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ボーイング747(飛行の歴史初日カバーコレクション)
1970年代の初めに巨大な"ジャンボ・ジェット"ボーイング747が就航した時には、その大きさのために幾つかの問題が生じました。それは、飛行中ではなく、地上に降りたときの問題だったのです。この世界最大のジェット旅客機は長さ約70メートル、三角翼の翼幅は約60メートル、垂直尾翼の高さは6階建てのビルほどにもなるため、空港での乗客の乗降に際して大変場所をとることになるのでした。 この怪物のような空港機を地上でうまく扱う技術においてパン・アメリカン・ワールド航空が先駆者となりました。5,000万ドルをつぎこんでニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に同航空のターミナル・ビルが建設され、1973年から使用が開始されました。今回の初日カバーのオリジナル彫刻画に描かれているのはそのすばらしい施設です。この超近代的なケネディ国際空港のパン・アメリカン・ターミナルはボーイング747が8機までつけることができ、自動化された乗降用のタラップは364名の乗客をわずか15分で搭乗させることができます。こうしたすばらしい設備をもつ空港ターミナルは、今日世界でもっともにぎわう空港のひととなっています。 シンガポール共和国で発行され、同国で発行初日の消印の押された10セントpypび35セントの切手には、超高速コンコルド・ジェット旅客機とボーイング747が、それぞれ描かれています。 #切手 #初日カバー #FDC
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The Officail Government First Day Cover Collection シンガポール
今回の政府公式ファースト・デー・カバーに貼付された切手はシンガポール共和国で発行されたもので、同国で新しく採用された4けたの数字を用いる郵便番号制度を記念しています。1979年7月1日から実施されたこの新制度は、郵便物をより速く正確に分類し、配達するためのものです。 郵便番号制が採用されるまで、郵便の配達は、1950年以来用いられてきた方法にしたがって行われていました。しかし1950年に1日平均約3万5千だった郵便物は、1970年までには50万近くに増加し、能率的な制度の採用がぜひとも必要になったのです。 シンガポール共和国は、マレー半島の先端にあります。面積581平方キロメートルの小さな国ですが、人口密度が高く、様々な人種や言語、異なる宗教に人々が住んでいます。人口の半分は21才未満で、3分の1は10才未満です。 シンガポールは1963年、マレーシア連邦に加わりましたが、1956年に脱退して独立国となりました。 ※1979年の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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ライト兄弟-1909年-(飛行の歴史初日カバーコレクション)
今回のファースト・デー・カバーのデザインは飛行史上重要な出来事のひとつがテーマとなっています。即ち人間を乗せる初の動力飛行機の共同開発者ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトの兄弟が揃って飛行しているところです。彼らが揃って飛んだのはこの時だけで、その歴史的飛行は1909年5月25日にオハイオ州デイトンで行われました。 カシェ封筒ににみられるのは、ヨーロッパで飛行のデモンストレーションを行い、大成功を収めアメリカへ戻ってきたばかりの兄弟が、ライト・フライヤー複葉機で飛んでいるところです。切手はライト機の平面、独面、および正面を図案化して描いたもので、シンガポール共和国で発行され初日消印が押されています。 ライト兄弟は1903年12月17日にノース・カロライナ州キティ・ホーク近くのキルデヴィル・ヒルで人類初の動力付き有人飛行に成功したのです。コインを投げて決めた先行者は、オーヴィルでしたが、ほんの12秒間滞空して飛行距離はわずか40メートルでした。最初の飛行に成功した名誉はオーヴィルでしたが、ウィルバーはほとんど1分近くの滞空で約250メートルを飛ぶことに成功しました。しかしこの歴史的な偉業もはじめはほとんど一般の関心をひかず、飛行の時代の幕開けとなったこの飛行を見守っていたのは、兄弟以外には5人だけでした。 #切手 #初日カバー #FDC
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