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アメリカ合衆国/アメリカ・シリーズ 1989.10.12【World Topics Stamp Collection】
『新大陸発見以前のインディアン文化を紹介』 コロンブスが、地球の球形を信じて航海に発ち、原パナマ諸島に上陸したのは、1492年10月12日のこと。いわゆる「新大陸発見」の歴史的な日であった。この新大陸発見から500年を迎える1992年に向けて、これを記念する切手が早くも続々と登場している。そんななか、米国とスペイン、それに中南米の22ヵ国が、順次シリーズで記念切手を発行することを決めた。これらの国は、いずれも「アメリカ・スペイン郵便連合」(PUAS)に加盟する国で、シリーズにはPUASマークが入れられる。シリーズ名は。ずばり「アメリカ・シリーズ」、その第1弾として発行されたのが、上のアメリカ合衆国の切手だ。 このシリーズでは、コロンブスの新大陸発見以前の原住民の伝統文化や風俗が紹介されるが、米国といえば、先住民族はインディアン。上の切手の図案は、▷25㌣=ホピ族の儀式用カチナ人形(西暦1150-1350年)、▷45㌣=カナル族の木彫りのネコ「キーマルコ・キャット」(西暦700-1450年)だ。米国インディアンは、ヨーロッパ人が新大陸に上陸して以来、長い間迫害をうけ、19世紀末までにことごとく制圧され、多くは死亡し、残りは政府の設けた指定地に移され、厳重な統制下におかれた。その基本方針は、インディアンの「野蛮な風習と宗教」を撲滅し、代わりに白人の文明を強要しようとするものであった。しかし、第一次大戦後は、ニューディール政策の一環としてインディアンに対する方針が大幅に改善され、現在ではインディアンの完全自治権が認められている。それを反映するかのように、今回の切手には、米国南西地方のインディアンの工芸品が描かれ、独自のインディアン文う見直している。 ※1989年当初の説明です。 #切手
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アメリカ合衆国/古代生物 1989.10.1【World Topics Stamp Collection】
『ジュニア層の拡大をめざして』 これまでアメリカ合衆国では、トピカル図案の田型切手がよく発行されてきたが、今回の田型切手は、従来よりもひと回り大型サイズで、これまでの、イヌ、ウマ、カモ、ネコなどの身近な動物から、一挙に「古代生物」へと飛躍している。その古代生物の代名詞「恐竜」は、地質時代の中生代(2億2500万年前から6500万年前)に地球上に栄えた爬虫類であるが、遠い昔に遡る「未知」と「冒険」をかきたてる動物として、いつの時代にあっても世界中の子供たちの人気の的。今回の切手は、そのへんのことを意識して発行されている。 したがって、この切手のターゲットには、ジュニア層もかなり含まれているとみていい。近年、日本はもとより、アメリカ合衆国でも、ジュニアの収集家人口は減少の一途をたどり深刻化しているが、そのした状況のなかでも、ジュニアに対する配慮を忘れないという態度は、郵趣の普及のためには大切なこと。合衆国では、この11月に《World Stamp Expo 89》が開かれるが、この切手展でもジュニアの郵趣に力を注いでおり、会場内には「ユース・エリア」が設けられ、上の恐竜切手の発行に合わせて、先史時代の動物にテーマを合わせた展示が行われえる。切手の図案はいずれも北アメリカに生息していた恐竜である。 ▷左上 ティラノザウルス=大きな頭と鋭い歯をもつ最大の肉食恐竜(白亜紀) ▷右上 テラノドン=長く後ろに伸びた頭骨をもつ巨大な翼竜(白亜紀) ▷左下 ステゴザウルス=スパイクのようなトゲをもつ草食恐竜(ジェラ紀) ▷右下 ブロントサウルス=沼沢地や湿地に棲む大型の草食恐竜(ジェラ紀) ※1989年当初の説明です。 #切手
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アメリカ/1971 野生動物保護【Wild Animals of the World Stamp Collection】
