>と愛称されるようになった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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アメリカ/1987年10月1日発行 切手収集月間(アメリカの初期の機関車-1)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『サウスカロライナ鉄道の最初の機関車<チャールストンの親友>』 1830年、チャールストン・ハンバーグ鉄道(後にサウスカロライナ鉄道と改称)の注文で、ニューヨークのウェスト・ポイント機械工場が製作した0-4-0機関車。 試運転では、50人の乗客を乗せた客車5両を牽引し、速度33km/hで走って上々の成績を示した。12月25日の開通式には開通列車を牽引した。 たて形のボイラと2軸の同動輪、内側2シリンダの構造は当時の鉄道の先進国イギリスの機関車に比べても、いささか遜色のないものであった。 この鉄道はその後急ピッチで路線の建設を進め、1833年にはチャールストーン~ハンバーグ間218kmを完成し、当時の連続延長最大の鉄道となった。 しかしながら、この1号機関車<チャールストーンの親友>は、この年の6月17日、本線列車を牽引して走行中に、ボイラーの安全弁から蒸気の洩れる音を気にした機関助士が、安全弁を紐でしばりあげたため、ボイラーんの圧力が異常に上昇しても安全弁が作動せず、ついに列車運転中にボイラ爆発の大惨事を起こしてしまった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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第三集「早苗とる手もとやむかししのぶ摺」① 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
芭蕉が「しのぶもぢ摺の石」を見たのは、五月二日(陽暦六月十八日)のこと 『奥の細道』には、 あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋ねて、 忍のさとに行く。 遥か山陰の小里に石半ば土に埋れてあり。 里の童の来りて教へける、 「昔はこの山の上に侍りしを、 従来の人の麦草をあらしてこの石を 試み侍るをにくみてこの谷につき落とせば、 石の面下ざまに伏せしたり」 といふ。 さもあるべきことにや。 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 とある。 「しのぶもぢ摺の石」は、昔、信夫群の名産の布を染めるのに用いたという巨石。河原左大臣源融の歌「みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思う(又は、乱れそめにし)我ならなくに」で知られる歌枕。 この句は、旅中に最初、 五月乙女にしかた望まんしの摺 と作られ、すぐに さなへつかむ手もとやむかししのぶ摺 と改められていたのを、上五をかえて、『奥の細道』に用いられたもの「むかしのぶ摺」の「しのぶ」が掛詞になっている。 [句意] 五月女たちが苗代から早苗をとる手つきを見ていると、昔、あのような手つきでしのぶ摺を摺っていらのかとしのばれることだ。 季語・「早苗」(夏) 「もぢ摺り石」は、文字摺観音(福島市山口)の境内に柵で囲んである。境内に句碑がある。なお、文字摺局の風景印は、河原左大臣の歌碑を描く。 #切手 #初日カバー #FDC #奥の細道シリーズ
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第三集「世の人の見付けぬ花や軒の栗」③ 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
#切手 #初日カバー #FDC #マキシマムカード #奥の細道シリーズ
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第三集「世の人の見付けぬ花や軒の栗」② 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
#切手 #初日カバー #FDC #マキシマムカード #奥の細道シリーズ
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第三集「世の人の見付けぬ花や軒の栗」① 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
