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河井継之助最後の賭け
慶応4年(1868年)、薩摩・長州藩を中心とした新政府軍は、京都での鳥羽・伏見の戦いに勝利し、その勢いを駆って、未だ旧幕府に加担する会津藩討伐と東北地方の平定のために、東海道、東山道、北陸道に分かれて進軍していた。それに対し長岡藩は河井継之助を中心として新政府軍の前に立ち塞がる。こうして、戊辰戦争を通じて最大の激戦となる、北越戦争が始まった…。 「河井継之助最後の賭け」は、60ユニットで遊べ、60分でプレイできる60シリーズの第四弾としてデザインされ、戊辰戦争で最大の激戦だった北越戦争をテーマとしたシミュレーションです。ゲームは、長岡藩河井継之助と新政府軍岩村精一郎が停戦を検討した小千谷談判が決裂し、長岡藩と新政府軍との戦闘が不可避になった所からスタートします。新政府軍の目的は、長岡城を落とし、会津方面への進路を確保すること。長岡藩の目的は、この新政府軍の侵攻を阻止して、その進軍をできるだけ遅らせることです。新政府軍は大兵力ですが、進軍路の真ん中が信濃川によって分断されており、兵力の分散は免れません。一方、迎え撃つ長岡藩は、精鋭部隊ですが兵数が圧倒的に少ないという、両者弱点を抱えながらの戦いになります。果たして、史実通り長岡藩は圧倒的戦力差により膝を屈するのでしょうか?それとも…。 #北越戦争 #河井継之助
ルール(4P) ユニット60個 マップ1枚 1本 60シリーズ第四弾 作戦級ちょこ大佐
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HOUGOUMONT ウーグモン館攻防戦
フランスの英雄ナポレオンが失墜したワーテルローの戦いの始まりは、ワーテルローの丘ではなく、誰もが想像さえもしていなかったちっぽけな館、ウーグモンだった…。 ウーグモンの館とその周辺の果樹園には、少数のイギリス軍歩兵が守っているだけだったが、ナポレオンはイギリス軍の予備兵力を誘引し、削り取るための陽動作戦としてこのちっぽけな館にフランス兵を突撃させた。しかし、予想以上の頑強な抵抗を受け、次々にフランス兵を投入する羽目になり、逆に貴重な戦力を消費してしまっていた。ウーグモンの攻防はその日の午後一杯続き、周辺はフランス兵軽歩兵によって幾重にも包囲され、連携した攻撃が館内部に連続して行われた。それでも館内部に籠っていたイギリス兵は抵抗を続け、結局ナポレオンはこの狭い領域に33個大隊、合計14,000人もの兵士をつぎ込むことになってしまった。これに対しイギリス軍も援軍を送り続け、こちらも何と12,000人もの援軍を送っていた。結局、ウーグモンは最後まで陥落しなかった…。 ワーテルローの戦いに勝利したイギリス軍指揮官ウェリントン公爵は、戦闘後、『会戦の勝利は、ウーグモンの門を閉じ続けていたことだった。』と述べている。 「ウーグモン館攻防戦」は、ナポレオン最後の戦い、ワーテルローの戦いにおけるウーグモン館の攻防戦をシミュレートした戦術級ゲームです。会戦に先立つ2時間の戦闘を再現しています。午前11時30分から午後1時30分までの2時間は、この館の奪取を巡る激戦がワーテルローでの唯一の戦闘でした。この戦いは、要塞化された拠点に対して次々に旅団を投入するような激戦となり、多大なる犠牲者がでた戦いでした。 #ナポレオニック #ワーテルローの戦い
ルール(12P) ユニット200個 A1マップ1枚 1本 無し 戦術級ちょこ大佐