【アメリカ】 日本の25倍もの広大な国土には森林、草原、山岳、湖、砂漠がひろがり、寒帯から熱帯のさまざまな動物がいる、アラスカや北部の針葉樹林にはアジアやヨーロッパと共通の動物が見られるが、それ以南には独特の種類が多い。中央の大草原には、かつてパイソンやプログホーンが大群をなしていた。それらを狩りたて、減少させた反省から、アメリカでは動物保護たかまった。今回配布のセットも、その目的で発行された。 ●ニジマス(サケ科) 現在は養殖され、世界中の温帯地域で見られるが、もともとはカリフォルニア州の渓流だけにすんでいた。名前にもとになった体のきれいな虹色の帯は体長15cmから現れる。成魚は30~40cmになる。日本には明治10年にはじめて移入された。 ●ミシシッピーワニ(アリゲータ科) アメリカの東南部の川や沼にすむ。このなかまは他には中国のヨウスコウワニがいるだけ。多くのワニと違って、目の前のたてすじがなく、キバ状に口の外に突き出した歯もない。子には黄色のしまがある。全長4.5mになる。 ●ホッキョクグマ(クマ科) 北極の周辺に分布し、アメリカ合衆国ではアラスカ州に見られる。ヒグマと並ぶ世界最大の陸上肉食動物で、重さは400キロ以上になる。氷上で生活し、アザラシを主に捕食するが、夏は果実や根も食べる。数が少なく国際保護動物。 ●カリドルニアコンドル(コンドル科) ロサンゼルスの海岸近くの産地に60羽ほどしかいない国際保護鳥。羽を広げると3mもある北アメリカ最大の鳥で、かるては西武の草原や森に多かったが、そこが畑や果樹園になり、射殺や毒殺され、減少したしまった。 #切手
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アメリカ合衆国/「月面着陸20年」1989.7.20【World Topics Stamp Collection】
『宇宙開発の意義のある「第1歩」』 米ソの宇宙開発競争は、ソ連リードのうちに始まった。1961年4月に打ち上げた「ボストーク1号」で、ユリ・ガガーリン空軍少佐は、1時間48分かけて地球一周に成功した。これが人類初の宇宙飛行であった。これに対してアメリカは後れをとったが、国威の発揚と優れた技術力の周知のため、1960年代の終わりごろまでに、月面に人類を着陸させようという有人宇宙飛行を計画。67年12月の試験・訓練衛星の初打ちあげに始まり、弾道地球周回、月周回飛行を経て、月の《静かの海》に着陸した。当時の、アームストロング船長の「ひとりの人間の小さな一歩も、人類にとっては大きな一歩である・・・」という言葉に、すべてが象徴されるような、歴史的な快挙であった。 それからちょうど20年目にあたる今年、月への第一歩を記念して発行されたものが上の切手だ。図案は、月に降りたった二人の宇宙飛行士を描くシンプルなものだが、図案を迫力あるものにするため、サイズは「速達切手」と同じく大型で、しかも、額面はアメリカ国内ならどこでも2~3日で配達されるという「プライオリティ・メール(最優先郵便)」に使われる2.40㌦だ。 現在、各国の科学技術は「宇宙」を目指し、各種の実用衛星や探査機が相次いで打ち上げられている。そして、切手に描かれた月着陸からたった20年で、宇宙開発は大きく進歩し、地球は新しい「宇宙時代」を迎えつつある。 ※1989年当初の説明です。 #切手
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ニュージャージー州「アメリカ50州切手コレクション」
■切手 ①1976. 2.23 発行「ニュージャージー州旗」 ②1982. 4.14 発行 州の鳥・花「オオゴンヒワとスミレ」 ③1987. 6.13 発行 州の動物「アカフウキンチョウ」 ④1987. 9.11 発行「清教徒の農民」 ■イラスト 「プリンストンの街」 この州はイギリスから独立した「最初の13州」の中で小州の一つである。面積から言えば50州中46番目の小ささで、ガーデン・ステート(庭園の州)というあだ名もある。 なるほど、州北西部アパラチア山脈山麓と大西洋岸の自然は大変美しい。野菜の他、桃、りんごの小規模経営が盛んで、特にこの州の野菜はニューヨークなど大都市の市場で評価がいい。州を南北に走るガーデンステート・ハイウエイに車を乗り入れると、まるで緑濃い公園の中をドライブしているような錯覚さえする。 その一方、この州の幹線道路、ニュージャージー・ターンパイクはいつも混みあい、周辺にあまりきれいでない工場が続く。それは化学工業を中心として各種工業が集中していると同時に、北東のニューヨーク、南西のフィラデルフィアという大都市に接し、この州の相当部分がこれら2大都市に含まれているからである。 この州を代表する場所といえば、そらく次の2箇所であろう。その一つは大西洋岸の観光地、アトランティック・シティ。ここにはかつて海岸沿いに壮大な19世紀風のホテルが立ち並び、板敷きの遊歩道とあいまってそれなりに品格のある雰囲気でがあった。