四月二十日(陽暦六月七日)に白河の古関跡にあった旅館(福島県白河市旗宿)を超えてみちのくに入った芭蕉は、二十二日に須賀川(福島県須賀川市)の等躬宅に泊まり、二十九日に発足するまでに滞在する。二十四日には、可伸という人物のところで、 かくれ家や目だたぬ花を軒の栗 を発句も歌仙(連句)の会を催した。 『奥の細道』に この宿の傍に、 大きなる栗の木陰をたのみて世をいとふ僧あり。 橡ひろふ太山もかくやと閬に覚えられて、 ものに書き付け侍る。 その詞 栗といふ文字は西の木と書きて 西方浄土に便りありと、 行基菩薩の一生、 杖にも柱にもこの木を用ひ給ふとかや。 世の人の見付けぬ花や軒の栗 とあるが、その「世をいとふ僧」が可伸で「かくれ家や」の句を改めて、ここに用いた。改めたのは、「かくれ家」にあたる語を、前文に「世をいとふ」と用いたからであろう。「世をいとふ僧」(可伸)の人柄を賞でた句である。 [句意] 栗は西方浄土に縁のある尊い木であるが、その花は、入の賞するところではない。この草庵の傍に、人に知られずひそやかに咲いている栗の花があるが、それは、あたかも草庵の主に人柄と照応するかのようだ。 季語・「栗の花」(夏) 市立博物館と可伸庵跡(NTT須賀川)に句碑がある。須賀川局は、可伸庵跡からJR須賀川駅へ行く途中。 #切手 #初日カバー #FDC #奥の細道シリーズ
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米信託統治領パラオ/日本統治下のパラオ(2) 1987.10.16【World Topics Stamp Collection】
『世界平和の願いを小型シートに』 1981年1月、アメリカ信託統治領からの独立を前提に、パラオ諸島は自治政権を発足させた。このとき制定した「非核憲法」は、世界中から注目を浴びている。「非核」を宣言した背景には、核戦争への脅威とともに、日本統治時代のパラオが日米間の大激戦地になったという事実がある。島民たちは、島々が永遠に"南海の楽園"であることを祈っているのだ。 第一次世界大戦の1919年から第二次世界大戦終戦まで日本の委任統治下にあったパラオ諸島は、太平洋戦争中、太平洋の軍事拠点としての道を歩まざるを得なかった。なかでも一番激しい戦火を受けたペリリュー島は、数多くの犠牲者を出している。日本統治下のパラオを描く切手4種とともに発行された、この小型シートは、いまもこの島に眠る人たちへの追悼の小型シートと言える。 戦争をテーマにした、このような切手が発行されたことは、かつての暗い戦争体験を教訓にして、世界平和を希望するパラオの願いのあらわれで、ペリリュー島にある日本人墓地で戦没者の墓参りをする遺族が描かれている。シートの右肩には、当時の帝国主義を象徴する、真珠湾攻撃を描いた「大東亜戦争1年記念」切手(1942)と当時のパラオの風景印が描かれ、これとは対照に。左肩には、「平和条約調印記念」(1951)が並べられていえ、美しい島々を。再び戦火に巻き込むことのないようにという、世界共通の願いがこめられている。 #切手
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米信託統治領パラオ/日本統治下のパラオ(1) 1987.10.16【World Topics Stamp Collection】
『パラオと日本の平和友好を願って』 "南海の楽園"として知られるパラオ諸島は、フィリピンの東およそ800kmのミクロネシアに浮かび、総面積489㎢、人口が約1万2000。第1次大戦後の1919年から第2次世界大戦が終わる1945年まで、日本の委任統治領とされた諸島である。 日本統治下のパラオには、日本の南洋庁、南洋興発会社、南洋拓殖会社などが置かれ、郵便業務も、日本の郵便局が日本の切手を使て行った。その当時の島の風景を、当時の日本切手とともに描いたのは、この4種のセットである。 30年近くわたった委任統治時代には、パラオ諸島にも日本の軍国主義が波及した。現地の住民は"日本人"として軍事教育を受け、太平洋戦争中のパラオは、日本軍と米軍とが衝突して激戦地となった。あの時代の惨事を二度と繰り返すことのないようにと警鐘を鳴らしながら、現在の日本との友好関係をこれからも続けていこうという意図で、この切手は発行されている。 それぞれの図案は、次のとおり・ ▷14セント ヌルシュレシュース山近郊を走る移動郵便局(自動車)と、5厘普通切手「朱印船」、マラガル局の消印。 ▷22セント アンガウルの燐鉱山に、鉄道70年記念切手、アンガルウ局風景印。 ▷33セント バドルシャウの石造遺跡とDC2型機、動機を描く風景印(パラオ局)に愛国切手。 ▷55セント コロール島のパラオ郵便局とUPU加盟50年切手。1938年用の年賀印。 #切手
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第2集「田一枚植えて立去る柳かな」③ 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
