日本 軽巡洋艦矢矧

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駆逐艦隊の旗艦たる軽巡洋艦の力不足を感じていた日本海軍は、四計画(第四次海軍力補充計画)を立て、第132~135号艦を設計した。後に阿賀野、能代、矢矧、酒匂と命名されたこれらの新進軽巡洋艦は、夕張型以来実に18年ぶりの新造軽巡洋艦だった。最大の特徴は、強力な魚雷兵装であり、4連装の61㎝発射管2基を日本の軽巡としては初めて艦体中心線上に装備、左右どちらに対しても8射線の雷撃が可能であった上、次発装填装置が付けられ、迅速な連続発射が可能であった。当時、各国の軽巡が砲を多くし、魚雷兵装を少なくしているのと対照的なこれらの設計は、矢矧が水雷戦隊の旗艦として設計されたためである。阿賀野型3番艦の矢矧は、佐世保海軍工廠で昭和16年11月に着工され、18年12月に竣工した。初陣はマリアナ沖海戦で、次いで比島沖海戦に参加、そして昭和20年4月、菊水作戦で大和と共に沖縄特攻に出撃、わずか7,800トンの軽巡でありながら魚雷8発、12発の直撃弾を受けてもなお持ちこたえており、その脅威の防御力をいかんなく発揮したが、最後は力尽きて轟沈した。

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