しかし大不況の時代から1970年代にかけて次第に観光地としては落ちめになった。ところが1976年カジノ賭博が合法化されると数年でアメリカ最大のギャンブルの町になったのである。現在町の雰囲気は残念ながらけっして上品とはいえないものになってしまっている。 これと対照的に静かで知的な雰囲気を持つのが、州中央部にある大学町、プリンストンである。この町の中心。プリンストン大学は、教授と学生の比率、大学院教育の質の高さではアメリカで群を抜いている。この町にはかつてアインシュタインが研究を続けた高等研究所もある。プリンストンは、大学関係者でけでなく、新聞、銀行、出版、広告関係者など、多くの知識人が住み、ここからニューヨークまで汽車を利用して通勤していることでも有名である。 #切手
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アメリカ/1987年10月1日発行 切手収集月間(アメリカの初期の機関車-2)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『2軸ボギー先台車の登場-<ブラザ・ジョナサン>と<ゴーワン・マークス>』 ヨーロッパ各国の初期の鉄道建設は、ほとんどすべて2つの都市の間を連結するというやりかたであったが、アメリカではこれと違って、大西洋岸の港湾都市から西へ向かって進め、平坦な路盤を作るとまず枕木とレールを並べて、1kmでも先へ路線を延ばしていく方法をとった。そのため出来上がった路線は軟弱で急カーブも多く、列車は横揺れと上下の振動で、いつも脱線の危険にさらされていた。 ニューヨークのウエスト・ポイント機械工場では、1832年、この路線の不良による列車の上下左右の振動を防止する方法として、2軸ボギー先台車を考案し、早速モホーク・ハドソン鉄道注文の機関車<ブラザ・ジョナサン>にこの新方式を適用した。2軸ボギー先台車はバネ装置で上下の振動を吸収し、台車はピボット構造で機関車本体に連結されているので、左右の廻転が出来、車両の横揺れが吸収できるわけである。結果は大成功で、アメリカでそれまでにない96km/hもの猛スピードを出したと言われている。続いて1839年には、イーストウィック・ハリソン社で、フィラデルフィア・レディング鉄道の貨物列車用として、列車重量の増大とスピードアップの要請にこたえて、4-4-0形の機関車を製作し、出資銀行の名をとって<ゴーワン・マークス>と名付けた。比較的に平坦な線区ではあったが、1840年には総重量423トンの貨物列車の運転に成功した。 4-4-0の車両配列はアメリカの鉄道の条件に大変よくマッチして大評判となり、各鉄道ではこぞってこれを採用したので、19世紀後半の50年間にアメリカで製造された機関車の85%を占め<アメリカン形>と愛称されるようになった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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アメリカ/1987年10月1日発行 切手収集月間(アメリカの初期の機関車-1)【STEAM LOCOMOTIVE STAMPS OF THE WORLD】
『サウスカロライナ鉄道の最初の機関車<チャールストンの親友>』 1830年、チャールストン・ハンバーグ鉄道(後にサウスカロライナ鉄道と改称)の注文で、ニューヨークのウェスト・ポイント機械工場が製作した0-4-0機関車。 試運転では、50人の乗客を乗せた客車5両を牽引し、速度33km/hで走って上々の成績を示した。12月25日の開通式には開通列車を牽引した。 たて形のボイラと2軸の同動輪、内側2シリンダの構造は当時の鉄道の先進国イギリスの機関車に比べても、いささか遜色のないものであった。 この鉄道はその後急ピッチで路線の建設を進め、1833年にはチャールストーン~ハンバーグ間218kmを完成し、当時の連続延長最大の鉄道となった。 しかしながら、この1号機関車<チャールストーンの親友>は、この年の6月17日、本線列車を牽引して走行中に、ボイラーの安全弁から蒸気の洩れる音を気にした機関助士が、安全弁を紐でしばりあげたため、ボイラーんの圧力が異常に上昇しても安全弁が作動せず、ついに列車運転中にボイラ爆発の大惨事を起こしてしまった。 ※発行当時の説明です。 #切手
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1986年アメリカ大統領切手(第16代大統領 アブラハム・リンカーン)初日カバーコレクション