#切手 #初日カバー #FDC #マキシマムカード #奥の細道シリーズ
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第2集「田一枚植えて立去る柳かな」② 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
#切手 #初日カバー #FDC #マキシマムカード #奥の細道シリーズ
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第2集「田一枚植えて立去る柳かな」① 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
四月二十日(陽暦六月七日)、芭蕉たちは那須湯本を立って芦野の里(栃木県那須郡那須町)に赴いた。 『奥の細道』には、 又、清水流るるの柳は 芦野の里にありて、田の畔(くろ)に残る。 この所の、郡守戸部某の、 「この柳見せばや」など、 をりをりにのたまひ聞え給ふを、 いづくのほどにやと思ひしを、 今日この柳の陰にこそ立ちより待りつれ。 田一枚植えて立去る柳かな とある。 「清水流るるの柳」は、謡曲『遊行柳』で知られ、西行が「道の辺に清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだとされる柳。西行の歌は「道の傍に涼しげに清水の流れている柳があった。その陰でしばらく休もうと思ったが、あまりの心地よさについつい長くとどまってしまった」という意味だが『奥の細道』は前文に、その西行の歌の部分を記し、句でその次をつづけた。『奥の細道』執筆の際の作。西行の歌も、元来、こことは関係ない。 【句意】 今日、ほかならぬこの「清水流るるの柳」の陰に立ちより、そして、傍の田が一枚植え終わるまで休んだのち、再び、柳の陰を立ち去って歩みをつづけていくことだ。 季語・「田植え」(夏) 今も田の中にある温泉神社の鳥居前に植え継がれ、この句の碑も。西行歌碑や、後にここを訪れた蕪村も句碑などと共に建っている。車で傍までは行けず、那須町役場か芦野局の所から歩いていかなければならない。 #切手 #初日カバー #FDC #奥の細道シリーズ
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第2集「野を横に馬牽むけよほととぎす」③ 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
#切手 #初日カバー #FDC #マキシマムカード #奥の細道シリーズ
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第2集「野を横に馬牽むけよほととぎす」② 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
#切手 #初日カバー #FDC #マキシマムカード #奥の細道シリーズ
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第2集「野を横に馬牽むけよほととぎす」① 奥の細道シリーズ切手限定コレクション
四月三日(陽暦五月二十一日)に黒羽(栃木県那須郡黒羽町)に入った芭蕉一行は、ゆっくりと骨休めをしたあと、十六日(陽暦六月三日)の昼に馬で送られて。次の高久(那須郡那須町)へ向かった。 『奥の細道』には、 是より殺生石に行く。 館代より馬にて送られる。 この口付きのをのこ「短冊得させよ」と乞ふ。 やさしきことを望み侍るものかなと、 野を横に馬牽むけよほととぎす とある。 「館代」は城代家老の意味で、浄法寺図書高勝(俳号・秋鴉)という人物。「口付のをのこ」とは、馬の手綱を引いていく人。 旅中に作られた句かどうかは分からないが、元禄四年の撰集に出るので、『奥の細道』執筆より前には出来ていた句。 ほととぎすは、鳴きながら飛ぶもの。那須野は広々としたところで路も多くあるというのが、伝統的に歌に詠まれてきたことであった。その二つが、この句にはよくあらわされている。『奥の細道』本文の中に置いて詠むと、「口付のをのこ」が風雅な願いをしたのに対して、芭蕉が同じく、(馬上にあるため、那須野ゆかりの鎌倉武士を気取って)風雅な願いを命令口調で述べた体になる。 【句意】 広々とした那須野をほととぎすが鳴いて飛んでいった。口取りの者よ、しばし、ほととぎすの鳴いていった方向に馬の頭を向けよ。 季語・「ほととぎす」(夏) 黒羽局近くの常念寺に句碑がある。 吟詠地 栃木県・那須(那須町) #切手 #初日カバー #FDC #奥の細道シリーズ
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