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イラン/「ホメイニ師追悼」1989.7【World Topics Stamp Collection】
『ホメイニ師の肖像が切手に初登場』 イランの最高指導者ホメイニ師の死去が発表されてから一夜が明けた、1989年6月5日、同師の遺体は追悼集会の会場であるテヘラン市内北部のサモラ広場に移された。遺体はガラスの棺に納められ、さらに大きなガラスケースで覆われ、高さ10㍍以上のやぐらの上に安置された。最後の別れを告げるため、広場には100万人以上の市民が早朝から押し寄せ、ガラスケースに眠るホメイニ師を遠くから仰いでは涙を流していた。なかには、自分の頭や胸をかきむしりながら、「もう、お会いできないのか」と声をあげて泣く女性の姿もあった。40度近い炎天下、悲しみと興奮のため失神する人も相次いだというニュースは記憶に新しい。 そんな市民の嘆きと思慕をこめ、死後間もなく、ホメイニ師の肖像を図案にした上の切手が発行された。国の指導者や文化人が切手の図案に描かれるのは、よくあることだが、イランの場合、ホメイニ師がイランを指導していた10年間、切手や紙幣に自分の写真や肖像画を使うことを一切禁じていたため、師がイラン切手に登場するのは今回が初めてだ。 ホメイニ師は、1979年2月、パーレビ国王体制を倒し、絶対的な指導者としてイスラム教シーア派革命を指揮し、宗教と政治を一本化する特異な体制を現代史の一角に築いた。いわば彼は、イランという国の枠を超えた「イスラム教徒の指導者」であり、上の切手にペルシア語で英語で書かれている「高貴なるイスラム世界の指導者ホメイニ師を悼んで-神の祝福あれ」という言葉には、師の魂がアラーの神の御元に帰り、安らかに眠りについてほしいというイスラム教徒の願いが込められている。 ※1989年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 イラン・イスラム共和国 1989年お気に入り切手ミュージアム
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イラン/米軍のイラン航空機撃破 1988.8.11【World Topics Stamp Collection】
『旅客機へのミサイル攻撃を非難』 ペルシア湾上空でイラン航空機のエアバスA300旅客機が、1988年7月3日、米イージス艦ビンセンスの発射したミサイル2発に撃墜され、乗員・乗客合わせて298人全員が死亡した。事件後1ヵ月余りたった8月11日、イランは、この民間機攻撃を非難する切手を発行。図案は、米軍艦から旅客機へのミサイル発射を、ペルシア湾付近の地図と、燃え上がる炎とともに描いたもので、その左に「イラン航空機への悲惨な米ミサイル攻撃」の説明が入っている。 イランでは1984年10月31日にも、国連安全保障理事会で拒否権を持つ5大国(常任理事国)を非難する図案の「国連デー」切手を、つづいて11月5日に、人質になった米国大使館員と燃える星条旗を描いた「米国大使館占領4周年記念」切手を発行するなど、切手の上で外国批判を行っている。万国郵便連合は、同年6月のハンブルグ大会議で加盟各国に、郵便切手のテーマやデザインが、"個人または国家を攻撃する性格を有しない"ように勧告していた。 この撃墜事件は、正式な交戦国ではない米国の最新鋭の艦船が、民間機を誤って撃ちおとしたという前代未聞の大惨事で、一時はイラン・イラク戦争の終結にも影響を及ぼすのではないかと危惧された。米側は、事件当初「イラン機が航路を外れ警告も無視した」と正当防衛を主張していたが、8月に入って「乗組員のミスが原因」と、誤射であることを認め、犠牲者の遺族に対して補償を行うことも発表している。しかし、過失責任などの問題は依然として未解決のままである。 ※1988年当初の説明です。 #切手
切手 郵趣サービス社 イラン・イスラム共和国 1988年お気に入り切手ミュージアム