「87年前、我々の父達はこの大陸に新国家を誕生させた・・・・・・現在我々は大きな内戦にかかわっており、愛する国が耐えられるか試されている。我々はこの地を祖国に身命を賭した者たちに安息の地として捧げるために訪れた。しかし厳密には捧げるということなどできず、我々にできるのはこの国に新たに自由を誕生させることである。人民の、人民による、人民のための政府は地上から消え去ることはない。」 (1863年 ゲティスバーグ演説より) 背のひょろ高いリンカーンはこの政治の頂点へ障害をのりこえ到達したのである。数年前、彼が議席を失ってから政治を見捨てていたが、彼が政治への情熱を再熱させたのはダグラス上院議員と奴隷制支持を内容とするカンサス・ネブラスカ法案である。彼が大統領に就任した時、奴隷制度は極度に悪化しており、南北戦争となった。この間、彼は6つの部隊の将軍となった。悲劇的なことに南軍をアポトックスで破って5日後暗殺された。 1986年当初の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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野球(アメリカ)「世界のスポーツ切手コレクション」
野球はアメリカの代表的なスポーツではあるが、あるフランスの哲学者はこのゲームを「アメリカ人の精神」を理解する鍵であると評しました。辛辣な皮肉家の言葉を借りれば、野球はできる人々が行ない、できない人々は見物する(つまり万民が参加する)ためのゲームであるということです。今日では他のスポーツにもまして野球はアメリカ文化と切り離せない関係にあり、多くの人にとっては娯楽の領域を超えた生活の一部とさえなっています。 この3セントの切手は野球100年祭を記念して1939年6月12日に発行されたもので、図柄は、典型的な草野球を楽しむ少年たちの情景を描写したものです。プレゼンテーション・カードのオリジナラル絵画は1塁上でのクロスプレーの興奮の一瞬を描いたもので、バントしたボールが送球されるよりいち速く走者が塁に駆けこむ瞬間です。 一説によれば野球は1839年の夏にニューヨーク州のクーパーズタウンでアブナー・ダブルデイによって始められ、発展したといわれてます。彼は当時ウエストポイントの陸軍士官学校の士官候補生でしたが、のちに南北戦争で名を馳せた人物です。実際フォートサムターでの北軍進撃の口火を切ったのは彼であったと今日でも広く信じられています。 しかし野球の発展に関するダブルデイの功績については明確な記録gはあるわけではなく、むしろイギリスに古くからあったラウンダーという球技がしだいに発展していったのではないかとも考えられます。1845年にニューヨーク市の製図技師アレクサンダー・カートライトによりこのゲームのルールが更に整備されました。それにより彼は今日では野球のルールを組織化すことに貢献した人物として讃えられています。 ※1980年当初の説明です。 #切手
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1986年アメリカ大統領切手(第15代大統領 ジェームス・ブカナン) 初日カバーコレクション
「北部諸州の政治的強みが我が国全体にとっていくら優れたものであっても、南部同盟支持者15名の身の安全が確かなものにならない限りは、すべて無に帰ってします。これら諸州すべての家庭の平和が侵害されるなら、北部諸州から彼らにもとらす政治的利益を彼らに詳しく説明するのは無駄なことである。自衛本能は第一の本能であり、剣が人々の頭上にぶらさがっているような社会は耐えがたいものである。」 (1859年 第3回年次教書より) ジェームス・ブカナンは過去3回、政党の大統領補佐官に選ばれたにもかかわらず、1856年に指名されたとき、任期中に内戦が起こることを怖れ、ためらった。彼の判断は正しかった。彼は外交の経験から、和解は最大の解決法であると知っていた。しかし奴隷問題が内戦をもたらすような状況になるとブカナンの和解姿勢はかえって紛争の火種をあおっているようなものであった。1860年までに状況は彼の手に負えなくなり再選をあきらめた。 1986年当初の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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アメリカ/メリーゴーラウンド 1988.10.1【World Topics Stamp Collection】
