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地下鉄はどこから入れるの
昭和39年12月23日に最初の区間が開通した東西線。 そのときの記念乗車券。 高田馬場-九段下間のため地上区間はなく国鉄ともつながっていなかったので、車両はまだ開通していなかった工事中の九段下-竹橋間のトンネル直上からクレーンで吊り下げて搬入しました。 作業は東京五輪終了後に行い、1か月半かかったそうです。 運賃の20円は東西線特定運賃で、他線区は4キロ20円のところ、東西線は建設費など償却のため3キロ20円とのこと(出典:メトロアーカイブによる)。 車両は5000系3連6本(18両)の陣容。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #地下鉄 #東西線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和39年showa_express
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営業100キロ突破記念~東西線バージョン
昭和44年の12月20日に千代田線の大手町-北千住が開業し、営団地下鉄の営業キロが100キロを超えたことにちなんで発行された5種類の記念乗車券。 これは東西線バージョン。 東西線は同じ年の3月29日に中野-西船橋が全通しており、営業距離では30キロ超と、今現在でも東京メトロで最長の路線となっている。 この時代の2位は丸ノ内線の27.4キロ(方南町支線3.2キロ含む)だが、現在では有楽町線(和光市-新木場28.3キロ)に抜かれ3位となっている。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #地下鉄 #東西線 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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末広町から50円
東西線が大手町から東陽町まで延伸開業した昭和42年の記念乗車券。 どことなく日比谷線3000系っぽいけど、思い切りの良い省略っぷりの5000系が描かれてますね。 乗車券としては東西線とは関係のない末広町からの50円券。 東西線なのに東西線の駅発になってませんが、この時代の営団地下鉄はそういう記念乗車券が結構ありました。 同じ記念乗車券がもう1枚ありますが、そちらはちゃんと九段下になってます。 50円券ですが、昭和42年時点での営団地下鉄初乗り運賃は30円で、これは昭和41年からの額。 40円に値上がりしたのは昭和47年からで、その後60円、80円と推移し、3桁の100円になったのは昭和57年からでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和42年showa_express
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大雑把過ぎる5000系
あまりにも大雑把な5000系の描かれた東西線全通記念の乗車券。 ヘッドライトぐらい描けよなあ・・・ 東陽町から西船まで延びて両端で国鉄との乗り入れが始まっったわけですが、混雑する国鉄総武中央線のバイパスが目的だったから、開通当初の延伸区間沿線は人なんてろくに住んでおらず田んぼだらけ。 当然土地も安いから地下ではなく高架で建設したわけです。 昭和40年代後半に親戚の一人が浦安に越しまして。 ディズニーランドもあるわけなく、みんなで「うらやす? 何やそれ? 初耳~」などと笑っていたんですが、こんなに有名になっちまうとは! #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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2区間同時に開通
中野-竹橋開通とあるが、高田馬場-九段下は開通済みで、それぞれの両端、九段下-竹橋と高田馬場-中野間開通を祝した記念乗車券。 中野までは到達したが国鉄への乗り入れは翌月28日からで、しかも営団側からの片乗り入れで、荻窪まで。 国鉄車が東西線を走るようになったのは同じ年の10月1日に竹橋-大手町が開通してから。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #東西線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和41年showa_express
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東西線 竹橋-大手町開通記念乗車券
竹橋-大手町が開通した昭和41年10月1日の記念乗車券。 東西線は同じ年の3月には中野-高田馬場と九段下-竹橋が開通し、5000系はそれまでの3両編成から7連化されたが、国鉄中央線への乗り入れは営団側からの片乗り入れ。 国鉄車が東西線に乗り入れてきたのは、この竹橋-大手町開業時からで、車両は301系。 #記念乗車券 #営団地下鉄 #東西線 #国鉄 #中央線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和41年showa_express