(C912-913)近代美術シリーズ 第12集 初日カバーコレクション

0

発行日 1982.2.25

 「洞窟の頼朝」は前田青邨(1885~1977)の、昭和45年の作品で彼の代表作であり、二枚折の屏風に描かれている。青邨は日本がの大家で、昭和30年には文化勲章を受賞した。
 「テラスの広告」は佐伯祐三(1898~1928)の、昭和2年の作品である。彼は、フランスでブラマンクの指導を受け、帰国後、二科会展に滞欧作品を出品し、二科賞をを受賞した。

※1982年当初の説明です。

額面・種類 
  60円 2種
図案    
  ①洞窟の頼朝
  ②テラスの広告
原画構成者  
  ①②菊池 吉晃
版式・刷印 
  ①グラビア4色 凹版1色
  ②グラビア5色
印面寸法  
  ①②よこ48×たて30ミリのたて型
シート   
  ①②よこ4×たて5=20面構成
発行数   
  ①②2,700万枚

#切手
#初日カバー
#FDC
#近代美術シリーズ

■前田青邨肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/202

■佐伯祐三肖像画カバー
https://muuseo.com/stamp_collection/items/195

前田青邨 ≪洞窟の頼朝≫(1929年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
前田青邨  明治18年(1885)1月27日、岐阜県中津川市に生まれる。本名廉造。明治34年上京し、尾崎紅葉の紹介で梶田半吉の門に入る。ここで小林古径を知り、生涯行動を共にした。はじめ日本絵画協会、国画玉成会、文展などに出品。また古径と共に、今村紫紅や安田靫彦らが組織していた紅児会に入会して勉強をつづけた。大正3年再興された院展に参加して第1回展に「竹取物語」「湯治場」を出品、展覧会期中に同人に推sれる。依頼院展を中心に活躍し、「京都所八題」(大正5年)、「西遊記」(昭和2年)、「洞窟の頼朝」(昭和4年)、「罌粟」(昭和5年)、「大同石仏」(昭和13年)、「風神雷神」(昭和24年)、「Y氏像」(昭和26年)など、歴史画、風景画、風俗画、肖像画、静物画のあらゆる分野にわたって、つぎつぎに秀作を発表した。再興日本美術院の中心的存在というだけでなく、近代の日本画を代表する画家の一人であり、その作品は東洋や西洋の古典の研究に裏づけられている。帝国美術院、日本芸術院会員、帝室技芸員、東京芸術大学教授などをつとめ、昭和30年文化勲章を受けた。昭和52年10月27日に歿した。 #近代美術シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/202
佐伯祐三≪テラスの広告≫(1927年) 「近代美術シリーズ初日カバー」
佐伯雄三  明治31年(1898)4月28日、大阪に生まれる。大正4年17歳ごろから油絵に興味をもち、大阪で赤松麟作の洋画塾に入ってデッサンを習う。大正6年上京して川端画学校に通い、翌7年東京美術学校西洋画科に入学、藤島武二に師事する。大正12年東京美術大学卒業後、家族を伴ってフランスに留学、ヴラマンクの影響を受けて、作風はしだいにフォービズムの様式に向かった。大正15年帰国。里美勝造や前田寛二らと1930年協会を結成し、新しい時代の絵画を目指したが、日本の風景を描くことに悩み、再びフランスへ渡る決意を固める。昭和2年シベリヤ経由でパリに入り、憑かれたようにパリの街や郊外風景を描き、短期間のうちにカフェ・レストランやモラン風景の優れた連作を残したが、3年4月に喀血し、さらに6月には精神異常の兆候も表れ、パリ郊外の精神病院に入院し、同年8月16日病院で歿した。画家として活躍したのはわずか5年間であり。30歳の若さで歿したが、画家自身の生命を燃焼させたかのような激しい描線と色彩による表現は今なお人々に感動を与える。 #近代美術シリーズ #切手 #初日カバー #FDC
https://muuseo.com/stamp_collection/items/195

Default