『手掘りの木馬が色鮮やかに蘇る』 動物園ならび、子供たちの夢を育てるプレイランド・遊園地。最近はコークスクリュー、ループなど"絶叫マシン"と呼ばれる機種がつぎつぎと開発され、人気を集めているが、いつの時代も、かわらない人気があり、遊園地には欠かせないものといえば、観覧車と木馬。この4種の田型連印切手には、民芸品としての木彫りの回転木馬(▷左上:シカ、▷右上:ウマ、▷左下:ラクダ、▷右下:ヤギ)が描かれ、木彫りの緻密な細工と鮮やかな彩りを再現している。 一般に使われる<メリーゴーラウンド>の名称はイギリスの呼び方で、アメリカでは<カルーセル(carrousel)>と呼ばれている。カルーセルは、イタリアやフランスで、17世紀にはやった馬上試合のことだが、その際、馬に派手な武具をつけていたので、回転木馬にもそれに似た装飾をほどこし、カルーセルと名付けたらしい。18世紀初頭には、フランスの玩具商が回転台の上に木馬を乗せ、人力または馬力で台をゆっくり動かすという見世物をはじめ、その後、イギリスのフレデリック・サベッジ(1828-1897)が蒸気機関によって円盤を回転させ、クランクで木馬を上下させる装置を開発した。20世紀初頭のドイツが回転木馬の黄金時代と言われ、1907年に制作された<エル・ドラド>は、当時の技術と芸術の結晶と称えらたほどの優美なもので、アメリカを経て、現在は東京・練馬区の豊島園で楽しまれている。日本に初登場したのは1903年、大阪の第5回内国勧業博覧会で、メリーゴーランドを「快回機」と訳していたという。 ※1988年当初の説明です。 #切手
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アメリカ合衆国/E切手 1988.3.22【World Topics Stamp Collection】
『新料金決定の前に印刷される額面のない切手』 4月3日の郵便料金値上げに備えて発行されたのが、この"E切手"である。 米国では、「郵便料金委員会(Postal Rate Commission)」という、郵便公社(U.S.Postal Service)とは別の機関が、郵便料金の値上げを決定する。委員会は、事業主体である郵政公社と対等の地位にあり、利用者の立場での"監視機関"ともいうべき、こうした組織が設けられておるのは、さすがに民主主義の国と言えよう。 郵便事業の運営上、料金改正が必要になっても、郵政公社の希望どおりにはならなず、委員会の決定まで待たないと、新料金額面の切手は印刷・発行できない。しかし、料金値上げが決まってから切手を作ったのでは、発行に間に合わず、切手が出来上がるまで料金値上げを遅らせたのでは、事業収入が減る。 そこで、額面の数字に代えて、アルファベットを入れ、正式な料金改正を待たずに使う方法が考えられた。その最初の"A切手"は1978年、そして1981年には二度の値上げで"B切手"、"C切手"、1985年に"D切手"が発行されてきた。これらの図案は、いずれも、アメリカの国鳥ハクトウワシを描いた単色刷りだったが、今回(E切手)は、グラビア多色刷りの「地球」の図案に変更された。頭文字が"E"で"Earth(地球)"というわけだが、次回の値上げ切手の"F切手"のときは、くれぐれも"Failure(失敗)"にならないように・・・・。 ※1988年当初の説明です。 #切手
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アメリカ合衆国/ネコ 1988.02.05【World Topics Stamp Collection】
『アメリカの「ネコ」ブームで切手にも「ネコ」が登場』 2月5日、ニューヨーク・ブロードウェイのウィンター・ガーデン・シアターで、「ネコ」切手の発行記念式典を郵政公社が開いた。ウィンター・ガーデン・シアターでは、人気ミュージカル「キャッツ」が上演中だった。この舞台が、公式式典の会場として選ばれたのである。 日本でも、大変話題になった「キャッツ」だが、このミュージカルが火付け役となって、アメリカでは「ネコ」ブームが起こり、猫が「人間最良の友」として可愛がられている。「ネコ」切手は。こうしたブームの勢いにのって発行された。世界各国から、「ネコ」切手が発行されているが、アメリカでは今回が初めてで、1984年の「イヌ」、1985年の「ウマ」に続いて、3回目の動物を描いた田型シリーズである。 22セント切手4種の図案は次のとおり。 ▷左上: 外国原産の短毛種と、スリムなボディーに、灰褐色の毛色と澄んだブルーの目が特徴の、タイ原産シャムネコ。 ▷右上: 古代エジプトのネコによく似ている、エチオピア原産の短毛種アビシニアンと、終える社ネコとシャムネコを交配して作出された新品種ヒマラヤン。 ▷左下: 原産地不明のアンゴラと。ブルーの虹彩や淡いクリーム色の体毛が特徴のビルマ。 ▷右下: NTTのテレビコマーシャルで日本でも有名になった。アメリカンショートヘアー(アメリカ原産、短毛種)と、頑丈な体つきのペルシャネコ。 #切手
