ブラジル/日本人のブラジル移住80年 1988.6.18【World Topics Stamp Collection】

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『未知の異国に貢献した日本人移民』

 1908年(明治41)6月、日本初のブラジル移住者を乗せた「笠戸丸」が、サントス港に到着した。781人(165家族)に及ぶ日本人移民は、ブラジルのサン・パウロ州政府に認められた、コーヒー園の契約労働者であった。彼らは、サン・パウロ州のコーヒー園で、文化・気候・言語の障害を乗り越えて働いた。そのブラジル移住から80年を迎えた今年、ブラジルから記念切手が発行された。日本からは、1958年6月に、「笠戸丸」と南米地図を描いた「ブラジル移住50年」記念切手が発行されているが、今回のブラジル切手も、やはり日本人とともに「笠戸丸」を描くもの。

 アメリカへの移民も行われていたが、<移民法>の制定で、同国への移民が制限されるようになたのをきっかけに、ブラジルへの移民を増加を続けた。最盛期の昭和初期には。毎年1~2万人が移住し、1941年(昭和16)までに、日本人のブラジル移民は19万人に達した。第2次世界大戦中、移住は中断されたが、戦後再開され、毎年、5,000~6,000人の移民を記録した。

 かくして、すっかりブラジルに定着した日本人は、特に農業面での貢献が大きく、コショウ、ラミーアサ、チャなどは、いまや80%以上が日系人によって作られ、ジャガイモ、トマト、カボチャ、ニンジン、キュウリ、エンドウマメ、ラッカセイなどの野菜、カキ、スイカ、メロン、イチゴなどの果物栽培、鶏卵の生産も、その大半が日系人により行われている。また最近は、農業移住にかわり、日本の技術指導者を送る工業技術者移住も盛んになている。

※1988年当初の説明です。

#切手

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