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1986年アメリカ大統領切手(第14代大統領 フランクリン・ピアース) 初日カバーコレクション
「我が偉大な合衆国政府における権力集中の危険性は見過ごすにはあまりにも明白である。あなた方は、故に、すべての役人に合衆国憲法によって彼らに課された制限を尊守することを求める権利を有する。憲法の目的は、州と連邦政府間の適切な権力の配分にかかっている。経験も示しているが。国家と個人のそれぞれの権利と責任の厳正な区別に、我々国民の調和ち幸福がかかっているのである。」 (1853年 就任演説より) フランクリン・ピアースは1850年代の束の間の平穏な時期に就任した。ペリーが日本を開港させたのは彼の任期中だったが、彼の任期の大部分は業績がないことで有名であった。例えば、ニカラグアに対し砲艦外交を行い、危うく戦争をおこしそうになったり、キューバをめぐってスペインを威嚇したものの拒絶されるとあっさりと引き下がったりした。北部の人々にとって彼は常に南部よりであり、民主党は、任期終了後に彼を再選しなかった。 1986年当初の説明です。 #切手 #初日カバー #FDC
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ペンシルバニア州「アメリカ50州切手コレクション」
■切手 ①1976. 2.23 発行「ペンシルバニア州旗」 ②1987. 6.13 発行 州の動物「オジロジカ」 ③1982. 4.14 発行 州の鳥・花「エリマキライチョウとカルミア(アメリカシャクナゲ)」 ④1987. 8.27 発行「フィラデルフィアの独立記念館」 ■イラスト 「フィラデルフィアの独立記念館」 ペンシルベニア州は、マサチューセッツ、ニューヨーク、バージニアなどの州と並び、アメリカ史の宝庫である。州名は「ペンの森」を意味し、この植民地を建設したクエーカーのウイリアム・ペンに由来する。そのペンから始まり、ベンジャミン・フランクリン、独立宣言、自由の鐘、大陸会議、憲法制定会議、南北戦争時のゲティスバーグの戦い等、この州にまつわる歴史的人物、事件、史跡は枚挙にいとまがない。 1979年3月28日この州で世界を驚かせた大事件がおこった。スリー・マイル島の発電用原子炉が故障し、放射能に汚染された水とガスが流出したのである。この事件は、地元のペンシルバニア州には特別の意味を持っていた。鉄鋼、石炭、レイルを中心に繁栄していた州の産業は、1920年代、30年代、そして第二次世界大戦後と下降ぎみだったが、この事件がそれに追いうちをかけるような形になったのである。 フィラデルフィアは歴史的、文化的にいぜんとして重要な大都市であるが、独立当時アメリカの政治、経済、文化の中心だったこの都市は、連邦政治をワシントンに、州政治をハリスバーグに、経済、文化をニューヨークに奪われて、その影は薄くなっている。その反面住民の団結力は強く、地元プロ野球フィリーズを熱狂的に応援し、映画「ロッキー」がここで撮影されると有頂天になる。 1970年代後半に入って州政府と地域社会は、先端産業育成と社会資本の投入によって州の再生に努力しているが、その成功例とみなされているのが、鉄の町、ピッツバーグである。アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流してオハイオ川になる地点に発達したこの都会は、USスティール会社を核とする鉄鋼の町として栄えたが、第二次世界大戦後は日本など外国鉄鋼会社に押されて衰退の一途をたどっていた。しかし先端産業の育成と教育・文化の振興という再生策がようやく実り、最近はあらゆる要素を統合しての「暮らし易さの順位」では、全米一位の都市にランクされている。ついでだが第二位はボストン、第三位はノースカロライナ州のローレイ、ダラム、チャペルヒル地域である。 #切手
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